実家の近くの小さな神社は神主がいるわけでもなく、少し寂しい場所にあって、いつもと変わらない様子で佇んでいる。 正月だからといってお参りに来る参拝客もほとんどおらず、人気のない境内は静かにスケッチをするにはうってつけの場所だった。 「最近の小学生は凧上げもしないんだな」 ぼんやりと電線で縁取られているだけの青空を見上げると、俺のひとりごとに相槌をうつように草むらで一匹の猫が鳴いた。 ***** 中学一年生の時に今の家へ引っ越してきた。 それ以来、実家はずっとこの土地にある。 引っ越し・転校は子供だった自分にとってストレスではあったけど、不安でしょうがないということも別になかった。 もともと、どんな場所でもそれなりにうまくやっていける性分なのかもしれない。 だけど、自分を曲げてまで他人に合わせられるような性格じゃないから、小学生の頃はそこまで仲のいい友達はできなかった。 転校が決まった時も、それほど期待もしていなかった。 どうせ仲良くなったところで、すぐに卒業してバラバラだ。 学校生活を送るのに不都合がないくらいの友人ができればいい。 我ながらひねた子供だったと思うが、その程度の期待だ。 漫画みたいなお互いに命を預け合う親友や宿命のライバルなんて、いるはずがないとちゃんとわかっていた。 千秋たちの中学に転入して、千秋と知り合って、仲良くなって。 そこで俺は初めてこの学校を、いや、この土地を離れたくないと思った。 千秋はたぶん、俺が自分から好きになった初めての友人だった。
俺と違って、千秋をはじめとする他のクラスメイトたちは、おそらく小学生の頃からの付き合いだ。 付き合いの長さは俺なんかの比じゃない。 だけど俺が千秋と同じで漫画や絵を描くことが趣味だとわかると、毎時間放課後ごとに、嬉しそうに話し掛けてきた。 みんなも漫画は好きだけど、優みたいに趣味がいっしょの奴には初めて会った、と千秋は言う。 付き合いの長いクラスメイトがたくさんいる中で、千秋は俺を選んでくれた。 それだけで、千秋にとって俺は特別な存在なのだと思えるには十分だった。 『優がまた転校するって言ったら、俺泣いちゃうかも』 『バーカ、何言ってるんだよ』 俺たちが仲良くなった頃、千秋はそんなことを言い出した。 確かにうちの親は転勤のある仕事だから、また転校する可能性もゼロじゃない。 それを、千秋は寂しいと言ってくれた。 千秋がそういうこと言ってくれるのに、俺が千秋を置いてどっか行くわけないじゃん。
俺はそう言って笑い飛ばしてやった。 だってそうだろう? 俺はこんなに千秋のことが大好きで、千秋も俺を特別だと思ってくれてる。 それなのに、千秋を手放すなんて、そんなことするはずがないじゃないか。
『俺はさあ、ここが俺の地元だと思ってるよ』 『ほんと?引っ越し前のとこじゃなくて?』 『ほんと、ほんと』 将来、大学生になったり社会人になったりして、よその土地に暮らすことになっても、俺の地元はここだと言いたい。 千秋と過ごしたこの場所が、何があっても俺の地元だと思いたい。
そんな話をこの神社で千秋としていたことを、今でも覚えている。
*****
千秋みたいな売れっ子の漫画家でも、親からはちゃんとした仕事について結婚しろと言われるらしい。 だから、俺も家族からその手のことを言われてもおかしくないのだが、 昔から変り者だと認識されているのか、漫画家のアシを続けていることについても何も言われない。 ただ適当に顔を見せなさいと言われているので、こうして実家に帰ってきている。 どうせあっちにいたって、千秋も帰省していていないのだ。 お互い帰省すると言っても中学が同じなくらいだから、そう遠くでもないのだが、 (どうせ、千秋のところにはあいつがいるし) 千秋の顔を見られないのはつまらないけど、正月まで嫌いな奴の顔も見たくない。 あと、千秋の家族と仲良くしているあいつを見るのも気分が悪い。 境内にある石段に腰掛けて、スケッチブックを開いた。 座った部分が冷えるけれど、そのうち体温に馴染むだろう。 こうやって気分がくさくさした時に、スケッチをすると気分が落ち着く。 普段周りから、落ち着いてるとか冷静そうだとか言われるけど、俺だってイライラしたり八つ当りしたい気分になることだってあるのだ。 そういう時に、スケッチブックを開く。 千秋への想いが溢れ出してしまわないように、千秋のスケッチをする。 そんな俺を不思議そうに千秋は見つめてくるけど、絶対に俺を拒むことはなかった。 さて何を描こうかと周囲を見渡すと、さっきの猫が描いてくれとでも言うように俺の前に寝転がった。 小柄な黒猫で、警戒という言葉をしらない様子がまるで千秋にそっくりだと思った。 「お前、俺の好きな奴に似てるな」 そんなことを話し掛けても、逃げようとはしない。 ちょっとイライラするくらい無防備な姿だ。 スケッチブックにその姿をうつしとりながら、俺はさらに話し掛けた。 「俺はエサなんて持ってないぞ」 それがどうした、と言いたげなとぼけた表情。 「エサで釣ろうとする奴にホイホイついていくなよ」 少しだけ、目を丸くした。 「飯で釣る奴に、ロクな奴はいないからな」 最後のこれは、自分で言って自分でウケてしまった。 怪訝な顔をする猫を前に、俺はくすくす笑う。 「なーにが、『トリの作ったご飯が食べたい』だよ。なあ?」 猫を描いていたはずなのに、気付くとスケッチブックの中では千秋がいつもの屈託のない笑顔を浮かべていた。 命を預け合う親友や宿命のライバルはいなかったけど、その代わりに大好きな友人ができた。 友人は俺を拒むようなことは一度もなかったけど、俺のものにはなってくれなかった。 だからって、たった一回の拒否で思い出だけを残して生きていくなんて馬鹿馬鹿しいと思う。 俺は千秋の傍を絶対に離れたりはしないと決めた。 例え、他の奴のものになったとしても。 ねえ、千秋。 俺はここが地元だと思ってるって言ったけど、それはちょっと違うんだよ。 千秋がいれば、ここじゃなくてもどこだっていいんだ。
「お前は別に逃げてもいいんだぞ?」
そうつぶやいたけれど、黒猫は逆に俺の足元に擦り寄ってくる。 逃げるわけないじゃん、とよく知った声が聞こえた気がした。 ほのかに触れるあたたかさに、俺はわけもなく千秋のことが恋しくなった。 END
2011/01/15 |