漫画家になってからというもの、季節感が全然わからなくなってしまった気がする。 活動的な人はオフの時間を見つけては外に出て、季節の移り変わりを感じているのだろうけど、俺みたいな年中引きこもりは本当にだめだ。 久々に外出なんかすると、世間の人は何を着ているのかすらわからなくて戸惑ってしまう。 それにこの仕事。 今日も打ち合わせにトリが来ていたのだが、 「はあー?もうバレンタイン企画の季節ー!?」 「仕方ないだろ。2月号はお前に頼む仕事多いから覚悟しておけよ」 「げっ、俺この前クリスマスの表紙描いたばっかじゃん!!」 今は色んな売込み方をしてるみたいだけど、バレンタインといえばやっぱり女の子のイベントだ。 とくに少女漫画雑誌はそれ以外の選択肢はないと思う。 連載の流れに無理がなければバレンタインのエピソードを盛り込み、可愛らしい付録をこれでもかと付け、特別におまけ冊子をつくったりして。 「今回のお前の仕事は3つ。付録のメッセージカードのカット、特別小冊子の漫画16ページ、それから通常の原稿だ」 「多ッ!!てかバレンタインの漫画は勘弁して!!」 「以前同じ企画をしたときに、お前に描いてほしいというアンケートが多かったんだ。引き受けてほしい」 「……エッセイ漫画じゃなくていいんだよな…?」 作家自身のバレンタインの思い出を〜みたいな要望だったら、すごく困る。 読者の女の子たちが喜ぶようなエピソードは持ち合わせていない。 (そもそも俺は男だし!!) 無茶振りにもほどがある。 「それが一番多かった読者の声が、『吉川先生のバレンタイの思い出が読みたいです♪』でな」 「無茶言うなーーーーー!!」 トリの表情をうかがうと、申し訳なさそうな顔をしている。 たぶん、俺はこの表情に弱い。 いや、弱いっていうのは別に好きとかときめくとかそーいうことじゃなくて、トリにこういう顔をさせてしまうのに弱いのだ。 だって、俺はいつも仕事でトリに迷惑をかけっぱなしで、毎回のように奔走させている。 だから、トリの頼みごとは極力聞いてあげたい。 俺が力になれることだったら、できるだけ協力してあげたい。 そう思っている。 だけど、やっぱりできることとできないことがあるわけで、でもトリを困らせるのもイヤで。 腕組みをして唸っていると、トリが心配そうに声をかけてきた。 「どうしても無理というなら、俺が高野さんに謝って変更してもらうが…」 「うう…」 ああ、またトリに甘える形になってしまう。 できる?できない? いや、何だってやればできる。 「わかった」 「吉野?」 「ネタ出しに協力してくれるんなら、……引き受ける」 「本当か!?すまない、ありがとう」 明らかにほっとしたトリの表情を見て、これで間違っていないと自分に言い聞かせた。 ものすごく難産な作業になることは予想されるけど、幸い前回の締め切りはきちんと守れたので、計画に余裕はある。 付録のカットは、キャラクターのイラスト以外は全部デザイナーさんに任せていいと言われたので、なんとかなるだろう。 あとは連載の原稿に影響がでないように、できるだけ進めておければベストだ。 どっちにしろトリに苦労させることにはなると思うけれど、俺は自分のできることをするまでだ。 「よし。色々よろしく頼むな、トリ!」 「ああ、頑張ろう」 恋人同士ということも忘れ、俺たちは固く握手を交わしたのだった。 「……無理。どんなに頑張ってもお前の話しか出てこねえ」
「……お前は……」 スポ根漫画の如く、熱く仕事の約束をした俺だったけれど、3日後には打ち合わせに使っている近所のカフェで、トリに弱音を吐いていた。 性別をうやむやにしたまま、ちょっと洒落のきいたネタくらい頑張れば思いつくだろうと思ったのだが、どんなに頭を絞っても、幼稚園から今現在までいっしょにいるこの男のエピソードばかり思い浮かんでくる。 (他人の話の方がよく覚えてるってほんとだなー) 我ながら呆れてしまう。 俺は本当に華々しいバレンタインの思い出なんかなくって、あるとすればトリや優の方だ。 毎年のように大量のチョコをもらう二人を見て、すごいなあと感心していたものだ。 カムフラージュのために俺もおこぼれにあずかることもあったけれど、そんな情けないエピソードはちょっと披露できない。 「俺の話を描いてどうする。読者はそんなもん望んでないぞ」 「そんなことないと思うけどなー」 トリのことが好きで思いつめた女の子に泣かれたり、トリの彼女になぜか俺がキレられたり、おもしろエピソードは意外に事欠かない。 謎の手作りチョコを二人でビクビクしながら食べたこともある。 もし俺が女性作家だったら、男前な幼なじみとのドタバタ・バレンタインエピソード、なーんてものもけっこう面白いんじゃないだろうか。 (あーでもちょっと自慢っぽくなっちゃうかも?) この辺のエピソードは俺が男だから面白いんであって、異性だったら逆に反感を買ってしまうかもしれない。 しかもオチは、『色々あったけど、そいつが今では恋人です☆』である。 (うおっ、俺なんかすごいイヤなキャラかもしれん!!) しかもよくよく思いだしてみると、トリに彼女がいた時期にもトリの手作りチョコを食べていたような気がする。 これはありえない。 こんな話を描いたら読者人気もあというまにガタ落ちだ。 「やっぱダメかな」 「ダメだな。というかそんな原稿を柳瀬が手伝うとも思えん」 「確かに…」 トリがモテていた話を優になんか見せたら、機嫌が悪くなること間違いなしだ。 それじゃあ優の話はどうかと言い掛けて、察しのいいトリが眉間に皺を寄せたので慌てて口をつぐんだ。 「なんかいいアイデアない?」 「そうだな……。昔、チョコを千夏ちゃんの代わりに同級生に渡してたことがなかったか?」 「ああ、そういやそんなことあったっけ」 小学生の頃、千夏が俺の同じクラスの男がかっこいいからと言って、チョコを渡すように頼まれたことがあったのだ。 そんなこと、俺自身すっかり忘れていた。 「あはは、あの時は前日もけっこう大変でさ」 チョコは千夏が作ったのだが、お兄ちゃん絵が得意でしょ、と言われてメッセージカードは俺が手伝わされたのだ。 小学生だったので普通にお礼を言われておしまいだったのだが、チョコよりもカードの方を喜ばれてしまい、千夏に家でボコボコにされたのだった。 たぶん千夏も忘れていることだろう。 トリはよく覚えていたものだ。 「お前、そんなつまらないことよく覚えてたな」 「羨ましかったからな」 「何が?千夏のチョコ?」 「いや、お前の描いたメッセージカードが」 「……ッ!!」 しれっとそんなことを告げられて、思わず俺は飲みかけのアイスティーを吹き出した。 口元を拭いながら、今の話を落ち着いて考えてみる。 細部を少しギャグっぽくすれば、吉川千春のエッセイ漫画としては十分ではないだろうか。 「トリ、どう思う?」 「ああ、いいんじゃないか」 「よおっし!」 簡単にプロットをまとめて、その日の打ち合わせは終了した。 あとはきちんと締め切り通りに原稿を上げるだけだな、と帰り際に釘をさされた。 「締め切り守ったら、何かいいもんちょーだい」 「馬鹿。締め切りは守るのが仕事だ」 言ったそばから頭を叩かれた。 頭頂部をさすっていると、ちょっと考えてからトリが言った。 「そうだな、締め切り守れたら来年のバレンタイは予約必須の限定有名チョコを並んで買ってきてやる」 「やった!!マジで!?」 食べたいけど並ぶ暇がないとぼやいていたのを覚えていてくれたようだ。 こういう性格だから、バレンタインはトリの思い出ばっかり貯まっていくのだ。
決してのろけてるわけじゃなくて、これが俺とこいつの関係だからしょうがない。 さすがに読者に披露できる日はこないだろうけれど。 「そのかわり、締め切り破ったら俺にチョコだ」 「お前甘いもの苦手じゃん」 「じゃあ、キス」 「……!!」 キスじゃ罰にならねーよ、と言ってやると、こっちが恥ずかしくなるくらいの笑顔でほほえまれた。 END 2011/02/13 |