「おとなの選択」

 

 

休日の午後、くつろぎながらリビングでビールを飲む。
キッチンではかわいい娘とかわいい恋人が仲良く夕飯の支度をしている。
ああなんと幸せな光景かと感嘆し缶ビールをもう一本開けようとしたところで、調子に乗るなと恋人の愛猫に踏みつけられた。
「これでも、お前のご主人さまのこと真剣に考えてるつもりなんだがな」
なあソラ太、と喉を撫でてやるとにゃあと曖昧な返事をして指定席で午睡を再開されてしまった。



横澤が俺の家に通うようになってからだいぶ経つ。
初めはためらいがちだったものの、日和が横澤が来るのを楽しみにしていることと、ソラ太が家にいることで抵抗は少なくなっているようだ。
もし俺が完全なる独り身だったら、あるいはあいつのガードはもっと固かったかもしれないと思うと口元が緩むのを禁じえない。
見た目とは裏腹に、人一倍情に厚くて臆病な男なのだ。
子供が来訪を喜べばそれに応えようとするし、飼い猫の居候を口実にしてやっと俺の家へと通う。
男同士でこちらはこぶ付きやもめという一見希望の薄い恋愛だが、蓋を開けてみればまるで俺たちがこうなるように仕向けられていたかのようなシチュエーションだ。
なるほど恋愛では何がメリットになるかわからないものだと不惑を間近にして俺は学んだのだった。


以前横澤にぼやかれたことがある。
あんたにうまくはめられたようだ、と。
確かに俺の最初の目的は横澤を全力で振り回すことだった。
自分の足元に何が転がっているかもわからないくらいに振り回して、あわよくば俺のペースに巻き込んでしまえばいい。
横澤にしてみれば、失恋後の不安定な状態につけこまれたようなものだったかもしれない。
お互い大人なのだから弱味につけこむことが悪いとは微塵も思わなかったが、いつか横澤が我に返って俺から離れていく、という可能性は常に頭の中にあった。
だから俺は横澤が正気を取り戻す前に足場を固めてしまうことにした。
あいつが気付いた時には、一番近くにいるのは俺になってしまえばいいのだ。
(……深みにはまったのは俺の方かもしれないな)
あれこれ手を尽くしているうちに、俺の方がこの関係にはまっていったような気がする。

たぶん、俺は横澤が自分の意志で腕の中に飛び込んできてくれるのをずっと待っていたのだ。


あの日、横澤が自ら俺を訪ねてきて、俺のことばかり考えていたと絞り出すように打ち明けられた時。
年甲斐もなく全身が喜びに浸った。
俺に振り回された末に横澤は失恋と向かい合い、考え、その上で俺を選んでくれた。
好きな相手の人生の岐路に立ち合い、そいつが自分を選んでくれる喜び。
男冥利に尽きるではないか。

例え横澤が俺から離れていくという結末が訪れたとしても、別段の喪失もなく、きっと日和といっしょに残りの半生を過ごすだけだろう。
それでも俺の手元にもう一人大事な人間が増えたことは素直にあたたかな喜びだった。
いつのまにか『放っておけない存在』から『自分の人生に迎え入れたい存在』へと変化していた。

横澤に文句を言われた時は、これが大人の手練手管だと笑ってみせたけれど、はめられたのはこっちの方だと心の中で苦笑した。
いくつになっても男は好きな相手の前では格好をつけたい生き物らしい。



ソラ太を膝の上に抱き上げてキッチンの方をうかがった。
「パパー、もうすぐご飯できるからテーブルの上片付けてちょうだい」
「はいはい」
テーブルの上を片付けるために腰を浮かすと、これ幸いとソラ太が膝の上から逃げた。
そんな俺たちの様子を横澤はやれやれという目で見ている。
水玉のエプロンがかわいいて言ったのに、俺の前でそんな恥ずかしいことできるかと自分で調達してきた色気のない黒の割烹着をつけていた。

「さてと、これからどうしましょうかね」


横澤を全力で口説き落とした自信はあったけれど、完全に自分のものになったなんて思っちゃいない。
ここからが俺とあいつの本当のスタートなのだ。
ならば、横澤隆史の恋人としての次の抱負は何かと聞かれたら?
俺は、さあ、と答えるだろう。
もう少し若ければ同棲したいとか養いたいとか意気込んで答えていたかもしれない。
だけど、人生そんな大層な目標を大声で掲げていなくても、人間生きていけるのだ。
来たるべき時に迫られる選択を誤らなければそれでいい。
この前のプロポーズだってそうだ。
出会った時からプロポーズを念頭に入れて付き合っていたわけじゃない。
でも横澤から再婚の話を振られて、俺は色々考え、色々試し、横澤しかいないという結論を出したまでだ。
あいつは呆気にとられた顔をしていたけれど、これまでの経過を踏まえれば当たり前の選択だった。
唐突ではあったかもしれないが、後悔などしていない。


「なあ、俺がお前のこと養いたいとか言い出したらどうする?」
盛り付けはひよがやるからお兄ちゃんはパパとビール飲んでていいよと言われてやってきた横澤に、そんなことを尋ねる。
「冗談じゃない」
心底嫌そうな顔をして横澤は切り捨てた。
「俺はあんたに養ってもらいたくてこの家に通ってるわけじゃねえよ」
割烹着を外してビールを手にすると日和に声をかけてから俺の隣に座った。
「まあ現実問題、お前にはまだまだウチの本売ってもらわないと困るからな」
「そーいうことだ」
迷いのない横澤の言葉に安心して、俺もビールをあおる。

気付くと横澤が少し不安そうな目で俺の方を見ていた。
「桐嶋さん、あんたまた変なこと考えてるんじゃないだろうな」
「変なことって?」
「……だから再婚とか……ひよに母親……とか」
歯切れの悪い言葉をつむぐ横澤の態度で、誤解をさせてしまったことに気付く。
俺のプロポーズに、仕事よりも俺の家のことを考えてほしいという意味が含まれていないか心配になったのだろう。
もちろん横澤が俺たち家族と暮らしてくれるのならこれ以上嬉しいことはないが、あいつの人生を俺に捧げてほしいわけじゃない。

「悪い。そんなに深い意味じゃなかったんだ」
「あんたはいちいち思わせぶりなんだよ」
ほんの少し照れたように怒る表情で、けっこう真剣に受けとめてくれていたのだとわかった。
こういう真面目なところも好きなところだったりする。

「だけど時々、あの暴れ熊が俺の家で甲斐甲斐しく料理を作る生活に甘んじることになったら会社の奴らは何て言うだろうなって考える時もあるな」
エプロン姿だけであの反応だ。
想像しただけで笑いがこみあげてくる。
そんなことを言うと、横澤は露骨に眉間に皺を寄せた。

「念を押すけどな、ひよはもちろん会社の奴らにこのことは絶っっ対、言うなよ!?」
「うん?あのことって?」
「だからあんたとこういう関係になっちまったってことをだな」
「その言い方、なんかやらしくていいな」

「………………………死ね」

横澤は俺のビールをひったくり、どすどすと足音を立ててまたキッチンへ戻って行ってしまった。




愛しい人間を自分の腕に囲い守ってやることは男のロマンかもしれない。
だけどあいつはおとなしく守られてくれるような奴じゃないし、今の俺ならそんな関係もいいかな、と思える。
これから俺たちはどうしようか。
その問いも、口に出してみると思うよりも深刻な問題ではない気がしてきた。
この先の人生何があるかわからないけれど、あいつが俺を選んでくれたように、俺もあいつを選ぶだろう。
そうやって、選択を積み重ねながら進行方向を決めていけばいい。

あいつと俺と日和と、三人で。



ただよってくる夕飯の匂いにひたっていると自分を勘定に入れるのを忘れるなとソラ太に頭突きされたので頭を撫でて機嫌をとり、申し訳程度の手伝いをするためにキッチンへと向かった。


 

 

END

 

 

 

2011/11/22