「もっと困って」

 

 

千秋がコンビニで用を足すために部屋を飛び出したあと、絶妙に間の悪いタイミングで羽鳥がやってきた。
俺、千秋、羽鳥の三人でいることはさすがに慣れたけれど、こいつと二人きりになることは今でも気分が悪い。
気分が悪いというか、どうして俺が羽鳥と向かい合わなくてはいけないのかという理不尽なイライラを感じる。
まあ、向こうも大概似たようなことを感じているんだろうけど、それにしてもムカつくもんはムカつく。

「吉野がいないなら、帰るか」
「ちょっと待ってれば?千秋なら十分くらいで帰ってくると思うし」

別に引き止めたくて引き止めているわけではないが、すれ違った千秋がトリトリと騒ぐのも面倒なので、座って待つように言った。
一日中、千秋とエアコンで適温に管理された部屋で原稿をやっていたから気付かなかったけれど、外はだいぶ暑いようで、羽鳥はシャツのボタンを数個外してソファーに腰掛けた。
そして、鞄からおもむろに手帳を取り出した。
今日は千秋とスケジュールの相談か何かなのだろう。
またここでガミガミと千秋に説教を繰り広げるのだと思うとうんざりした。
千秋を百パーセントかばうことはできないけれど、とにかく羽鳥の説教は鬱陶しい。

 


と、羽鳥が手帳を広げた瞬間、はらりと何かの紙切れが床に落ちた。
(千秋の字?)
古風な回数券のような形をしたそれには、見慣れた字で何かが書かれていた。
羽鳥が何を落とそうが知ったことではないが、何が書かれているのかが気になって、かがんでそれを拾った。
「羽鳥、なんか落とした。何これ?」
「ああ、すまない。って、おい……!!」
みるみるうちに羽鳥の顔色が変わっていく。
おもしれえと思いながらそっちを眺めていようかと思ったけれど、とりあえず先に気になった紙に書かれた文字の方を読むことにした。

「何でも言うことを聞く…券……?」

真っ青になっていた羽鳥の顔が、今度はどんどん暗くなっていく。
しかし今度は俺の方にもそれを面白がる余裕などなかった。
五、六枚綴られたそれをひらひらとかざしながら、ありったけの軽蔑を込めて羽鳥を睨む。

「お前、千秋にナニさせてんの?」
「……」

頭を抱えた羽鳥から、返事は返ってこなかった。

 

「前から思ってたけど、お前マジで変態だな」

 

 

 

羽鳥にはさっき、千秋なら十分くらいで帰ってくるだろうと言ったけれど、もうしばらくかかるかもしれない。
外は暑いようだから、千秋のことだ。
アイスかジュースをついでに買おうとうろうろしているのではないかと思う。
ならば、それまでに俺がするべきことは一つ。
目の前の、この信じられない男を糾弾することだ。
(今日こそ泣かせれらっかな)
キレさせたら千秋が帰ってきたとき一悶着あるかもしれないので、適度にダメージを与えつつ泣かせられるのがベストだ。
ほんとは蹴り飛ばしてやりたいくらいムカついているけれど、せっかく手に入ったおいしいネタを一時の暴力で使い切ってしまうのも勿体ないだろう。

 

さて何から始めようかと考えていると、俺に何か言われる前にと羽鳥が先に口を開いた。
「それは吉野が俺の家事を手伝うために作ったものだ」
その目はまったくもって真剣である。
嫌々ながら事情を説明し出した羽鳥によれば、こいつの誕生日に家事の手伝いを買って出た千秋は、張り切りすぎてすぐに眠ってしまったそうな。
それを挽回するべく、誕生日プレゼントとしてこの券を作って渡したということらしい。
「ふうーん」
「だからお前にそんな目で見られる言われはない」
やや取り乱して見えたものの、外面は冷静なこいつは体勢を立て直して逆に俺を諭してきた。
普通の人ならば、ここであっさり折れるところだろう。
だが、相手は俺だ。
そうはいってたまるものか。


「で?」
眉間に皺を寄せた羽鳥にゆっくりと問いかける。

「これ、元々何枚綴りだったわけ?」
「……柳瀬……お前……」

もはや千秋がどういうつもりでこれを作ったかは、気にしてはいない。
千秋のことだから、どうせ無邪気な顔でこれを作って羽鳥に渡したに決まっている。
そのことで千秋を責める気はないし、強いて言うならもう少し危機感を持て、ということだけなら言い聞かせたい。
俺が気になったのは、紙の端の破ったあとだ。
サインペンで書かれた点線の部分が、勢いよく千切られているように見える。

「お前、何に使ったの?」

平静を装っていた羽鳥の表情が、再び暗いものになった。
俺には言えないことだとでも言うのだろうか。
いや、十中八九そうに違いない。
こいつが千秋に何をしやがったのか、想像するだけで腸が煮えくり返る。
(やっぱ、先に手が出るかも)
ボタンを緩められた羽鳥のシャツに手をかけると、呻くような声で羽鳥が言った。


「それが………全く……覚えていない」

「……………はあ?」

 

 

力尽くで問いただそうとしたその時、
「ただいま〜」
のんきな声で千秋が帰ってきた。

「チッ」
舌打ちをして羽鳥から手を離すと、慌てて千秋が駆け寄ってきた。
また俺たちが揉めていると思ったのだろう。
「わーわー、優やめろって!」
「なんもしてねえよ」
俺を羽交い絞めにしようとする千秋の腕をやんわりと解いた。
ソファーに座ったままの羽鳥は、そんな俺たちを睨むように見上げてくる。
「まったくもう何なんだよ、今度はー」
呆れたような物言いの千秋に、問題の紙切れを差し出す。

「コレ」
「…………!!!」

千秋も面白いくらいに顔色が変わった。
「いや、それはその、トリがいっつもご飯とか風呂掃除とかしてくれるからで…っ」
しどろもどろになりながら、先ほどの羽鳥と似たような言い訳を繰り返した。
だけど、羽鳥のように冷静を保つことはできないようだった。

「これ、千切ってあるよな」
「うっ」
「しかも羽鳥は何に使ったか覚えてないんだとさ」
「……知ってる」

千秋と羽鳥の表情を見比べてみると、怪訝な顔をしている羽鳥に対して、千秋は真っ赤になっていた。
(マジで性質悪ィ)
千秋に赤面レベルのことをさせておいて、自分はさっぱりと忘れているとは。
あああもう、千秋に百遍土下座して謝らせたい欲求が抑えられない。

 

 

憤慨している俺の横で、千秋がぼそぼそと何か言った。
「なに」
「……優の嘘つき」
「はあ?何がだよ」
「トリのどこがMなんだよ!!やっぱどう見てもSじゃねーか!!」

そう絶叫する千秋を見て、俺も羽鳥も同時に額を押さえた。
千秋が羽鳥に何をされたかはこの際置いておくとして、とりあえず聞き捨てならないところだけ千秋に教えてやることにした。

「いいやMだね」
「だから、どこがだって……」
「ほら、俺が今からお手本見せてやるから。よーく見とけよ?」

 

「羽鳥のイジメ方」

 

 

ぽかんとする千秋を置いて、羽鳥の方に向き直る。
「お前が落としたものを俺が拾いました」
「…それがどうした」
頑なな態度を崩さない羽鳥に、ニヤリと笑いかける。

「お礼はこの券の一割でいいからな?」
「……!!」

机からハサミを持ってきて、ちょきんと一枚切り取った。
残りは癪だけれど、羽鳥に返した。
唖然としている千秋だったが、我に返って慌て出した。
「ちょっ、優、それどーいうことだよ!!」
「千秋は安心しろって、こいつは『羽鳥から俺に』もらったモンだぜ?」
そう言って羽鳥の方を見ると、ますます表情を険しくした。

「さて、何してもらおっかなー?な、羽鳥?」

指先でくるくると券をもてあそぶと、羽鳥の怒りが深くなっていくのがわかる。
これがたまらない、と思うのはこいつがMだからに決まってるじゃないか。
二十九年間千秋の横で我慢し続けた男だ。
これくらい、何でもないだろう?

 


「優がSなのは十分わかったから、もうやめてくれーーー!!」

千秋の叫びがむなしく響く中、俺は羽鳥の困り顔をしっかりと堪能したのだった。

 

 

 

 

 


END

 

 

 

2011/04/02