「シンクロニシティ」

 

 

美しい人の瞳には美しい世界が広がっていると思っていた。
そしてそれは俺が生まれ変わっても覗くことのできない世界だとも思っていた。




「木佐さん、あれすげーかわいくないですか?」
向かい合って朝ご飯を食べながら、雪名がテレビを指差した。
食卓に並んでいるのは、雪名が作ったカラフルな朝食だ。
もちろん彩りだけじゃなく、大体うまい。
お洒落な奴は食うものまでお洒落なんだな、とは雪名とお互いの家に泊まりあうようになってから思ったことだ。
たまの休みはこうして日が高くなるまで寝こけてしまうので雪名には申し訳ないとは思っているが、飯の支度をしてくれるという雪名の言葉にいつも甘えてしまう。

別に僻みや嫌味ではないが、雪名と知り合ってから自分の知らない世界が隣で展開されていくような感覚を何度か味わった。
こいつの住む世界は、自分とは全く違う色素で作り上げられているんじゃないかと思うこともある。
(思ったところでどうしようもないんだけど)
俺がこの年でそっち側へ行くことは無理だし、それは高望みというものだ。
そして、そんな軽率な情動で今までの自分を否定するのは馬鹿だとも思う。
ただやっぱりどこか憧れる気持ちは捨てきれず、身の丈に合った幸せを大事に噛み締めろと自分に言い聞かせるのだった。

雪名がかわいいと言ったのは、情報番組に映っているペットの映像だった。
ペット自慢とやらで、色んな犬やら猫が紹介されている。
流行りなのか何なのか、人間顔負けの服を着せられているペットもいた。
ペットは飼ったことがないのだが、ああいう服は高いのかな、などとしょうもないことを言おうとすると、
「かわいいけど、もったないと思うんですよね」
「え?」
雪名は真剣な顔を箸を振り回す。
「すげーきれいな毛並みしてんのに、なんで隠すかなって。そう思いません?」
「あー……、なるほど…」
ペットの服の値段がどうのこうのと俗っぽいことを考えていた自分とたちまち恥じた。
いや、恥じるほどのことではないかもしれないが、どうも雪名と自分を比べてしまう。
雪名は俺が作っている少女漫画が好きだと言ってくれていたし、好みが似ている部分もあるとは思う。
だけど、こういうほんの些細な場面で自分と雪名の住む世界の違いを思い知ってしまい、落ち込むのだ。
それを素直に雪名に告げればまた一喝されることだろう。
自分のこんな悩みを雪名は気にしてなどいないことは十分理解しているつもりだが、平凡な人間にとって劣等感からの解脱はちょっとやそっとじゃうまくいかなかったりするわけで。
とりあえず調子を合わせて相槌を打ってみたものの、この自分が一方的に感じている雪名との溝がいつか埋まる日がくるのだろうかということを考えるとため息が出そうになる。



朝飯の片づけをしてリビングに戻ってくると、雪名がにこにこしながら待ち構えていた。
「実は木佐さんに見せたいものがあったんですよね」
そう言って雪名は後ろ手に隠している何かを取り出し、ほら、と言った。
「カメラ……?」
「デジイチです!前からカメラにちょっと興味があって、写真やってる先輩からお下がりを安く譲ってもらえたんです」
そして、カメラマンではなく被写体になるべきモデルのような笑顔を見せてカメラを構えてみせた。
こんな男がカメラを構えていたら、逃げられる女子などいまい、と妙な感心をしてしまった。
「とりあえず撮らせてもらっていいですか?」
「は……?何を……?」
「何って木佐さんに決まってるでしょ!」
きょろきょろと部屋を見回していると理不尽に雪名に叱られた。
「俺なんて撮ったってしょうがねーだろ」
「俺が撮りたいんです」
雪名の口調は穏やかだけれど、有無を言わせない力強さがある。
これに弱くて俺はいつも雪名に押し切られてしまう。
恋人と写真を撮り合うなんてベタなことを俺ができるんだろうかと思ったが、俺の困惑などおかまいなしに雪名はこちらへ接近してくる。
というか普通写真を撮ると言ったら少し距離を開けると思うのだが、どうしてこいつは近づいてくるのだ。
雪名が俺の上に覆いかぶさるようにして、俺は後ろに倒れてしまった。
「なに、撮るってそーいう系?」
押し倒される形になった俺は、少しだけ挑発するように雪名に尋ねる。
「あはは、そーいう系じゃないです。ただ木佐さんの目が撮りたいなって」
「目?」
聞き返すと同時に、カシャ、とシャッターが切られる音がした。
「木佐さんの目、すごく好きなんですよね。まつ毛長いし、時々きらっとして、たまに小悪魔」
戸惑う俺の視線が左右に振れるたびに、シャッター音が鳴る。
そんなこと人生で一度も言われたことがないから、何を言っているんだという気持ちと、くすぐったい気持ちが交じり合って妙な気分になってくる。

雪名の目には俺はどう映っているんだろう。
こいつの目を通せば、俺も少しはきらきらして見えるんだろうか?
一度でいいから雪名の目を通して世界を見てみたい。
たぶん、そこには俺の知らない色がたくさん満ちているはずなのだ。 そしてそれは、俺が一生見ることのできない世界。

そんなことを考えながら、カメラを挟んだ向こう側にいる雪名を見ていると、ふいに何かが光ったような気がした。
「あ……」
「木佐さん、今……」
そして、二人同時に声を上げた。
雪名も驚いたような表情でカメラを置いた。
「……どうしたんだよ」
「なんか木佐さんの目に星のかたまりみたいな、何かきらきらって……」
「俺も……お前のカメラのレンズの辺りが何か光って……」
そう言うと、お互い目を合わせて数秒間無言になった。

俺は雪名のカメラから光が零れたと思った。
雪名が俺の目に光が集まっていたと言った。
(同じものが見えてたってこと…か…?)
正体はよくわからないが、たぶん、雪名と俺は同じものを見ていた。

雪名の方を見ると、何やら真面目くさった顔で腕を組んでいる。
「シンクロニシティってやつですかね?」
「シンクロニシティ?」
雪名はあくまで真剣だ。
「木佐さん、俺のこときらきらしてるって思ってます?」
「………思ってる、けど」
自分で何を言い出すんだと呆れそうになったけれど、そう答えた瞬間ガッと雪名に肩をつかまれた。
「俺も木佐さんのこときらきらしてるって思ってます!だから見えちゃったんですよ、本当に!!」
雪名は一人で盛り上がっている。
「すごくないですか?俺と木佐さんマジで通じ合ってるってことですよね!?」
「や、よくわかんねーけど……」
「絶対そうですって!」
ぽかんとしている俺をよそに、雪名はもう一度あれを見るのだと張り切って、もう一度カメラを構えた。
俺もつまらん反論をするのは野暮だと思い、おとなしく雪名に向かって視線を向ける。
さっきよりも強く、レンズの奥から雪名の視線を感じるような気がした。

(同じものが見えた、か……)
俺と雪名は所詮、見えてるものが違う人間だと思っていた。
だけど、いっしょに過ごしているうちに、少しずつ雪名と同じものが見えるようになってきているのかもしれない。
すごく非科学的だとは思うけれど、俺の干からびそうな思考回路を潤すには十分な出来事だった。

美しい人にしか見えない美しい世界を覗いてみたいなどというのは分不相応な望みだと思っていた。
でも、雪名は俺の手をぐいぐい引っ張ってそっち側の世界へ連れて行ってくれようとする。
今の俺にはまだ眩しすぎるけど、同じものが見えるというのはいつも自信のない俺にとっては大きな幸せだった。
それから、雪名の目の中に俺がいることも。


「雪名、それ撮ったらちゃんと現像して見せてくれる?」
「もちろんです!」

自分の写真なんて興味ないと思っていたのに、雪名が撮った写真の中の俺はどんな顔をしているのだろうと気になってしまう。
これは進歩と呼んでいいんだろうか。
こんな風に浮かれている自分が可笑しくて、自然に笑いがこぼれた。

「木佐さん、眩し過ぎです」
「ばーか、それは俺の台詞だ」

馬鹿丸出しの会話を交わしながら、雪名の視線に身を任せる心地よさに酔いしれていた。






 

 

END

 

 

 

2012/07/20