「休日トライアド(後編)」

 

 

「吉野、気付いたか?」
「んー………、あれ?なんで俺ここに……」
「歩いてる最中にぶっ倒れて、俺と羽鳥がタクシーで連れ帰ったんだよ」

呆れ顔の優に、少し怒っているようなトリ。
でも、二人にすごく心配をかけてしまったことはわかる。
起き上がろうとすると二人掛かりで制止され、おとなしく布団へ戻った。
特別体調が悪いようには思えなかったけど、ご飯をろくに食べないままぐるぐる考え事をしていたせいで、脳がエネルギー切れを起こしたのかもしれない。
運動不足のせいも多分にあるんだろうけど。

 


「やっぱ、俺が押し掛けてきたのメーワクだった?」
いつもと変わらない穏やかな表情で、優が言う。
その言葉にギクリとしたのが自分でもわかった。
「なんか朝から千秋、考え事してるみたいだったし」
「……そういうわけじゃないんだ」
別に優が迷惑だったわけじゃない。
俺が勝手にうだうだ考えていただけだ。
そんなやりとりをしている俺たちを、トリは黙って眺めている。
気の聞いた言い回しができずにもごもごと言い淀んでいると、優の方から声をかけてくれた。
「じゃあ、また何か一人で突っ走って考えてたんだろ。もしかして俺に気ィ遣ってたりする?」
「あ、えっと……」
思わせぶりな視線で俺とトリを交互に見つめると、優はぽんぽん、と俺の頭を軽くたたいた。
「まっ、確かにこの状況じゃしょうがないか。俺この前フラれたばっかだし」
「そんな、」

「でも、俺は決めたんだ」
そう言って、優はニッと楽しそうに笑った。

「千秋のことはすっぱりあきらめた。でも、千秋のことは好きだから友達は続けたい。千秋の側も離れない」
「優……」
てっきり俺の態度を責められるかと思っていたのに、優はどこまでも優しかった。
「ダメ?」
「ダメじゃない!ていうか、優はそれでいいの?」
「へえー、千秋は俺と友達やめたいわけ?」
「……やめたくない」
俺の返事を聞いて、優は満足そうにうなずいてくれた。
「あ、でも」
「?」
思い出したように優はトリの方を指差し、こう言い放った。
「羽鳥のことはきらいだから、邪魔はする。それだけは覚えといて」
「ゆ、優!?」
おそるおそるトリの表情をうかがうと、眉間に皺を寄せてため息をついていた。
怒るというよりは呆れているみたいだ。
「ただ俺はこいつきらいだけど、こいつも俺のこと嫌いだから、千秋は気を遣わなくていいよ」
「そ、そんなこと言われても」
な、羽鳥?と優はトリにも笑いかけた。

 


結局優は、俺の体調では観光を続けられないのと、用事があるからと言って、夕方の電車で帰っていった。
俺たちの見送りを断って、でも、しっかり欲しいお土産のリストは手渡して。

「帰っちゃったな」
「……寂しい?」
「ん、そーゆーわけじゃないけど」

夕飯の時間まで寝ていろとトリに言われたので、なんとなく会話もないまま布団の中でごろごろしていた。

 

 

 

 


夕食を食べたあとも、俺はまた布団の上でうとうとしていた。

さっきの優の態度で昼間のもやもやが少し解消されたのか、夕食はトリとちょっとだけお酒も飲みながら料理に舌鼓を打った。
給仕をしてくれた旅館の人に体調を心配されたけれど、理由が理由なので笑ってごまかした。
(部屋のことも気にされてないっぽいし)
今朝のあの惨状を見られたのはやっぱりいたたまれないけど、特に変な目で見られることもなさそうだ。
それがプロというものかもしれないけど。
「どうした、吉野」
「いやー、えーと、ご飯おいしいなーと思って」
「そうだな。今日はお前と飯が食えてよかった」
ごまかし方がわざとらし過ぎたような気がしたが、トリはそう返事しただけだった。
別に嫌味ではなく、俺とご飯を食べているのが本当に嬉しいというような顔をしていたので、こっちの方が照れてしまう。

 


ちょっとアルコールが入っただけなのに目蓋が重くなってきた俺に、トリは横になってろと言ってくれた。
結局今日は優と三人で観光だったし、挙句の果てに倒れた俺の介抱で一日が終わってしまったというのに、トリは文句を言わない。
(あんなに不機嫌だったから、嫌味とか言われるかと思ったのに)
体調の悪い俺に気を遣ってくれているのだろうか。
もしそうなら、トリにはすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
その上俺はちゃんと謝れてもいないし。
でも『二人っきりになれなくてごめん』みたいなことを言うのもまだ恥ずかしい。
悶々としているうちに本格的に睡魔に襲われ、枕に突っ伏して寝息を立てていた。

 


「そういえばトリ、どこ行ったんだろ」
ふと目を覚ますと部屋の中にトリの姿が見当たらなかった。
まどろんでいたせいで、トリがどこかに行ったのにも気付かなかったらしい。
「あ、」
一生懸命記憶をたぐると、さっき横になっていた俺に、風呂に入ってくると言っていたような覚えがあった。
よく見るとクローゼットからタオルを出した形跡がある。
(大浴場なら俺も誘ってくれればいいのに)
自分のことは棚に上げてトリに心の中で文句を言ってみたけれど、トリがいないとわかると急に寂しさに襲われた。
自分の勝手さにあきれつつ、なんとなく目も冴えてしまったので、俺も風呂に入ることにした。
せっかく内湯のついている豪華な部屋なのに、堪能せずに帰るのも勿体ない。
適当に着替えとタオルをつかんで脱衣場に向かう。
(結局トリと温泉入ってないな……)
昨日と今日の出来事を思い出しながらぽいぽいと服を脱ぎ捨てて、内湯へのドアを開けた。
夜の風がひんやりして気持ちいい、と思った瞬間だった。

「吉野?」
「とっ、トリ!?」

びっくりし過ぎて思わず声が裏返ってしまったが、そんなことはどうでもいい。
全裸で立ち尽くしている俺の目の前で、トリが呑気に温泉につかっていた。
「あれっ?ていうかお前大浴場行ったんじゃねーの?」
「風呂に行くとは言ったが、誰も大浴場とは言ってないだろう」
トリは至極冷静だった。
「そこに俺の服があるのが見えなかったのか」
慌てて脱衣所に戻ると確かにトリの脱いだ服がたたんである。
考え事をしていたせいでうっかり見逃したんだろう。
咄嗟にどうしたらいいかわからず、その場で口籠もってしまう。

「えーと………」
「………」
「………お邪魔しました」
「どうしてそうなる」
とりあえず部屋に引っ込もうとした俺に、トリの突っ込みが入る。
そりゃあ別に異性ではないのだから、いっしょに入ったところで何の失礼もないのだが、
(俺が緊張するんだよ―――――――!)
要するにそういうわけである。

「そ、それじゃあお邪魔します……」
ぎくしゃくと歩きながら、そっとトリの隣に並んだ。
びくびくする意味が自分でもわからないが、とにかく手足が普段のように動かない。
こんなことなら昨日変なこと考えるんじゃなかった、と昨日の俺を恨んだ。
トリといっしょに入った方がいいのか云々を考えていたせいで、必要以上に現在のシチュエーションを意識してしまう。
(普通に!普通にしてればいいんだよ!ただ温泉入ってるだけなんだから!)
懸命に自分に言い聞かせても、心臓が全然言うことを聞いてくれない。
このままじゃ鼓動が波になって、隣のトリに伝わってしまう。

心臓を鎮めるために深呼吸をして、顔の半分だけ出してお湯の中に沈んでみた。

 

 

「月」
「え?」
「ほら、満月」

トリが小さく指差すので夜空を見上げると、周りの星が霞むくらいに月が大きく輝いていた。
思わず俺も感嘆の声をあげた。
「すげー!さすが露天風呂!」
「今日は天気もよかったしな」
しばらく夜空を眺めてはしゃいでいるうちに、少しずつ落ち着いてきた。
俺に話し掛けてくるトリの声が優しいせいかもしれない。
今しかない。
そう思った俺は、意を決して口を開いた。

「あのさ………優の話して、いい?」
「……ああ」
横目でうかがったトリの表情に険しいところはない。
大丈夫、話せる。
自分を励まして、俺は言葉を続けた。

「昨日、トリがいなくてつまんなくて優にメールしたんだ。だから俺が寂しいかと思ってきてくれたんだと思う」
トリは黙って聞いていた。
「俺もびっくりしたけど、でもたぶん俺がまた軽率だったんだと思う。だから……ごめん」
そこまで言って言葉を切り、トリの返事を待つ。
沈黙の時間が、俺にはすごく長く感じられた。

「いいよ、俺も怒ってたわけじゃないから」
「トリ……」
トリの方へ向き直って表情を確かめたけれど、怒りの色は見えなかった。
「柳瀬がいることにはムカついてたけどな。まあそれもあいつじゃないがいつものことだろ」
「うん、まあ、そうかもしれないけど…」
トリにとってはいつものことで済ませられるのだろうか?
「別に俺に気を遣わなくても……」

「というか、俺も考えてたからな」

「えっ?」
「お前、昼間柳瀬と俺のこと考え過ぎて倒れたんだろ」
ズバリと指摘されて俺は言い返せなかった。
こういう時に限ってトリは鋭いのだ。
俺があわあわとうまく返事をできずにいると、トリは訥々と話を続けてくれた。
「お前がちゃんと俺と柳瀬に対する気持ちに区別をつけてくれてるのは知ってる」
「……うん」
「だから、俺の嫉妬だけでお前から友人を取り上げるような真似はできないとわかっているんだが、頭でわかっていてもうまくいかなくてな」
「そんな、トリは、」
トリは優が関わると過剰なくらいやきもちをやくとは思っていたけど、基本的に俺と優の間柄を尊重してくれてると思う。
優と気まずくなったあとの史上最悪の修羅場の時だって、わざわざ優に頭を下げて来てくれるように頼んだのはトリだ。
だからトリはトリで、優のことは割り切ってると思っていた。
トリは俺よりもずっと冷静で大人だと思っていたから。
でもトリも俺と同じ、いや、それ以上に優と自分のことで悩んでいたのだ。

 

「俺、二人にすごい甘えてるよな」
唇を噛んでそう呟く。
今まで当たり前だと思っていたこの関係は、たぶん二人が俺にそれを悟られないように維持してくれていたものなのだ。
当たり前だと思っていたから、この先もずっと続く気がしていた。

うつむいていると、とん、と頭の上にトリの手のひらが置かれた。
「いいんだよ。あいつも俺も、そうしたくてやってることだから」
「だって、これじゃあ俺が何にも考えてないわがままなバカみたいじゃん」
「そのバカでわがままな奴を好きになったのが運のツキ、ってやつじゃないか?」
「あ、ひでー!」
俺の自虐を全く否定しないトリに文句を言うと、二人で顔を見合わせて爆笑した。

 

 

「吉野」
ふいに、お湯の中で俺の右手にトリの左手が重ねられる。
そして、俺の顔を覗き込むようにしてトリが言った。
「キス、してもいいか」
真摯な声に、心拍数が跳ね上がる。
「いい………けど」
語尾が消えそうな俺の返事を待たずに、トリの唇が押し当てられた。
夜風で冷えた唇に、トリの体温が気持ちいい。
「ん……ふ…」
すぐに忍び込んできた舌に、自分のそれを寄り添わせるように絡めた。
唾液を啜られるようにして舌先を吸われるとひとたまりもない。
「っふ……ぁ……はぁ」
息が続かなくなった頃ようやく唇が離れ、俺は荒い息を整える。
視線を上げると、トリはまだ俺の方を見つめている。
それを見て、言おうか言うまいか迷ったけれど、ぼそぼそと俺はトリに告げた。
「つ、続きは部屋戻ってから、だからな」
一瞬トリは虚を突かれたような顔をしたけれど、わかった、と言って微笑んだ。

 

 

 

翌朝月曜日は、トリが昼には出社したいというので、チェックアウトギリギリまで寝ているわけにいかず、ちょっと早めに出発した。
次のまとまった休みはいつになるか見当もつかないので、余計に帰るのが名残惜しい。
もちろん仕事を上げるペースが早くなれば余裕もできるんだろうけど、自分にそれができるかはすごく疑問だと思う。
まあでも、またこうやってトリと旅行に行くことを目標にすれば頑張れるかな、と俺は伸びをした。


電車の時間まで駅の売店をぶらついていると、トリが編集部にお土産を買っていないと言い出した。
何か適当に買っていけよと俺が言っても、なぜかトリは躊躇っている。
「温泉地の土産なんて買っていったら何て言われることか…」
「?別にトリが温泉くらい行ってもいいじゃん」
「『吉川千春と』か?」
「あーそれは……」
取材旅行でもないのに、女性(だと思われている)作家と二人旅なんていったら、外聞は悪いだろう。
だけど、俺としてはエメラルド編集部の人には毎回迷惑をかけているので、気持ちだけでも何か渡してほしい。
どうしたものかと頭をひねっていたら、いいアイデアを思いついた。

「高野さんに渡せばいいじゃん!高野さんなら俺からって言っても別にいいだろ?そんであとはうまく言ってもらってさ」
得意げに俺がそう提案すると、トリはさらに困ったような顔をした。
何か高野さんではマズイ理由でもあるのだろうか。
「え?何か問題?高野さんって人のことからかったりとかしなさそーじゃん」
「………」
「なんだよ、そのため息はー!」
とにかく俺の気がすまないと言って、俺が一つ適当なお菓子を買ってトリに押し付けた。
渋々といった様子で受け取るトリに、ちゃんと渡せよ、と念を押す。

 

 

 

行きとは違って、帰りは快速に乗って帰ってきたので、発車すると1時間も経たないうちに見慣れた風景に戻ってきてしまった。
本当にあっという間だった、と風景を眺めながら車窓にもたれかかる。
「トリ、またどっか行こうな。今度はドーンとまとめて休みとってさ」
「はいはい。ま、いつになることやら、だけどな」

 

次の約束を二人のお土産にして、また仕事に追われる日々へと帰ってきた。

 

 

 


END

 

 

 

 

2011/06/26 発行

2011/07/09 再録