「愛してるとか言わないし」

 

 

俺の特技は一言でいえば『読むこと』だ。
当然丸川書店専務取締たるもの本を読むことは当然のスキルとして、金の流れ、流行、相手の思惑、俺に読めないものはないと言っても過言ではない。
もちろん空気だって超読めちゃう男だ。
社内では専務はおそろしく空気を読まない男だと評判らしいが、読めるから敢えて読まないという芸当ができるに決まっているではないか。


そんな俺が唯一読めないのが、常に側にいるこの男。
子供のころから下僕としてはべらせてきたにも関わらず、何を考えているやらいまだにさっぱり、という体たらく。
それでも優秀で忠実な男なので秘書としては何も問題はないのだが、非常に個人的な事情で大問題だったりもする。


だって、この世で一番好きで好きでアホみたいに好きな相手の考えていることだけがいつまでたってもわからないとか一体なんの罰ゲームなんだよ!!…と、まあそういう大問題なわけである。







睡眠時間の足りていない頭を朝のシャワーで無理矢理目覚めさせ、のろのろとスーツに着替えて玄関のドアを開けるといつものように朝比奈が控えている。
「おはようございます、龍一郎様」
「……お前さー、いつも思うんだけど鍵持ってんなら部屋ん中入ってくりゃいいだろうが」
「部屋に入ったところで別段することもありませんので」
「寝込み襲ってくれてもいいんだけど」
そう言って、効かないとわかっている挑発的な顔。
眉が数センチでも動けば大したもんだ。
わかってるわかってる。


「私がここへ迎えにきているのは龍一郎様を遅刻せずに会議に送り届けるためですので」
だよねー、と俺は今朝もおとなしく車へ乗り込んだ。





まだ車の少ない時間帯、高級車の中に二人っきりの俺と朝比奈。
俺は会議の資料を片手に、朝比奈は黙々と運転している。
ねえほらおかしくね??いやおかしいだろ。
それとも俺と朝比奈じゃ恋人同士のスウィート・モーニングは高望みってか。
ていうか腐っても恋人の部屋なのに、することないって言われちゃったよどういうことだよ。
ああもうおかげで今朝の会議の資料が全然頭に入ってこねえ。
いやいや、これは企画書がつまらないせいだ。
もっと面白い企画書上げてきたならこんなに朝っぱらから朝比奈のことで悶々してるはずがない。
俺のことが好きならもっと俺の言葉に一喜一憂すればいいのに。
一人であれこれ考えて落ち込んでる俺がバカみたいだろ。
かわいげがないしムカつくし、最終的には俺が困る。
何が『私を困らせて楽しいですか』、だ。
お前こそ俺を困らせて何が楽しいんだよ!!




「龍一郎様、着きましたよ」
キレ気味に企画書をファイルに突っ込んだところで朝比奈が冷静に声をかけてよこした。
気付けばあっという間に丸川の玄関前に到着していた。
「あーあ、会議サボっちゃおっかなー」
「そのようなことは一度でもサボってから仰ってください」
口先だけで子供の頃からサボリをしたことなんてないくせに、とばっさり切り捨てられた。



別にこいつが俺に甘いことを言う奴じゃないことはわかってるし、むしろ俺もそれくらいの方が気持ちいい。
お世辞なんか言われても気持ち悪いし、正直睦み言の類があいつの口から飛び出してきたら俺は逃げてしまうんじゃないかと思う。
俺のこの性格を知り尽くしてるから朝比奈はこういうことができるのだけれど、
だけどたまにはあいつが望んでいることをちょっとくらいヒントでいいから教えてくれたっていいと思わないか?






朝比奈の『欲』が見えないから俺はいつまで経ってもガキみたいな不安に陥ってしまう。



「今日の夜って何か予定あるのか?」
「いえ、龍一郎様のご予定がそのまま私の予定ですから」
事も無げに答える朝比奈。
いつもそうだ。
朝比奈の行動は全て俺ありきで成り立っていて、あいつの恣意なんて欠片も入っちゃこない。
常に朝比奈薫という男は俺のためだけに存在しているからだ。
だけど俺はそれじゃ物足りない。
朝比奈が俺のためだけの存在だなんて、そんな当然のことだけじゃ満足できない。
俺があいつに求めるように、俺のことも求めてほしい。
欲しがってるのが俺だけじゃないことをもっと俺に教えてほしい。
一方的に尽くして終わりとか、そんなのお前の自己満足だろ?
俺だってお前が望むことなら全部叶えてやりてえんだよ!

「……たまにはお前の方から俺の予定聞かねーの」
「と、言われましても全て把握しておりますので」
「知っててもだ!」

俺の機嫌が直るまで出社しないことを危惧した朝比奈は軽くため息をついて、わかりました、とパーフェクトな台詞を言い放った。



「龍一郎様、もし今日の夜ご予定がなければ私と二人で食事に行っていただけませんか。その後私の部屋に来てくださるととても嬉しいです」



パーフェクト過ぎてとても腹がたつ。
俺がなんでイライラしてんのか全部わかってんじゃねーか。




「これでいいでしょうか」
「本当にそう思ってるのかよ」
「思ってますよ。わりと常に」


悔しさがおさまらなくて黙り込んだ俺に、朝比奈が返事をうながす。
わかったよ、と投げ遣りに言うと、ありがとうございますと柔らかく微笑まれた。


はいはい、わかってますよ。
俺は朝比奈のこの顔が見たくてしょうがなかったんだってこと。
人の心の機微を読むのが得意な俺が、どうやったら朝比奈の喜ぶ顔が見られるのかが全然わからなくて朝の貴重な時間を無駄にして子供みたいに拗ねたりわめいたり。
朝比奈の欲がもっとわかりやすければ、こんな泥臭い真似しないで済むのにな。




「とりあえず機嫌は直ったようで何よりです」
「ああ、おかげさまでな」




そして朝比奈は本当に不思議そうな顔をして俺に尋ねた。
俺達は一応付き合って10年は経つのだが、そのことをお忘れなのですか、と。






「だってお前、愛してるとか言わないし」

「あなたは全てご存じだと思っていましたから」



知ってるんだけど、さ。









 

END

 

 

 

2011/09/11