4、吐露〜宇佐見春彦〜
押しかけたようで悪かった。 すぐに帰るから、あまり気を使わないで欲しい。 ……では、一杯だけ。 ああ、これが例の。 さすがにここで全巻読んで帰るだけの時間はないな。 もし気が向いたら自分で購入しよう。 本は自分にとって利益になるもの、必要なものしか読んでこなかったような気がするな。 いや、建築の本だけは好きで読んでいたかもしれない。 経営やビジネスの類意外は建築の本を一番多く読んでいる気がする。 だから君に好きなとして漫画を挙げられた時は戸惑った。 え?なんて答えて欲しかったかって? そうだな、価値のわかりやすいものならよかったと思った。 残念ながら誰かと価値観を共有するのは昔から不得意だった。 例えば酒や食べ物だったら、値段というわかりやすい尺度があるだろう。 ……他人との付き合いは、この数年そのわかりやすい尺度に頼ってきたような気もする。 それから、身近な人間の価値観に依存していたのかもしれない。 依存という表現は適切ではないかもしれないが、幸せそうな人間の価値観をそのまま自分に当てはめれば自分も幸せになれるのではないかと思い込んでいた時期があったよ。 弟がいるんだ。 弟は私とは正反対の人間だった。 自分の価値観だけが全てで、その外側にあるものには目もくれなかった。 似ていると言われることもあるし、似ていないと言われることもある。 ……母親が違うんだ。 いや、君が気にすることではない。 こちらこそ返事のしようがない話を聞かせて悪かった。 思春期もとうに過ぎたいい大人なのに、弟に対する屈折した感情が抜けなくてずいぶん苦しんだものだ。 弟は自分の欲しいものに囲まれていつでも満ち足りているように見えた。 この感情の名前は『羨望』だと私は教えられたよ。 どうやら私は羨ましかったらしい。 だけど、それに気付いた時にはもう手に入らないものが多くなり過ぎていた。 君にも手に入らないものがあるのか。 ……そうだな。 どうしてもかなわないことがあると、私も最近気付かされたよ。 でも、この気持ちをどこへ持っていけばいいのかわからない。 君は知っている? 行き先を失った感情はどこへ行くべきなのだろう? ありがとう。 自分がとても幼稚なことで悩んでいると思っていたから、そう言ってもらえて楽になった。 いつか答えが見つかったら私に教えてくれないだろうか。 自分は頑固な人間だが、君の言葉なら素直に聞けそうな気がするから。
2012/10/16 |