「飼い葉桶のこども」

 

 

自分の誕生日がとくに祝福されるべき日でないことに気付いたのはいつの頃だっただろうか。

小学生の頃、同級生に誕生日を尋ねられて羨ましがられた覚えがある。
クリスマスイブが誕生日なら、きっとすごいお祝いをしてもらえるんだろうね、と。
両手いっぱいの誕生日プレゼントに大きなケーキ。
リビングにはオーナメントに彩られたクリスマスツリーがある、そんな自分の誕生日。
きっと彼らが想像したのは、絵本に出てくるような誕生日パーティの光景だろう。
そんなことないよ、と素っ気なく呟いて誰もいない家へと帰るのは何とも言えない寂しさだった。
ケーキを買うために渡されたお金を持って本屋へ向かい、一人で本を読んでクリスマスを過ごすのが俺の誕生日だった。

別に豪華なプレゼントやケーキを用意してほしかったわけじゃない。
そういうものは贅沢だからともらえない子供もたくさんいるはずだ。
それに親が仕事で忙しいのは知っていたし、特別欲しいプレゼントがあったわけでもない。
だけど、他の子供がもらえて俺がもらえないものがある。
物ではなくて、世間ではあたりまえに存在していて、大事なもの。
それに気付いてしまった時、幼心が急速に冷えていくのを感じた。

『誕生日なんて、別に特別な日じゃない』

そう思って過ごしてきた俺の世界が変わったのは、あいつに出会ったおかげだと思う。



「先輩の、あの、えーと……」
「なに」
「なんかいきなり変なこと聞いてすいません…」
「いやまだ聞いてないだろ」
いつものように盛大にどもりながら遠回りをして、小野寺は俺の誕生日がいつかを尋ねた。
どうでもいいという顔をしながら答えてやったけれど、ああほんとに好きな相手のことなら知りたくなるものなのだと微かに俺は感動した。
付き合い始めた頃にはもう自分が小野寺に惹かれていることに気付いていて、あいつからの好意が垣間見えるたびにくすぐったい気持ちになった。
「……12月24日」
「わあ、クリスマスイブなんですね!それならきっとすっごくお祝いしてもらえますね!」
小野寺の反応が小学校の同級生と同じなことが少し苦々しかったが、幸せな家庭に育ってきた人間ならこういう反応が普通なのだろう。
とくにこいつみたいなお坊ちゃん育ちはさぞ周囲に祝福されながら過ごしてきたに違いない。
この年になってそれが妬ましいだとか羨ましいとかいう気持ちは湧いてこなかったけれど、俺とこいつは住んでいる世界が違うということを見せつけられたような気分だった。

小野寺はこの時にお祝いしたいとかいっしょに過ごしたいとかは言わなかったけれど、今年はいつもと違う誕生日になるような気がして、冬が来るのがちょっとだけ楽しみだったのを覚えている。


誰かが、俺が生まれてきたことを喜んでくれる。

それが何より俺のほしいものだった。


家にあるカレンダーがめくられて12月になると、母親は面倒くさそうに俺の誕生日を書き入れた。
年末の忙しさで料理の予約やらを忘れないようにするためだ。
一応は何かしてくれようとしていることに感謝しなくてはいけないのだろうが、義務のように用意されるそれが俺にはとても苦痛だった。
俺が生まれてきてよかった、と思うことが両親にはあるのだろうか。
疎まれるのも苦しいので迷惑をかけないように生きてきたつもりだったけれど、積極的に愛されている実感は皆無だった。
どんな子供も等しく世界中から愛されるというのは嘘だ。

両親が離婚をし、俺が大学生になって自立すると、親は二人ともそれぞれに新しい家庭を持った。
別に恨んではいない。
それぞれにまた愛すべき存在を見つけたのだろう。
人間だから跌を踏むこともあるだろうし、嵯峨という家庭が失敗だったとしてもそれはそれでいいと思う。
だけど失敗した家庭の子供はいらない子供なのだろうか?
たった一度でも、お前が生まれてきてくれたことだけは良かった、とは言ってくれないのだろうか?





「ガキだったなーと思ってさ」
「……なんの話ですか」

おれのあとをついて歩く小野寺が、怪訝そうな顔でこちらを向いた。


12月24日。

わーわーと文句を言う小野寺を部屋から引っ張り出して、スーパー、ケーキ屋と連れ回して俺の部屋まで連れてきた。
部屋を出るときこそうるさかった小野寺だが、次々と買い物をしていくにつれておとなしく荷物持ちをするようになった。
自分の誕生日の用意を自分でするのも滑稽だとは思ったが、小野寺は笑わずに黙って俺のあとをついてきた。

「これは、俺が買います」
ケーキ屋に着いて一番小さなホールケーキを選んだあと、小野寺は財布を取り出して言った。
仕方ないから俺が買ってあげます、と。
ありがとう、と言うと、誕生日の人本人に買わせたケーキ食べてもおいしくないですから、とそっぽを向かれた。



小野寺と出会って、拗ねていた自分から少し変われたような気がする。
両親から祝福されない自分はいらない存在なのだと思っていた。
だけど、そのことばかりに囚われていて自分が生まれてきたことを自分はどう思っているのか考えてこなかった気がする。
自分は生まれてきて不幸だっただろうか。
生まれてこなかった方がマシだった?

自分の家庭を嫌っていた日々もあった。
自暴自棄になっていた日々もあった。

だけど今は、好きな少女漫画の仕事もできて成果もそれなりだ。
横澤とは色々あったけれど、それでもいい友人に恵まれたと思う。

それから、俺の初恋の相手。

お互いにたくさん傷つけあってきた相手だったけれど、もう一度会うことができた。
再会して、昔言うことのできなかった気持ちを告げ、触れることができた。
素直じゃなくて、かわいげがなくて、でも俺はこいつのことがずっと好きだったのだと実感できた。

両親は俺のことなどどうでもいいのかもしれない。
義務だから、ここまで育てただけなのかもしれない。
でも、今はそれでもいい、と思えるようになった。
この人生を与えてくれただけで十分だ。
俺のこの人生があったから、あいつに出会うことができた。



今年の誕生日、俺は両親に贈り物をした。
たいしたものじゃない。
ただ、俺は生まれてきたことを後悔していないという意思表示だ。

父親からは、気持ちはありがたいが妻がお前のことを気にしてしまうので来年からは結構だ、と言われた。
母親からは、こんな真似をしなくても財産の相続はきちんと分与を考えているから気にするな、と言われた。

乾いた笑いしか出なかったが、これでいい。
自分の人生は自分で生きられる。
仕事がある。好きな奴がいる。

それだけで生きていける。




一通り買い物を終えて部屋に戻り、小野寺が荷物を床に置いた瞬間に抱き締めた。
「ちょ……ッ、高野さ……」
じたばたと抵抗する小野寺の身体に回した腕の力を強める。
耳まで真っ赤になっている様子が愛おしくて、腕を離すタイミングを逃してしまった。

「小野寺、言ってほしい言葉があるんだけど」
「な、なんですか」
「何って、一個しかないだろ」
小野寺はしばらく考えるふりをしたあと、お誕生日おめでとうございます、と小さく呟いた。

「……来年は編集部みんなで高野さんのお誕生日しませんか」
「なんで」
「平日だし、みんな高野さんの誕生日知らないんじゃないかって思って」
俺はお前がいればいいんだけど、と言いかけたけれど、

「ほら、なんだかんだでみんな高野さんのこと好きじゃないですか。……だからお祝いしたいんじゃないかな、って」

顔を赤くしながらぼそぼそと呟く小野寺を見て、目を瞠ってしまった。
腕の力を緩めて、ぽんぽんと頭を撫でる。
「それってお前も俺のことが好きって言ってる?」
「……まあ、人並み程度には?って、ちょっ……んん…」
この期に及んでかわいげのないことを言う小野寺の唇を思い切り塞いでやった。
なんて、ほんとはすごく嬉しかったのだけれど。

身体を離す前にもう一度だけべろりと唇を舐めると、ちょっとくらい我慢を覚えてください、と怒った顔をしてケーキをキッチンへ置きに行った。


暗い馬小屋の飼い葉桶の中に生まれたこども。
だけど天使はちゃんとそれを見つけて、人々の祝福を導いた。

お前におめでとうと言ってもらえて、俺は生まれてきてよかったと思えるようになったよ。
俺自身が自分の誕生日に感謝できる日がくるとは思わなかった。


コートを脱いでキッチンへ向かうと、難しい顔で小野寺がケーキにろうそくを立てようとしているところだった。
どうやったら俺の年を表現できるのか悩んでいるらしい。
その様子を見て思わず吹き出すと、キレた小野寺にある分全部のろうそくを滅茶苦茶に立てられた。
「お、おめでとうございます」
「どうもありがとうございます」

何の変哲もないやりとりだけど、今の俺にはそれが一番嬉しかった。

「来年もやっぱりお前と二人がいいんだけど」
「……考えておきます」
だからプレゼント今から考えておいて、と言うと、小野寺は恥ずかしそうに紙袋を一つ取り出した。

「目薬とカイロとブラックガムと風邪薬の詰め合わせです」
「………………俺は受験生か何かか」

編集業やってるうちはロマンのあるものをこいつからもらうのは無理なのかね、と呆れながら一番のプレゼントをもう一度だけ思い切り抱き締めた。


 

 

END

 

 

 

2011/12/24