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エンジンを止め、車のドアを開けて外に出ると、けたたましい蝉の声が聞こえてきた。
吉野は荷物も持たずに車から飛び出し、これから一週間過ごす家を見つめて目をきらきらさせている。
俺は吉野の分の荷物も持って車から降り、吉野の隣に立った。
「トリ、今日から一週間楽しみ過ぎる……!」
「そうか」
仕事も忘れるなよ、と言おうと思ったが、嬉しさに目が輝きまくっている吉野を見て、口を閉じることにした。

四方を山に囲まれた、田舎の一軒家。
今日から一週間の夏休み、俺たちはここで生活することになった。








始まりは、吉野のいつもの思い付きだ。
老後の夢が古民家の一軒家を買って漫画を読んで暮らすことだというのは知っていたが、最近その熱が加速したらしい。
「やっぱ、ああいう家に住むんなら夏が最高だよな!」
確かに夏休みに田舎の家で過ごすことへの憧れは理解できる。
子供の頃は、俺も吉野もそれぞれ両親の実家へ行ったりしていたが、映画やドラマに出てくるような田舎だったわけではない。
だから余計に憧れが強いのだろう。
「スイカ食べて、虫取りして、川遊びして、花火して……。そういう夏休みすげーいいよな!」
「お前はいくつだ」
「別にいいじゃん。日本人ならわかるだろ?」
向日葵と入道雲と蝉の声と満天の星空に囲まれて夏を過ごしたいらしい。
吉野のように遊び回りたいとは思わないが、毎日仕事に追われていると、そういう非日常に身を浸したくなる衝動が起きないこともない。
そんなシチュエーションで吉野と二人暮らす生活をぼんやりと考えていたら、吉野は何やらパソコンで検索を始めた。
「トリ、見て!古民家の貸し別荘だって!」
吉野が座っている椅子の後ろからモニターを覗き込むと、古民家を改築した建物を別荘として貸し出しているサイトが何件か表示されていた。
「どう?これ。一週間くらい」
「どうって……、どういう意味だ」
「だから、いっしょに行かないかって言ってんの!」
吉野の口調は至って真剣だ。
確かに魅力的ではあるが、俺と吉野のどこにそんな余裕があるというのだ。
そう説教をしようとしたが、吉野は引き下がらない。
「遊びに行くわけじゃないから大丈夫だって。ホテルにカンヅメで原稿やる作家とかいるだろ?そんな感じでさー」
要するに、吉野はここへ仕事を持ち込むつもりのようだ。
確かに夏期の休暇と有給と土日を組み合わせれば、俺も一週間くらい休めるかもしれない。
だが、本当に古民家で原稿をやるという吉野の言葉を信じていいものだろうか。
「なー、トリお願い!どうしても行きたいんだよ。手配とか全部俺やるから!」
懇願する吉野を見つつ考えた。
観光地に行くわけではないので、吉野の言う通り一日の生活時間を全て原稿に当てれば作家のカンヅメと同じだ。
家事は俺がやることになるだろうが、それはいつものことだ。
休暇も一週間ならギリギリ可能な範囲だろう。
吉野の手からマウスを奪い、別荘の場所や設備などを確認する。
そして、吉野に二つの約束を言い渡した。
一つ、今月の締切をきちんと守ること。
二つ、規則正しい生活をし、計画通り仕事をすること。
「これが守れたら連れていってやる」
「マジで!?」
「今月の締切破ったらキャンセルだぞ」
「やりますやります!超頑張る!」
俺の承諾に大はしゃぎした吉野は、上がるモチベーションのままに締切前に原稿を提出した。


こうして俺たちは予定通り二人で古民家の別荘へ行くことになったのだった。






滞在中は完全に自炊をしなければいけないので、食料品を買い込んで運び入れるためにレンタカーを借り、助手席に吉野を乗せて別荘へやってきた。
高速道路を使って車で一時間くらいのその場所は、映画に出てくるような田舎ではないが、都会の喧騒の届かない静かな避暑地だった。
候補地はいくつかあったのだが、家の外観で吉野が決めた場所だ。

築百年くらいと説明されていたその木造家屋は、電気・ガス・水道は整備されているものの、まるでタイムスリップしてきたかのような佇まいをしていた。
途中で別荘の管理人のところへ立ち寄り、鍵を受け取って滞在中の注意事項を説明された。
男二人が一週間も何をするのだと思われるのが嫌だったので、取材を兼ねていることを伝えると、そういうお客も多いと言われた。
吉野は俺の背中の後ろで、管理人の男性と俺の話をそわそわしながら聞いている。

一通り説明を受け、書類にサインをすると、吉野に袖を引かれるようにして車へ戻り、その先の道を進んだ。







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