「拗ねて可愛い年頃でもなし」

 

 

締切破りの常習犯で吉野にはいつも迷惑をかけられているが、決して吉野以外の担当作家が全員優等生というわけではない。
今回はある担当作家の原稿が大幅に遅れ、ひどい修羅場となった。
高野さんにボツをもらったネームの直しを指示したところ俺の言葉を聞き入れずに拗ねられて、繰り返しの説得の末にようやく原稿に取り掛かり、手伝えそうな人手を総動員してギリギリに印刷所へ原稿を突っ込んだのだった。
校了明けに作家には丁寧に謝られた。
私生活でも嫌なことがあって大人げないことをしてしまった、とのことだ。
もちろん作家とて一人の人間なのだから、そういうこともあるだろう。
だけど大勢の人に迷惑をかけることになるし、何より原稿を落としては楽しみにしている読者ががっかりするから、今後は早めに相談してほしいと伝えた。
淡々とそう言うと、作家にはほっとした表情をされた。
今回のことで羽鳥さんに嫌われたかと思いました、と。
確かに作家側のせいでひどい目にあったことは何度もある。
ただそれを含めて管理を行うのが担当編集の仕事なので、その時々にうんざりすることはあるが普段の態度に表すわけにはいかない。
怒鳴り散らしてうまくいくことは少ないと思っているし、作家との関係が悪くなれば、今後の仕事に差し支えるばかりだろう。
当然この作家に対して愛想を尽かしたわけではないが、たとえそうだとしてもそれを隠し通して仕事を続けることくらいはできる。
社会人としてごく一般的なスキルだと思う。
だから、羽鳥さんはどんな時も落ち着いていて冷静ですごい、との言葉を頂いても複雑な気分だ。
お世辞で言われているとは思わないが、たぶん俺の吉野に対する態度を見たら冷静で落ち着いているという評価は揺らぐのではないかと思う。

唯一幼なじみにだけはつい大人げない態度をとってしまう俺は、要するに外面が良いという部類の人間なのだろう。


入稿が無事終わり、久しぶりに定時に帰宅をした。
件の作家のあれこれで奔走していたため、ここ一週間以上まともに吉野の顔を見ていない。
普段なら原稿の取り立てで忙しいなりに吉野と顔を合わせる機会はあるのだが、今回は完全に他の作家にかかりきりだった。
もちろん修羅場に顔を合わせても原稿の話しかしないのだが、それでも顔すら見ないよりはいいような気もする。
担当作家全員が余裕を持って原稿を仕上げ、ゆっくりと吉野と過ごす時間を持てるのが理想だが、そんなのは夢のまた夢だ。
お互いに忙しくとも仕事で顔を合わせられるこの仕事を選んでよかったのかもしれない、と無理矢理自分を納得させながら家路を急ぐとカラスが嘲笑うように鳴き声をあげた。

自分の家と吉野の家の冷蔵庫の中身を思い出しながら、少しだけ食品を買い足すためにスーパーへ寄った。
好きで他人の家の冷蔵庫を管理しているわけではないが、吉野の面倒を見ようと思うとどうしてもこうなる。
冷蔵庫を管理する趣味はないが、冷蔵庫の持ち主が好きなのは自分の責任なので愚痴をこぼすのは筋違いかもしれないけれど。

冷凍品のコーナーに差し掛かると、よく見知った後ろ姿が見えた。
紛れもなく吉野だ。
アイスのケースを開けたり閉めたりしながら物色をしている姿は、その近くにいる小学生となんら変わりはない。
苦笑しながら声をかけようとしたが、隣にもう一人よく知っている顔があることに気付いてしまった。
(…………柳瀬)
楽しそうにアイスを選んでいる横には柳瀬の姿があった。
二人でいっしょに仕事をしているのだから、休憩がてら二人で買い物にくることくらいよくあるだろう。
別段気にするようなことでもないし、向こうも特別な他意など一ミリも持っていないこともわかる。
それはわかるのだが、未だに感情の方が理性的な判断を拒む。
(たった今、吉野のために買い物をしているのに)
そんな俺を尻目に、柳瀬と二人で楽しそうにしているところを見せ付けられると、自分がひどく滑稽な人間に見えてくるので始末に終えない。

そのうちに、吉野が俺の姿に気付いた。
「あ、トリ!」
その顔に後ろめたさはなく(当然だろうが)、思いがけず俺を発見して単純に喜んでいるように見える。
いつもなら俺も嬉しいだろうが、柳瀬の姿を見てしまったことで湧き上がった卑屈な心が、俺につまらない行動をとらせた。
「あれ?トリ?」
買い物カゴが空だったのをいいことに、俺はそのまま背中を向けてスーパーをあとにしたのだった。


我ながら大人げない、とは思う。

そのまま何事もないように普通に声をかければいいのだ。
実際、俺の嫉妬心以外は何事もないのだから。
吉野はきっと今の俺の態度を咎めるだろう。
携帯電話を取り出してみれば、吉野からの着信が何件も入っている。
そのうち最新の一件には留守電メッセージが入っていた。
『夜、お前んち行くから。……たぶん11時くらい。ちゃんと待ってろよ』
迷いのない吉野の声にため息をつき、自分の部屋へと帰った。


おそらくこれは甘えの一種なのだと思う。
昔からそうだった。
小さい頃二人で遊んでいて、何か気に入らないことがあると俺はすぐに黙りこくっていた。
そうすると千秋が俺の袖を引っ張ってこう言うのだ。

よくわかんないけど、ごめん。
いっしょに遊ぼう、と。

もちろん当時はその感情を分析できるはずもなく、千秋が俺といっしょに遊びたがっているということに満足して機嫌を直していたような気がする。
結局、俺はその当時から何も変わっていないのだ。
ちょっと機嫌の悪いところを見せれば、吉野が気に掛けてくれる。
それを期待して、いい年をして拗ねた態度をとる俺は少しも大人なんかじゃない。
大人になって吉野との付き合いも変わったところはあるが、こういうところは変わらないままだ。
それに小さい頃はわけがわからないままごめんと言ってくれていた吉野も、こんな年をして俺に拗ねられても困るばかりだろうに。

拗ねて可愛い年頃でもなし。
俺たちはもう、子供の頃のままではないのだ。


ピンポン、と部屋のチャイムが鳴らされたのは11時を10分ほど過ぎた頃だった。
11時きっかりではないのが吉野らしい、と思いながらドアを開けてやると、怒った顔をした吉野が立っていた。


「……俺は約束破ったつもりはないからな」
「何のことだ」
素っ気なく返事をすると、吉野は声を荒げた。
「お前が言い出したんだろ!?優と二人っきりで出掛けないって」
確かに柳瀬と二人で誕生日に温泉旅行へ出掛けられた時、そんな約束をさせた。
今日の出来事は別にその約束を破られたと思って苛ついたわけではなかったので、吉野がその約束をちゃんと覚えてくれていることに見当違いの感動をした。
「別に、コンビニとかスーパー行くくらいのことも『二人っきりで出掛けるな』とは言わないよな?」
「……ああ」
「じゃあ、……なんで今日いきなり帰ったんだよ。電話にも出ねーし」
なんで、という問いにきちんと答えられるほど理性的な行動ではないので、なんと答えたらいいかわからずに、俺は黙ってしまった。
何度もこういうことをしてきて、よく吉野に愛想を尽かされなかったものだ。


「お、俺だって久しぶりにトリの顔見れて嬉しかったんだぞ!なのに何で喧嘩なんてしなきゃいけねーんだよ!!」
「吉野……」
吉野が俺の服の裾をつかむ。
まるで子供の頃のように。
「……俺に嫌なところあるんだったら直したいから、黙ってないでちゃんと口で言えよな」
絞りだすような吉野の声を聞いた時、自分の愚かさが身に染みた。
こうやって吉野に甘えているせいで、俺はいつも吉野を不安にさせていたのだ。
「お前に不満があるわけじゃない。……悪かった」
むしろ、全部俺が悪い。
吉野にそう告げると、首を傾げられた。
「自分の嫉妬深い性格はわかってる。だけど、お前に対してだけは大人げない態度をつい……」
言い訳にもならないとは思ったが正直にそう言うと、怒るかと思った吉野は俺の顔を見て吹き出した。
「確かに!お前って時々すげー子供っぽいことあるよな」
俺の言葉に納得するように、うんうんと吉野は頷く。
「トリって俺なんかよりずっと大人で落ち着いてて頭もいいくせに、言われてみればすぐ拗ねるし、ヤキモチやくしな」
ここぞとばかりに言葉を連ねる吉野にムッとしそうになったが、吉野の言うとおりなので反論ができない。
しまいには吉野は、励ますようにぽんぽんと俺の肩を叩き、こう言った。
「ま、幼なじみの特権ってことで許してやるよ。他の人にはこんなことできないだろうしな!」
そう言って大笑いする吉野を見て、こんな吉野だからこそ俺のような人間でもずっと付き合いを続けられたのだと思った。
吉野の器は底無しで、俺の嫉妬だろうが卑屈さだろうが、全部飲み込んでしまう。
その上で、いっしょにいようと言ってくれる。
子供のような態度をとってしまうことはおいおい改めていきたいとは思うけれど、もうしばらくは吉野に甘えさせてもらいたい。

二人の言葉が途切れた時、大きな音を立てて吉野の腹が鳴った。
「飯、食ってないのか」
「お前がスーパーにいたってことは何か作ってくれるんじゃないかと思って…………………あっ……」
俺が買い物を放棄して帰ったことを思い出したらしい。
今度は俺が吹き出す番だった。
途端にしょんぼりした顔になった吉野の頭を撫で、冷蔵庫とキッチンのカゴを見に行く。
「ラーメンでよければすぐできるぞ」
「ほんと!?」

無邪気に喜ぶ吉野を眺め、恋人の時間は今日はお預けだな、と苦笑する。
それでも吉野がこんな自分といっしょにいることを喜んでくれることで、俺の子供のようなわがままな心は満たされるのだった。










END


 

 

 

 

2012/04/01