「うーん、やっぱり大風呂敷広げ過ぎたかな〜」 「先生、手を動かしてください」 「はいはい、わかってるって!」 ペン入れをしながら今後の展開について頭を捻っていると、アシスタントの女の子から容赦ない指摘が飛んできた。 確かに考え事をしていると手が疎かになってしまいがちだけど、それでも最近はだいぶ気をつけている方だ。 それに締め切りまでにはまだ余裕があるんだから、と言おうとして口をつぐんだ。 そんなことを言ってギリギリになって大変な目にあったことが一回や二回ではないことを彼女たちは知っているので、言い返されるのがオチだ。 ここはおとなしく作業に戻るのが得策だろう。 アシスタントとはいえ、長い間この仕事をしてもらっているので、もはや俺に対して遠慮はほとんどない。 とくに最近は、 (なんか物言いがみんなトリに似てきた気がする…) 毎回トリに説教をされる俺の姿を見て、俺にはあれくらい言ったほうがいいのだとでも思ったのだろう。 アシスタントたちが作家である俺ではなく担当のトリの味方をするのはなんだか納得がいかないが、トリに言わせるところの『日頃の行い』だそうだ。 そんなわけで作家としての立場を挽回すべく、ひどい修羅場には持ち込まないように頑張っている次第、というわけである。 「で、どうしたんですか?」 「いや、次回の展開なんだけどさ…」 今やっている連載がだいぶ佳境に入ってきたのだけれど、ヒロインとその相手の距離をどうやって縮めようかと頭を悩ませていたのだ。 恋愛モノの醍醐味は、気持ちが近づいたと思ったところですれ違うハラハラ感にあると思うのだけど、何となくそれをやり過ぎてしまった感がある。 もちろんそれはそれで見せ場なので、読者の子たちからもドキドキしましたという嬉しい声をもらったりもするのだが、 (一筋縄ではくっつきそうになくなってしまった…ような…) あまり焦らし過ぎても今度は逆効果になったりもする。 この前の打ち合わせでも、そろそろ関係を一段階進めるような展開が欲しいと言われたところだ。 (距離を縮めるエピソード、ねえ) これまで散々すれ違いをさせておいたので、よっぽど強力なイベントを起こさないと二人の仲を伸展させられないような状況に追い込まれてしまったのだった。 「こう…ぐっと仲が深まるようなシチュエーションがねー。どうすればいいかな〜って」 「何かしら案はあるんですか?」 作業の手を休めずに、アシスタントは俺に尋ねる。 俺もペンを動かしているのであまり深く考えずに意見を言った。 「なんだろうなあ。やっぱいきなりキスとか押し倒すとかはダメかなー」 一瞬、仕事場の空気が氷点下まで冷え込んだ錯覚に襲われた。 「ドンびきです」 「ドンびきですね」 「ドンびきだな」 「ちょっ…優までいきなり……」 アシスタントの女の子+優が口をそろえてダメ出しをしてきた。 まあ確かに安直だとは思うけれど、ここまで冷たい口調で言わなくても良くないだろうか。 「確かに昼ドラとかではよく見るシチュエーションですけど〜」 「でも実際そんなことされて好きになっちゃうとかご都合主義ですよ」 「私だったらそんなことされた時点で冷めますね」 「ていうか先生はそういうことする派なんですか?」 「ちがーーーう!!!もうやめ!!はい!!作業戻る!!」 「………お前が話題振ったんだろ……」 そういうことはされる派だ!!という言葉を全力で飲み込んで、この話題を切り上げた。
今日の作業が終わり、三々五々アシスタントたちが帰っていったあと、俺は一人で落ち込んでいた。 理由はさっきの彼女たちの言葉だ。 (俺ってもしかして、すごく都合のいい男…?) いきなりキスされたり押し倒されたりして好きになるなんてありえない、とばっさり切り捨てられてしまったけれど、わが身を振り返ればどうだろう。 いきなりトリに襲われて、なんだかんだあって現在この通りだ。 いや別に押し倒されたから好きになったわけじゃないぞ、と思ってみても、それがなければここまでトリのことを意識することもなかったわけだし。 びっくりしたし、怖かったけど、それでもトリを嫌いになったりはしなかった。 離れて欲しくないと思った。 こんな俺を世間では都合のいい奴だと笑われるのかもしれない。 トリのしたことが罷り通るんだったら、世間では犯罪が満ち溢れてしまうだろう。
(ううーん……、でもそうじゃないんだよなあ……) ごろごろとソファーに寝転がって考える。 そして、ここで一体何回トリと抱き合っただろうとうっかり考えてしまってさらに身悶えるはめになった。 トリと付き合って一年以上経つけれど、トリだからこそこんなにちゃんと付き合える気がする。 「うん。トリだから、なんだよね」 口に出してみたその答えが、一番すとんと胸に落ち着くような感じがした。 これがトリ以外の男だったら、絶対にこんな展開にはならないはずだ。 好きになるどころか殴り飛ばしてしまうところだ。 優だってだめだった。 トリだけが特別だった。 人が聞いたら都合のいい話だと笑うかもしれない。 だけどトリは最初から、たぶん生まれた時から特別で、あの出来事がきっかけでそれがどんな種類の『特別』なのか気付いてしまったに違いない。 (最初っから好きだったのかな?) それもなんだか違う気がする。 トリのことは友達としては好きだったけれど、恋愛対象として見たことがあったかと尋ねられれば、やっぱり首をかしげてしまう。 ただし、あの一件で『好き』の方向性を曲げられてしまったのだから、そういう土台もあったのかもなあと最近は思うようになってきた。 (やっぱ都合のいい男なのかも) そう胸のうちでつぶやくと、今度は不思議と気持ちが軽くなるような気がしてきた。 自分の言葉にちょっと笑ってしまう。 きっとこういうところが単純だとトリにバカにされるのだろう。 だけど、トリはきっとそんなところも好きだと言ってくれるに違いない。 なんだかいても立ってもいられずに、携帯電話を取り出してトリに電話をかけてみる。 数コールでいつもの聞きなれた声で返事が聞こえた。 「おつかれさま。何か用か?」 「うん、次回の話のことで相談があるからうちに寄ってほしいんだけど」 「わかった。今から退社するところだからすぐに向かう」
トリの声を聞くと安心する。 俺は単純で流されやすい人間かもしれないけど、それを受け止めてくれるのがトリだから、ちょっとは自信を持っていいのだと思える気がする。 「何か買っていくか?」 「いい。まっすぐうちに来て」 「!」 いつもはあれ買ってきてこれ買ってきてと注文をする俺だから、トリは驚いたような声を出した。 だけど今日はとにかくトリの顔が見たいだけなのだからしょうがない。 通話を切ったあと、トリのことばかり考えていたのがばれないように今日の作業の続きを進めながらチャイムが鳴るのを待った。
END
2011/05/07 |