「秋の夕暮れ」

 

 

ごりごりと縁側で秋の風に吹かれながら栗を剥く。
向かいに座って同じように栗を剥いているのは、トリの母親だ。
ただしおばさんは俺に栗用のハサミを貸してくれて、自分は包丁で剥いている。
漫画家さんの手に怪我はさせられないものね、ということらしい。
例え俺が漫画家じゃなかったとしても、包丁であんな器用に栗の皮が剥けるとは思わないけれど。
野菜一つ切るのにも苦労する人間だということは十分理解している。

縁側から奥の台所の様子をうかがうと、トリが夕飯の支度をしている音が微かに聞こえてきた。
トリの作る夕飯を楽しみに、俺はまたせっせと栗を剥くのに励んだ。



親戚からたくさん栗をもらったから取りにいらっしゃい、とおばさんからトリに電話があったのは一昨日のことだ。
生栗を送ってもらっても、剥いて調理をしているような時間があまりないので、それならいっそ帰ってきたらいいということになったようだ。
その電話を聞いていた俺が、自分も栗を食べたいと言うと、一緒に来るかと言われた。
「うちの家族だけで食べるには限界があるからな」
そうして、帰ったらちゃんと仕事をすることと、俺も手伝いをすることを約束してトリにくっついて羽鳥家へやって来た。
ただし俺もトリの実家に来ていることは自分の親には言わないでいてもらうつもりだ。
普段から帰ってこいコールを無視し続けているくせに、トリの家には行っていることを知られれば何を言われるかわかったものではない。
トリ目当てに千夏にうるさくされるのも、なんかイヤだし。



トリの家に着くとおばさんがあらかじめ三分の一くらいを剥いておいてくれ、これを栗ご飯にしてちょうだいとトリに言った。
一人暮らしを始めてからめきめきと料理の腕を上げた息子にご飯を作らせるのが楽しいらしい。
俺と違ってトリは反抗などせず、栗ご飯をはじめ夕飯を全て作ることを引き受けた。
「じゃあ、千秋ちゃんは私と一緒に残りの栗を剥くのを手伝ってちょうだい」
「あ、は、はい」
そんなわけで、俺はおばさんと向かい合って縁側で栗を剥くことになったのだった。


栗といえば食べるばっかりで生栗なんて触ったこともなかったけど、四苦八苦しながらおばさんに教えてもらってどうにか剥けるようになった。
ハサミを使えば包丁よりは楽だけど、それでも手を滑らせると怪我をしそうでこわい。
うんうん唸りながら慎重に一つ目を剥き終えると、おばさんはその調子だと誉めてくれた。
うちの母親だったら身がえぐれている不恰好な出来上がりを見て散々なことを言うだろう。


「息子に夕飯の支度をしてもらえるなんて、育てた甲斐があったわねえ」
トリが立ち回っているであろう台所の方を見て、おばさんが言った。
喜怒哀楽をあまり表に出さないトリと比べて、おばさんはおっとりとした人でいつもにこにこしている。
そんな母親になんとなく頭が上がらないのだと昔トリは言っていた。
「でも、トリは子供の頃からしっかりしてたじゃないですか」
叱られてばっかりの俺と違って、トリは宿題も家の手伝いもちゃんとやるような子供だった。
芳雪くんと比べてどうしてあんたは……、というのがうちの母親の説教における決まり文句だった。
そんな風に常に比較されていたらトリのことを嫌いになってしまいそうなものだけど、俺は小さい頃から変わらずトリが一番大事な友達だった。
「確かに小学校にあがる頃にはしっかりした子だったけど、昔は人見知りで引っ込み思案だったわよ」
「ええー?トリがですか?」
そんなことを言われても、全然想像がつかない。
気付いた時にはトリはもう俺の身の回りのことを色々口うるさく指摘してくる母親のような奴だった気がする。
宿題が終わらないと泣きながらトリの家に駆け込んだことも一度や二度じゃない。
そんな思い出話をすると、おばさんはくすくすと笑った。

「ほらあの子、小さい頃は千秋ちゃんとばっかり遊んでたじゃない?」
「そうですね」
「だから小学校の入学式の前、行きたくないなあって顔してたのよ」
「うそ!」
それが嘘じゃないのよ、とおばさんは可笑しそうに言った。
俺は今でこそ引きこもりの人見知りだけど、ピカピカのランドセルを抱えて入学式を楽しみにしてたと思う。
だけど言われてみれば、入学式の前の日に楽しみだな!とトリに言ったら、微妙な表情で頷かれたような気もする。
「だから私、あの子に言ったの。小学校に行ったらたくさん友達できるわよ、って。そしたら芳雪なんて言ったと思う?」
「なんて言ったんですか?」
「『千秋がいればいい』って。私もうおかしくって」
「へ、へー………」
うっかりここで赤面してしまわないように、呼吸を整えておばさんの話に耳を傾ける。
28年間俺のことが好きだった、というトリの言葉が急に現実感を伴って俺の胸に突き刺さった。

浮かない顔をしているトリに、おばさんはこう言ったのだそうだ。


そんなこと言ってると、千秋ちゃんはすぐに他のお友達と仲良くなっちゃうわよ。
これからは自分のことだけじゃなくって、大事なお友達のことを考えてあげられる子になりなさい、と。



それまではいつも俺がトリの手を引っ張ってあちこち連れ回していたのに、翌朝小さな体に大きなランドセルを背負ったトリは自分から俺の手を引いて小学校に向かった。
俺はバカだから何も気付かなかったけど、この時トリの中で何かが変わったんじゃないかと思う。

「だから芳雪がしっかりしてるっていうんなら、それはきっと千秋ちゃんのおかげだと思うの」
ね?と微笑みかけるおばさんの目を直視できずに、俺は栗剥きに一生懸命なふりをした。
(なんか……恥ずかしい……)
トリの言葉で直接好きだと言われるのも未だに照れるけど、誰か他の人の言葉を介してトリの気持ちを知るのはまた別な恥ずかしさがある。
それに今のトリの性格は、俺が原因だったかもしれないだなんて。


そうやって悶々しているうちに栗は全て剥き終わり、俺は剥き身の栗が入ったカゴをトリのいる台所まで運んだ。




「ずいぶん早かったな」
俺から栗を受け取ったトリは、煮物の火を止めて栗の下拵えを始めた。
割烹着を着て台所に立つトリを見て、なるほど自分が母親だったらこんな息子に育ったらさぞ嬉しいだろうと思う。
炊飯器からはおいしそうな栗ご飯の湯気が立ち上っていた。

「おふくろと何の話をしてたんだ?」
つまみ食いしたそうな俺の表情を目ざとく見つけたトリは、小皿に煮物を乗せながら俺に尋ねた。
「ん?トリの小さい頃の話聞いてた」
ニヤニヤしながらそう答えると、トリは渋い顔をした。
「……何か……余計なこと聞いてないだろうな……」
「さあね?」
熱々の煮物を頬張ると、トリは大袈裟にため息をつく。
おばさんから話を聞いている時は照れたけれど、知らなかったトリの一面を知ってちょっとだけ優越感にひたることができた。
俺にとってトリが特別なように、トリにとってもまた俺は特別だったのだという事実はくすぐったくて落ち着かないけれど。

俺たちが剥いた分の栗は、水煮にして持って帰りお菓子にしてくれるらしい。
栗きんとんとマロングラッセとモンブランと、俺は選べなくて困ってしまった。

「なー、トリ」
「なんだ」
「古民家買ったらさ、栗植えようぜ」
「………すぐに実はならないだろ」

「俺たちがおじいちゃんになるまでには、いっぱい食べれるようになってんじゃねーの?」

俺がそう言うと、トリはそうかもな、と笑った。




トリとこんな関係になってしまったことで、トリの親に申し訳なく思う気持ちはどうしようもない。
だけどさっきの話を聞いて、やっぱり俺にはトリじゃなくちゃダメだと思う気持ちがますます強くなった。
それからさっき聞いた小さい頃のトリのように、俺もトリと一緒にいるために変わらなくちゃいけないのかもしれない。

(俺もいつかはトリのために……?)


今は言えない言葉を飲み込んで、夕飯の支度ができたことを告げるために縁側へと駆け出した。


 

 

END

 

 

 

2011/11/06