羽鳥芳雪についての考察レポート








序論



羽鳥芳雪×吉野千秋(以下トリチア)は「世界一初恋(以下セカコイ)吉野千秋の場合」の主人公カップルである。
羽鳥は吉野の幼馴染みで、売れっ子漫画家である吉野の担当編集でもある。
「吉野千秋の場合」というサブタイトルからわかるように本作の主人公は吉野千秋であり、基本的に作品は吉野視点で進んでいく。
話が受け視点で進むというのはトリチアに限ったことではなく、セカコイ中に登場する4カップルの物語は、それぞれ「小野寺律の場合」、「木佐翔太の場合」そして「横澤隆史の場合」が主幹である。
それに対応するスピンオフ的な扱いとして「高野政宗の場合」、「羽鳥芳雪の場合」および「雪名皇の場合」が描かれる。
ここで注目したいのは「高野政宗の場合」と「雪名皇の場合」は本作では1話ずつしか登場していないにも関わらず、「羽鳥芳雪の場合」は単行本全4巻中に2話、さらに藤崎都(敬称略)の初版本特典のペーパー、本作品が掲載されている雑誌ASUKA CIELのショートストーリーと、その話数は多い。
さらに藤崎都はトリチア3巻あとがきで「普段、ほとんど攻視点を書かない」と述べていたが、藤崎都作品における「羽鳥芳雪の場合」という攻視点作品の多さは特殊ではないだろうか(他作品の統計データは未確認である)。
自らを「羽鳥贔屓」とする藤崎都であるが、原作者である中村春菊もセカコイを構想する際に最初にできたキャラクターは羽鳥芳雪であるという(出典はおそらく「ぱふ 2010年5月号」であると思われるが未確認)。
両作者が思い入れを持つ羽鳥芳雪とは一体どのような人間であるのだろうか。
単なる幼馴染みから恋人へのステップアップを吉野に踏み切らせた羽鳥芳雪の魅力とは一体何なのか。
もちろんセカコイのメインの主人公は小野寺律であることは言うに及ばず、また作品中におけるキャラクターは等しく重要であり優劣は存在しないと考えるが、セカコイにおける羽鳥芳雪という男のパーソナリティおよびその特殊性について論じることでトリチア萌えを深めるべく、本考察を行った。








各論



一、昭和の女・羽鳥芳雪


羽鳥芳雪は健気な男である。
彼の片思いは実に28年間にのぼり、その間自分の思いを隠したまま吉野に尽くしてきた。
羽鳥にとって吉野は単なる幼馴染みであり、尽くさなければならない義理はない。
この点は純情ミステイクに登場する主従カップル・朝比奈×井坂と対照的であると思われる。
羽鳥が吉野の面倒を見て、世話を焼いているのはあくまでも羽鳥の意志なのである。
そして義務もない代わりに下心もない。吉野に対して邪な(性的な)思いを抱いている、という点で下心がないとするのは語弊があるかもしれない。
しかし羽鳥が吉野の世話を焼くという行為に限れば、そこに見返りは求められていないのである。見返りを求めないというのはしばしば理想論であり、そのような感情を抱かずに他人に何かを施すことは難しいことも少なくない。
「○○をしてあげたのに」、という感情を持つのは決して不自然なことではない。
だが、羽鳥は「これだけ面倒をみてやったのだから、少しくらい俺の気持ちに応えてくれてもいいのではないか」という気持ちで吉野の世話をやいていたのだろうか。
自分が尽くしてきたことによって吉野に何かしらの見返りを期待していたのだろうか。
そうではない、と考える。
羽鳥は自分が報われないことなど、とうに知っていたのではないか。
2巻で「本当は一生云うつもりはなかった」と言っているように、吉野に尽くしこそすれ、自分が吉野と結ばれることなど羽鳥は微塵も期待していなかったに違いない。
その上で一生吉野の面倒を見る覚悟を持っていたのだ。
このように自分の思いをひた隠しにし、慕う相手に一生を賭して尽くす羽鳥は、まるで昭和の女だ。
つれあいに振り回されてばかりでも一生添い遂げる覚悟を持って生きている自尊心の高い昭和の女なのである。
吉野の鈍感さを考えると、十分バッドエンドの可能性もあっただろう。
その場合もおそらく羽鳥は吉野を恨んだりしないはずである。
吉野に自分の一生を捧げることを決めたのは自分自身であり、吉野に自分の人生の責任をとってもらおうなどとは考えていないだろう。
対価の求めなさ。これは羽鳥芳雪の美徳である。
あくまで自分は自分、と考えることができる男なのだ。
さらにいえば、そんな羽鳥が好きになったのが吉野のような人間だったことは幸運だったと思わざるを得ない。
もしも吉野が人の心の機微に敏い人間であれば、羽鳥の見返りのない好意を重たく感じ、あるいは下心を勘繰り、距離をおこうとするかもしれない。
しかし吉野は実にのびのびと何の気兼ねもなく羽鳥の好意を享受している。
こうした吉野のおおらかさは、引いては恋人になった後の羽鳥の自信にもつながっているのではないだろうか。
吉野が自分の気持ちに応えてくれたのは、決して自分のしてきたことを恩に感じているからではない。
そう思えたのではないか。
健気なほどに吉野に尽くす羽鳥であるが、思い人への見返りを求めない姿勢が、最終的には自信の幸せをもたらしたのだと考える。
そして怠惰で鈍感な人間と描かれる吉野は、羽鳥の好意を受けるのにこれ以上ない適切な人間だと思われる。
羽鳥にとって一番の幸福は、好きになった相手が吉野千秋だったことだろう。
なぜこんな男を好きになってしまったのだと自問することも多いけれど、その答えは羽鳥自身の人生が示してくれるはずである。





二、比較対象としての柳瀬


トリチアにはなぜ三角関係というモチーフが必要だったのだろうか。
柳瀬優は吉野の中学からの同級生であり、現在は吉野のチーフアシスタントをしている吉野のことが好きな男である。
柳瀬のプロフィールは羽鳥と似たところが多く、顔が良い、面倒見が良い、料理が得意、吉野と昔馴染みで現在も仕事のパートナー、吉野のことが好き、という点が共通事項になる。
「なぜ吉野は柳瀬ではなく羽鳥を選んだのか」という疑問はしばしば読者の間で議論される命題であろう。
吉野が結ばれたのが柳瀬ではなく羽鳥だったことに対する明確な理由は吉野の口からは言及されておらず、3巻の「よくわかんないけど、トリじゃないとだめみたいなんだ」が唯一の吉野が語った言葉である。
また吉野自身も、羽鳥とはキスができるのに柳瀬とはできない理由について思い悩んでいるシーンも登場する。
ここで重要なのは、吉野自身もよくわかっていない、という事実である。
吉野は少女漫画家であるが自他ともに認める鈍感で、決して恋愛に長けている人物ではない。
その吉野が4巻で「恋人だ!」と言えるまで羽鳥に対してのはっきりとした恋愛感情を自覚できたのか。
それはひとえに柳瀬の存在があったからだと思われる。
羽鳥に対する好意と柳瀬に対する好意、この二者を比べることによって初めて吉野は自分の中の恋愛感情に気付くのである。
羽鳥と柳瀬を直接比較することは実はあまり重要ではないのではないかと思う。
二人を直接比較した場合、むしろ柳瀬の方が優れている点が出てくるかもしれない。
しかしここで比べるべきは吉野の心、吉野の好意なのである。
羽鳥に対する好意と柳瀬に対する好意、この二つが異なるものであることに気付き、3巻の「そういう意味で、好き…ってことだよな?」という台詞に繋がるのである。
どこでこの二者の好意の差が生まれたのかは、未だ解明が困難だと思われる。
強いて言えばトリチアの二人が28年間で育んだ時間が、羽鳥に対する特別な好意を生んだのだろう。
吉野の中で幼馴染みとしての好きから恋人としての好きに変化するのには時間を要したかもしれないが、吉野の中に「羽鳥が自分に対して恋愛感情を持っていた場合、それに応えられるだけの好意」があったことは確かであろう。
またトリチアの二人が恋人として付き合うきっかけになった事件の引き金も柳瀬であることは間違いない。
冒頭の羽鳥と柳瀬の口論の内容は明かされていないが、その後の二人の吉野に対する態度を見るに、羽鳥が抱いていた感情について柳瀬が問いただしたのではないかと思われる。
吉野はずっと知らなかったと言っていたが、柳瀬はきっと早くから羽鳥が吉野を好きなことに気付いていたはずだ。この時点で羽鳥が最も恐れていたのは、自分の気持ちを吉野に悟られることであると思われる。それは自分と吉野のこれまでの関係が終わることを意味するからだ。それならばいっそ、と羽鳥が考えたとしてもおかしくはない。
この結招いたのは第一話前半の悲劇であるが、柳瀬は登場当初から、羽鳥と吉野の二人だけでは進展しない関係を発展させる、反応誘導剤のような存在であったことがわかる。
吉野のことが好きな柳瀬にしてみればこれ以上裏目に出る行為はないのだろうが、比較対象としての柳瀬優という人物を登場させることによって、吉野の恋愛感情をよりはっきりと浮彫りにすることができている。





三、羽鳥はドヤ顔をしない


中村春菊作品の攻めは宇佐見秋彦・高野政宗の二人に代表されるようにドヤ顔が似合うことで有名である。
カラーイラストともなれば、受けを抱き締めつつ読者を挑発するかのようなドヤ顔を見せないことはないといっても過言ではない。
セカコイにおいても高野政宗の他、雪名皇、桐嶋禅も同様の表情をしていることが多い。
しかし羽鳥はどうであろうか。
羽鳥芳雪のドヤ顔を見たことがあるだろうか。
いかなるカラーイラストにおいても羽鳥の表情の大半は不機嫌そうな顔で吉野の方を見つめていることが多い。
これは羽鳥の性格をよく反映した結果だと思われる。
つまり羽鳥は自信がないのである。
恋人になったのにも関わらず、いつ吉野が自分から離れていくか不安で仕方がないのだ。
2巻のラストにおいても「引導は早く渡してもらったほうがいい」などと言い出すように、吉野の恋人であることにいつまでも自信が持てないのが羽鳥だ。
それを吹き飛ばすのはいつでも吉野の一喝であり、吉野が裏表のない嘘のつけない性格であることが羽鳥の救いになっているのだと思う。
また、他のドヤ顔をよくする攻め(例えば宇佐見秋彦や高野政宗)と羽鳥はどこが違うのかについても考えてみたい。
彼らと比べると、羽鳥は自分自身を駆け引きの材料にできない人間のように思われる。
宇佐見秋彦や高野政宗は自分の持てるもの全てを総動員して相手を求める。
そこに躊躇いはなく、逃がしてなるものかという気迫が感じられる。
しかし羽鳥は違う。
自分の持てるものを全て相手に捧げるが、それを駆け引きの道具にはしない。
自分の料理をちらつかせて吉野を引き留めるような真似はしないし、吉野が拒否すればいつでも吉野の前から姿を消す覚悟がある。
修羅場になれば頭を下げて柳瀬に助けを乞うし、原稿中自分が力になれないと思えば吉野の仕事場から足が遠のく。
自分の持ち駒の進退は全て相手に委ねて、そのうえで決断をさせるのが羽鳥芳雪なのである。
不器用で生真面目な男なのだ。





四、子供のまま大きくなったトリチア


羽鳥は嫉妬深い男である。
BL作品に出てくる攻めは往々にして嫉妬深い性格をしているが、羽鳥の場合は間髪をおかずに行動に移す。
漫画版セカコイを読んで、小説版を読むと驚く人もいるかもしれない。
エメラルド編集部では常に冷静で、職場の先輩として小野寺にアドバイスを与える人物が、嫉妬にまかせて恋人におしおきプレイを迫るのだ。
またよく拗ねるのも羽鳥の特徴である。
吉野に対してイラつくことがあると、理由も言わずに黙りこむ、あるいは何も言わずに帰ってしまう。
散々吉野が鈍感で無神経だと説明されている読者は吉野に非があるように思いがちだが、羽鳥も相当に子供っぽい態度ではないだろうか。
いい大人なのだから、イラつくことがあれば無言で不機嫌になどならず、言葉で何か不快だったのか説明すればいい。
羽鳥の対人スキルならば、その程度のことは容易であろう。
しかし羽鳥は拗ねる。
小学生のように拗ねる。
なぜなら相手が吉野だからである。
周囲が思っているほど羽鳥は冷静でもクールでもないのだ。
相手が幼馴染みの吉野、しかも好きな相手であることによって、羽鳥は仕事のできる大人の男から途端に小学生男子へと戻ってしまうのである。
これは対吉野限定で発動する羽鳥の甘えだ。
羽鳥が誰かに甘えるところはなかなか想像するのが難しいが、こうして吉野相手に拗ねるのが、羽鳥の甘えなのだと思う。
そしてむっとしつつも昔からこうやってきて過ごしてきたせいで、謝られればあっさり許してしまうのが吉野だ。
羽鳥は一瞬不機嫌になるものの、すぐに自分のおとなげない態度に気付いて謝ることのできる男でもある。
おそらく羽鳥は自分のそういう狭量なところを反省しているだろうが、それを受け止める吉野の器の広さが無限なので、トリチアはいつまでも子供の頃のままのような関係性が抜けないのではないかと思う。
しかしトリチアの幼馴染みの距離感と恋人の距離感で平衡が移動するような関係性が、他のカップルには見られない独特の雰囲気を醸し出している。





五、盲目的に愛せない羽鳥


恋は盲目とよく言うが、羽鳥の愛し方は盲目的ではないように見える。
Love is blindというのは、欠点が見えなくなるくらい好きでしょうがなくなる状態だと考えるが、羽鳥はちゃんと吉野の欠点が見えている。
むしろ他の誰よりも吉野の欠点をよく知っている。
そのうえで、欠点ごと愛しい、という結論にならないのが羽鳥芳雪だ。
吉野千秋の場合には、何人か吉野にとってのライバルキャラが登場する。
例として、一之瀬絵梨香、星野早苗、高屋敷玲二、吉野千夏などが挙げられる。
この中で誰も吉野より劣っているという描写は出てこない。
他の人間は比べものにならない、吉野が最高だ、という考え方に羽鳥はならないのである。
よほどの場合でなければ他の人間と吉野を比べた場合、大体は吉野よりも真面目で勤勉で生活態度も良い、という結論になるのではないだろうか。
吉野のルーズさは羽鳥が一番よく知っている。
しかしそれでもどうしようもなく吉野のことが好きなのも羽鳥なのである。
こんな男をどうして好きになったんだと自分で疑問に思ってしまうのに、それでも愛さずにはいられない。
そこがトリチアの良さだと考える。
風呂に入ってなければくさいから風呂入れと言うし、だらしない生活をしていたらちゃんと家事をしろと叱る。
そういう盲目的になれない部分があるのにも関わらずどうしようもなく吉野のことが好きなのだ。
よって羽鳥の愛情は溺愛とは少々異なり、そこが「羽鳥おかあさん」と呼ばれる所以でもあると考える。








結語


以上、5つの観点から羽鳥芳雪という男について考えた。
今回は主に羽鳥のパーソナリティについて論じたが、吉野と羽鳥ともに疑問の多いカップルのように思う。
トリチアの二人は結局お互いのどこが好きなのか、自分をレイプした男を簡単に許せるのか、吉野は羽鳥や柳瀬の気持ちに気付いてやることはできなかったのか、吉野・羽鳥・柳瀬の三角関係はもっとスマートに解決することができなかったのか、羽鳥のあの台詞の数々は本当にときめくのか、など。
思うに、こうやって疑問を感じるところからトリチアにハマっていくのではないだろうか。
トリチアに関する多くのなぜ、どうして、という疑問について考え始めると、いつのまにかトリチアが好きになっている。
様々な「もし」を考え、その上で、トリチアはこれでよかったのだ、と思うようになる。各論で述べた内容は、筆者がトリチアに萌えつつ疑問に思ったことについて考え、得た考察である。
考えるほどに羽鳥芳雪という男の味わい深さがわかり、ますますトリチアが愛おしくなったのは言うまでもない。
また羽鳥は漫画と小説で二面性を持つ男でもある。
「小野寺律の場合」を読むと羽鳥は、常に無表情で家事に長け、幼馴染みの漫画家・吉川千春が大好きな男である、という情報しか得られない。
小説を読み、これほどまでに健気で嫉妬深く、深い愛情をたたえた人間であることに驚くのではないだろうか。
さらに「吉野千秋の場合」および「羽鳥芳雪の場合」は小説というメディアで語られることにより、その詳細な心理描写を垣間見ることができる。
こうして我々は羽鳥芳雪の人間性に触れ、その幸せを願わずにはいられなくなるのだ。
トリチアを読むたびに筆者は思うのである。「羽鳥、よかったね」、と。







 

 

 

2012/09/11