「バカって言った奴がバカ」

 

 

きつい抱擁から解放されてシーツの上にくたりと身体を横たえると、頭上からトリの荒い呼吸が聞こえてきた。
はあはあという息遣いを聞きながら、酸欠状態の脳を落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸をする。
身体に酸素を取り入れると、少しずつ覚醒する脳がさっきまでの俺たちの姿をぼんやりと再生し始めた。

自分のものとは思えない嬌声、悲鳴、喘ぎ声。
最中はそれほど気にも留めなかったそれらの音が耳にこびりついていたようで、フラッシュバックのように思い出される。
(……ひどい声)
今すでに真っ赤な顔になっているだろうに、さっきまでの自分の姿を思い浮べてさらに顔が赤らんだ気がした。

「千秋、」
トリの呼び掛けに、こっちを見ているような気がして慌てて枕に顔を埋めた。
「寝てていいぞ」
軽く頭を撫でながら、トリが隣に寝転ぶ。
情事の余韻を引きずっているような甘さの残る声が心臓に悪い。
枕に顔を伏せたまま横目でトリを見る。

(いわゆる『男前』って感じだよなー)

学生の頃からモテまくっていたトリだから、いつもいっしょにいる俺は多少なりともコンプレックスは感じていたけれど、今となっては話は別だ。
女の子の視線を集めるこの男は、漫画を描くこと以外に取り柄のない俺みたいなのしか目に入っていないらしい。
担当作家だの友人だの美男美女に迫られてなお、トリはこうやって俺を抱いて満足そうにしている。
「……変な奴」
口に出してそう呟くと、トリにおかしな顔をされた。
「何か言ったか」
「別に、なーんにも」


だけど、ほんとに変だなあと思う。
トリが俺に対して欲情しているのは身をもって理解しているけれど、好きだというだけでこんなにもなるものなのだろうか。
自分のことは棚に上げて何を言っているんだと反論されてしまいそうだが、だけどトリを見てほしい。
顔が良くて背も高くてバランスのいい体付きをしている。
おまけに優しいし、エロいことばっかり言ってくるのはどうかと思うが、その、………巧い、し。
当然トリ以外の男にこういうことをされるのは全力でお断わりだ。
けど、もし俺が俺じゃなくて単なるトリの知り合いだったとしても、好きだと言われて優しく抱き締められたら、その気になってしまうんじゃないかと思う。
仮に俺が女の子だとしたら一発だ。
トリが浮気するような人間じゃないとはわかってるけど、こういう理由で心配になるわけで。
異性なら言わずもがな、同性だとしてもトリにアプローチされたら多かれ少なかれ嬉しいだろうと思う。

じゃあ逆に俺はどうだろう?、ということを考えてみると、比べるのもおこがましいのではないか。
学生の頃は彼女もいたりしたけれど、現在のような引きこもりでコミュニケーション能力も生活力もない男がモテようはずがない。
顔が良ければそれなりかもしれないが(仕事や生活態度はひどいが超絶美形の男性作家が丸川にいると聞いた)、俺は御覧の通り単なる童顔で貧相な三十路手前男だ。
そんな男が身も世もなく喘いだところで面白いものだろうか。
美人なわけでもなく、色気があるわけでもない。
別に俺だって喘いでやろうと思って声を出してるつもりはなく、トリがあんなところやこんなところを責めてくるから、つい変な声が出てしまう。
一応みっともないとは思っているから我慢しようとはしているのだけれど、だんだんそんなこと気にならなくなるくらい快感に支配されて、そんな俺を見てトリは微笑むのだ。
(引かれてはいないと思うんだけど………、たぶん)
自分がトリので感じているのを見るのが嬉しいのだろうか。
俺の声が激しくなるのにつれ、抱き締められる強さもきつくなる気がする。


一度だけ、トリに抱かれている時の自分の顔を見てしまったことがあった。
念のため断っておくが、鏡の前でそういうプレイをしたとか最中を撮ったとかでは決してない。
ただリビングで事に及んだ時、たまたまガラス棚に自分たちの姿が映っていたのに気付いてしまったのだ。
ソファーの上で背後から抱えられる体勢だったのもよくなかった。
激しく揺さぶられて理性も何もかも吹っ飛んでいる顔や繋がっているところが全部見えて、恥ずかしさで死んでしまうかと思った。
理屈はわからないが恥ずかしい時ほど感じてしまう俺の身体をよく知っているトリは、ここぞとばかりにめちゃくちゃに責めたててきた。
目をつぶってもよみがえる自分の痴態は本当に悪夢だ。
あんな顔を毎回トリに晒しているなんて、考えるだけでめまいがする。
女の子みたいにかわいくなれるとは思わないけど、トリはあんな俺でいいのだろうかと思ってしまう。



「なあ、トリ」
「何だ」
このまま寝ようかシャワーを浴びようか迷っている顔のトリに声をかける。
「正直さ、あーいう俺を見ててどう思ってるわけ?」
「……どういう?」
ぽかんと問い返すトリにもごもごと告げた。
「いや、だから、さっきみたいに…変な声出したりとか、そういうしてる最中時の俺……」
途中で聞かなきゃよかった俺のバカ!と思ったけれど、トリは意味がわからないというような表情でこう答えた。

「かわいいと思ってるに決まってるだろ」

「えっ…………?」
至極当たり前、みたいな口調で言われて呆気にとられていると、
「…………あ」
トリも口元を押さえ、あからさまに、しまった、という顔つきをしている。
そして寝室の薄暗い照明の下だけど、トリの顔がうっすら赤くなっているように見えた。
「……っていうかなんでトリか照れてるんだよ!」
「いや、つい口が滑ったというか……」
(トリのあほ!俺の方が恥ずかしくなってきた!)
いつものオヤジくさい台詞なら文句の一つも言えるのに、言ったトリが照れてるなんて胸がつまったように何も言い返せなくなる。
「……ほんとにお前、俺のことそんな風に……?」
「顔とか声もかわいいと思ってる。………というか、これ以上言わせるな」

本気だ。
トリは本気で俺のことがかわいく見えるらしい。

そう認識した瞬間、心臓が体の外に飛び出してしまいそうなほどバクバクと高鳴り始めた。
好きな奴の欲目ってこと?
それとも昔からかわいいと思ってて好きになったのだろうか。
どっちにしても恥ずかしい。

「な、何言ってるんだよ、お前は!」
「お前が言わせたんだろ、バカ」
「バカって言った奴がバカなんだからな!!」
「小学生か、お前は」

呆れるトリの顔を見て、こっそりと台詞を続けてしまった。

「……あと、かわいいって言った奴がかわいい」
「はあ?」

「バカって言った奴がバカだし、かわいいって言った奴がかわいいんだよ!!バカ!!!」

顔も頭もスタイルも良くて、優しくて、エロくて、その上かわいいなんて本当にトリはどうかしてる。
いや、どうかしてるのはもしかしたら俺の方かもしれない。

だって、こんなにトリのことがかわいく思える日がくるなんて、病気としか思えない。





「トリって変な奴だよな」
やっとのことでそう言うと、ぷっと吹き出された。
「変って言った方が変なんじゃないのか」
どうやらさっきの意趣返しらしい。
でも、確かにその通りだと思う。

誰かのことをバカみたいに好きになると、人はおかしくなってしまうようだ。




二人で顔を赤くして見つめ合っている時間は拷問のように甘く、俺は目を閉じてかわいい恋人の口付けを待った。


 

 

END

 

 

 

2011/12/17