1、出会い

 

 

「これは?」
「先日のお礼だ。漫画が好きだと言っていただろう?」

俺が助手席に乗るなり、すました顔で紙袋を寄越すその男の口調はどこまでも真剣だった。


この場で中を見てもこの場合失礼ではないだろうと判断して、紙袋の中身を取り出した。
真一文字の糸目、立派なカイゼル髭、コック帽。
紛れもなくそれは、
「ザ☆漢…のフィギュア…!!」
俺と千秋がが愛してやまないTHE☆漢の非売品フィギュアだった。
千秋が羽鳥のコネを利用しても手に入れられなかった逸品だ。


伊集院先生のアシスタントに行った時に見かけ、これを千秋にあげられたら喜ぶだろうと思ったのを覚えている。
売れっ子漫画家がコネを使っても手に入れられなかった品を、どうしてこんな簡単に手に入れたというのだ。
そもそも、何故ピンポイントで漫画=THE☆漢だったのだ?


「あの、どこでこれを…?」
「知人に譲ってもらったものだ。気にしなくていい」


事もなげに、そう返された。
(知人って、どこのお偉いさんだ?!)
こんなグッズを入手できる人間なんて、相当限られていると思うのだが。
しかし、落ち着いて自分の乗せられている車を観察すれば、そういう類の知人がいてもおかしくはなさそうだ。
黒塗りの高級車。
品の良さそうなスーツ。
どことなく浮き世離れした振る舞い。
俺のような庶民ではないことは確かだ。

 

 

 


俺がこの男に出会ったのは数日前、メトロの駅でのことだった。

券売機とsuicaを交互に睨んでいる眼鏡の男がいた。
「あの、やり方わかんないんですか」
まさか首都の駅中にいて、suicaのチャージの仕方がわからない(しかも若い身なりのいい)男がいるとは思わなかったけれど、少しイライラして声をかけてしまった。
羽鳥に会ったあとは多かれ少なかれイライラしているので珍しいことではないのだけれど。
「このカードの使い方を教えてもらえるだろうか」
至極真面目に男に頼まれ、俺は面食らってしまった。
(人にものを頼む態度か?ていうか困ってるって顔か?)
多少考えてたものの、やはり本当にわからないのだろうと判断して、俺は手伝ってやることにした。
駅員に任せなかったのは不覚だった、と今になって思う。
知り合いにsuicaカードをもらったことだとか、その人に教わって初めて電車に乗ったことだとか、聞くともなしに聞いてしまったのだった。


偶然、二駅ほど同じ方向に乗るので、とりあえず並んで腰掛けた。
二人の間に満ちるのは、無言。
しかし、
(気まずさがない)
ひたすらマイペースな男は俺のなけなしの好意に対しても、何も感じていないようだった。
別に大袈裟に感謝してほしいわけじゃないけど、こちらとしては肩透かしをくらった気分だ。
何でも素直に感情を表す奴の傍にいるせいかもしれないけど。
電車を降りる時、男は言った。

お礼をしたい。
好きなものを教えてほしい、と。


この時、馬鹿正直に漫画が好きだと答えた俺は、今面食らうはめになっているのだった。

 

 

 

「こんなもの、もらうわけには」
本心は大喜びだったけれど、一応俺は遠慮をした。
タダより高いものはないという諺もあるくらいだし。
そんな俺を一瞥して、男は言った。
「そんなに価値のあるものなのか」
なるほど、やはり漫画に造詣が深いわけではないようだ。
というか漫画をほとんど読んだことがないのではないだろうか?
ザ☆漢はコアなファンが多い漫画だけれど、『漫画といえば』というほど万人ウケする作品かと言われればくびを傾げてしまう。
もちろん、俺も千秋も神漫画だと信じて疑わないのだけれど。

(でも、千秋以外に『漫画といえばザ☆漢』なんて言う奴初めて会ったかも)

例え、それが偶然の偶然だとしても。
この人はどうしてザ☆漢を知ったんだろう?
もしも漫画を読むようなことがあったら、どんな感想を持つだろう?
漫画といえばザ☆漢だと教えた人は、この人の何なんだろう?

今まで千秋以外の人間に、必要以上の関心を持つことなんてなかったのに、次々に疑問が湧いて仕方がない。

 

 

俺を目的の場所まで送り届けると、男は名刺を渡した。
「……!!」
何気なく肩書きを見て、俺は絶句した。
(宇佐見…グループの…)
日本に知らぬ人はいない大グループの御曹司だ。

「また、縁があれば」

そう呟いて、宇佐見春彦は行ってしまった。
(縁って…、縁って何だよ)
数ある漫画の中で、俺の大好きな漫画を選んだことは縁にはならないのだろうか。

 

 

(千秋に何て言おう)

いつもだったら真っ先に千秋に報告したいはずなのに、あれこれ自分に言い訳をして、レアグッズを手に入れたことを言うことができなかった。

 

 

 

 

2011/03/28