「タイターニアが眠っている」

 

 

放心状態の吉野の体を支えながら、浴室へ連れて行った。
一人でいいと拒否されたらおとなしく離れるつもりだったけれど、吉野はうつむきながらも俺の手を掴んだ。
「……風邪ひくといけないからトリもシャワー浴びてけよ」
「……ああ」
体は十分に火照っていたが、その言葉を吉野からの許しだと受け取ってシャワーの蛇口をひねる。
熱いお湯が俺たちの上に降り注ぎ、俺はもう一度確かめる意味で吉野にキスをした。
吉野はそれをあっさりと迎え入れてくれ、先程の出来事はようやく現実感を伴って俺の胸に刻み込まれた。


吉野を抱いた。
これで二回目になる。
いや、一度目は抱いたというより犯したと言った方が適切だろう。
あんなことをしたのにも関わらず、吉野は俺が側にいることを許してくれた。
俺じゃなきゃだめなんだと言ってくれた。
普通だったら忌み嫌われてもおかしくない状況だ。
むしろ俺はそれを期待していた節があるくらいなのだ。
俺が吉野から離れるためには吉野に嫌われるくらいでなければ無理だと思っていた。
今考えれば吉野に嫌われる手段など他にいくらでもあるだろうに、よりにもよって吉野を犯すという手段を選んだ俺は尽く尽く最低な人間だと思う。
自分は吉野が好きだったということを知ってほしい、吉野を他の男に取られたくない、という妄執が勝ってしまった。
(そんな俺を、吉野は……)
いいよ、という吉野の一言が脳裏から離れない。
嫌々でもなく、自棄になっていたわけでもない。
ごく普通の調子で、いいよ、と言ってくれた。
さっきまでの出来事を思い出してみると、吉野の好意はあまりにも無防備で夢ではないかと思ってしまうくらいだ。
吉野が自分の身体を差し出す代わりに面倒をみてくれる幼なじみと担当を手放したくないという態度だったら俺はためらっていたかもしれない。
だけど吉野はいつもと変わらない好意を俺に向けてくれた。
逃げないと抱く、と最後通牒を出した時も吉野は逃げなかった。
吉野が言っていた、仕方ない、の意味はわからなかったけれど、もしかしたら吉野自身にもあの状況で自分が逃げずにいる理由がわからなかったのかもしれない。
その吉野の戸惑う気持ちの中に1%でも望みがあるのなら、と賭けのような気持ちで吉野の身体に触れた。
本当はずっとこうしたかったんだという気持ちを込めて、丁寧に吉野の身体を責めた。
吉野の身体が冷たくなっていることが恰好の口実になることが嬉しくて夢中でしゃぶると、素直な身体がガクガクと震えて快感を伝えてきた。
素直さというのは本当に吉野の美徳の一つだと思う。
身体も素直なのはもちろんのこと、気持ちよかったかと尋ねたら素直に肯定された時には俺の理性は完全に決壊していた。
少しでも理性が残っていたならその場で事に及ばず、濡れたままでもいいからベッドまで連れていけばよかったと思う。
だけど俺の口で感じきっていた吉野を見たら、それ以上の我慢は限界だった。
吉野が欲しいと思う気持ちは十分伝わっているはず、と後ろを向かせ、指を探り入れた。
あんなことをされたのだから、恐怖感は拭えないだろうことは理解できる。
再び傷つける可能性があることもわかっている。
それでも吉野と一つになりたいという欲望は到底抑えることができなかった。
それから先はまるで夢の中のようだった。

もうあんな思いはさせない。
傷つけるようなこともしない。
だから俺を受け入れてほしい。

傲慢とも思えるようなそれらの言葉は思わず口をついて出ていたようで、吉野はそれを聞いて一瞬身体を緩めてくれた。
無理矢理に押し入るのではない。
徐々に吉野が身体を開きながら中へ受け入れられていく感覚は、俺を恍惚に誘った。
最後に動いてもいいかと問い掛けて、吉野がいいよと言ってくれた瞬間の幸福感は一生忘れないだろう。



吉野を浴室の床に座らせると、俺もその隣に跪いた。
吉野の意識がぼんやりしているうちに体をきれいにしてやろうと思い太腿に手をかけると、ぴくんと小さく吉野の体が跳ねた。
警戒されているのかとそっと様子を伺うと、顔を赤らめているものの恐れている表情ではない。
俺の手に委ねてくれていることを確かめると、吉野を恐がらせないように優しく欲望は隠したまま吉野の体を清めた。
途中から吉野も腰が立つようになったようで、二人で行水のようにシャワーを浴びるとタオルで体を拭き、スウェットに着替えてどちらともなくベッドへと向かった。
会話らしい会話はなかったけれど、ベッドまで行く途中、吉野が何度も俺がちゃんと隣にいることを確認するように振り向いてくれるのが嬉しかった。



「トリ、ありがとな」
「……え?」
二人でベッドに寝転ぶと、天井を眺めながらぽつりと吉野が言った。
恨まれこそすれ、お礼を言われる理由が見つからず困惑した返事をすると、やっと吉野が小さく笑った。
「花火。誘ってくれてありがとうって言ってんの」
「ああ、そのことか。……約束してたからな」
本当は約束ごと反古にして吉野の前から姿を消そうと思っていたのだが、最後のけじめだと思い連絡を入れた。
吉野が来てくれるか自信はなかったが、このまま後悔するよりはいいと思うようにした。
複雑な表情を隠しきれない吉野が無理に笑顔を作って俺の前にあらわれた時、やはりきちんと気持ちを伝えなければ、と思った。
「あんな穴場、誰に教えてもらったんだよ」
「会社の人にだよ」
少しだけ、嘘をつく。
吉野と今日この夏祭りに行こうと決めたあと、何度か足を運んで人が来なさそうなポイントを選んだのだ。
思った通りにその場所からは花火がきれいに見え、それもほんの少し俺たちのことを味方してくれたような気もする。

隣に寝転ぶ吉野はさっきまで情事を繰り広げていた時とは別人のようで、俺は触れるのをためらってしまう。
だけど、わずかに触れる肩から伝わってくる体温は間違いなく俺が抱いていた体で、喜びと嬉しさと信じられない気持ちが少しずつ入り交じった感情が胸にあふれてきた。

この腕で確かに俺は吉野を抱いた。
吉野はそれを受け入れてくれた。

28年間夢物語だと思っていたことが、現実となって俺に訪れている。
片思いに絶望していた頃の俺に教えてやりたい。
吉野が好きだと告げられることが、どれだけ深い感動をもたらすかということを。

「何にやにやしてるんだよ」
いつのまにか俺の方を向いていた吉野が、ぎゅっと俺の頬を引っ張った。
「いや、夢じゃないかと思って」
そう告げると、吉野は照れたような顔をしてもう一度強めに頬を引っ張られた。
「ほら、夢じゃないだろ」
「……そうだな」


思い切って吉野の体ごと抱き寄せると、抵抗なく腕におさまった。
「お前は、夢じゃなくていいのか」
吉野の頭上から問い掛ける。
間髪入れずに吉野はいい、と答えた。

「これが夢で、明日の朝トリがいなくなってたら困るから、夢じゃなくていい」

吉野が愛しいと思う気持ちを伝える術が見つからなくて、ただ吉野の体を抱き締め続けた。
俺は馬鹿だ。
吉野から離れて生きていけるわけなんてないのに。



吉野が寝息をたて始めるまで俺はその腕を離さなかった。
そして、どうかこれが夢ではありませんように、と強く祈ったあと俺も眠りに落ちたのだった。


 

 

END

 

 

 

2012/02/06