「ストロベリーフィールズ」

 

 

「さて、と」
エプロンを外して時計を見た頃には、もうすでに新年までもう数時間といったところだった。
雪こそ降っていないものの、窓の外では寒そうな風が吹いているのがわかる。

「洗い物、ご苦労様。おせちの準備は終わった?」
「今詰め終わったところ」
「蛸となますがないみたいだけれど」
「冷蔵庫に入れた」
「あら、そう。そっちの小さなお重はなあに?」
「………明日、吉野のところに」

そう答えると母親はさも可笑しそうにくすくすと笑った。

「それは頼子さんも喜ぶわ」

 

 

年末の仕事を一段落させて、吉野と連れ立って実家へ帰省した。
夏に帰省した時のように、また吉野の家までついてきてくれと言われたけれど、今回ばかりはきっぱりと断った。
吉野のように、実家に帰れば食って寝るだけの生活をすればいいというわけにはいかないのだ。
もちろん俺の実家でも母親が正月の支度をしているのだろうが、色々と手伝ってもらいたいと言われている。
少し体の弱いところのある母親に代わって、力仕事をしなければいけない。
「お前も少しは家のこと手伝ったらどうだ」
不満そうな吉野にそう言ってみたが、
「無理。うちの母親が俺に家事っぽいことを頼むわけがない」
一刀両断されてしまった。
つまり家事の役に立たない吉野は今日一日暇を持て余す、というわけだ。

明日はお前の家に行くから、とそんな吉野をなだめ、玄関の前で別れた。

 


こうして大掃除に買出しと立ち回っていたわけだが、吉野の母親から何かしら吹き込まれたらしいうちの母親に、夕飯時にはキッチンに立たされてしまった。
「ずいぶん上達したらしいじゃない?料理の腕」
「…………」
うまくだまされているような気がしないでもないが、結局俺が蕎麦を茹で、母親が作ったおせちを盛り付けて、夕飯の準備までするはめになってしまった。
これならいつでも嫁にいけるとのお墨付きをもらってとても複雑な気分である。
ここで『そろそろ結婚は…』という話の流れにならないだけありがたいのかもしれないが。
そのあと、後片付けもよろしくね、となったのは当然のなりゆきであろう。

 

 


キッチンからリビングに戻り、忙しくてチェックする暇のなかった携帯電話を見ると吉野からのメールが何通かきていた。
どれも内容は、『暇で死にそう』というものだった。
正月くらい親孝行してやればいいと思うのだが、母親と妹のダブルで邪険に扱われている吉野が頭に浮かび、俺はため息をついた。

少し逡巡し、吉野に電話をかける。
呼び出し音が数秒も鳴らないうちに、すぐに吉野は電話に出た。
「もしもし、トリ?どうしたの?」
呆れてはいるものの、吉野の弾んだ声を聞けばどうしても頬が緩んでしまうのがわかる。
「本当は明日誘おうと思ってたんだが、」
「うん?」

「今から初詣でに行かないか」

 

 


自分の部屋に戻って、コートとマフラーを着込んでくると、後ろから母親に声をかけられた。
「こんな時間に出掛けるの」
「吉野とそこの神社に行ってくる」
「あら、てっきり彼女かと」
そういえば高校生の頃はそんなこともあったが、吉野と付き合い始めてからはもう大昔の出来事のように思える。
今ではどこへ行って何をするのにも吉野がいっしょというのが当たり前になってしまった。
「寒いからあったかくしていってらっしゃい」

母親にそう見送られて外へ出ると、息を白くした吉野がすでに待っていた。

「トリ、遅い」

ダウンジャケットとマフラーで防寒してはいるが、鼻の頭が赤くなっている。
走ってきたのか、しばらく家の外で待っていたようだった。

「そんなに急がなくてもよかったのに」
「うっ、うるさい!退屈だったんだよ!あと千夏がついてきそうだったから!」

吉野が俺に会うために急いで来てくれたのが嬉しくて笑いながらそう言うと、さらに顔を真っ赤にして怒られてしまった。

「ほら、日付変わる前に行くぞ!」
照れ隠しにすたすたと吉野が歩き始めたので、急いでそれを早足で追いかけた。

 

 

 

街頭もまばらな道を吉野と二人で並んで歩く。
思ったとおり風は冷たく、耳を刺してくるようだ。
「あんまり人歩いてないな」
「そうだな」
確かに俺たち以外に人通りはまだ見当たらなかった。
「もしも神社行ってさ、誰もいなかったらどうする?」
まるで初詣でに誘った俺をからかうように吉野が尋ねる。
「誰もいなかったら?」
「そうそう、真っ暗でさー、シーンとしてたら」
自分の言葉にウケて、吉野は笑いながら言った。

「誰もいなかったら、二人で手繋いでお参りして帰ろう」
「なっ……」

予想外の返事に吉野はうろたえていたようだったけど、少し考えたあとほんのちょっとだけ手のひらを俺の方に差し出した。
「…………ほら」
「!!」
こんなに素直に手をつなぐのを許されるとは思ってもみなかったので、俺の方が驚いてしまった。
「……早くしろよ、人来ないうちに……」
「あ、ああ…」
ポケットに突っ込みっ放しだったせいであまり冷たくなっていない吉野の手を握ると、冷たいと小さく呟いた。
俺の方はさっきまで水仕事をしていたので、さぞ冷たいことだろう。
それでも吉野は俺の手を離すことなく、握り返してくれた。

 

「どこまで、いい?」
「うーん、人が来そうな気配がするまで。…でいい、か?」
「わかった。それでいいよ」

ぎこちなく吉野の指を手繰り寄せると、微かに指先が震えたような気がした。

 

 

 

「小学校の同級生に会ったりとかしないかな」

手を繋いで歩くのにちょうどいい距離を保つのに慣れた頃、吉野がぽつりと言った。

「会うかもしれないな。いやか?」
「別にいやじゃないけど。っていうかむしろ会えたらちょっと嬉しいかも?だってもう全然地元の友達とは疎遠だしさー」

確かに小学校以来の友人で吉野ほど頻繁に顔を合わせている奴はいない気がする。
同窓会のようなものも何度かあったが、就職してからは仕事に忙殺されてほとんど顔を出していない。
皆がどこで何をしているやら、ほとんど知らない。
かろうじて親づてで噂を耳にするくらいだ。
この年になれば、結婚している人も少なくないだろう。

「どうする?誰か友達にばったり会って、子供とか連れてたら」
「あり得ない話じゃないな」
「だよなあ」

なんとなくこの手の話はデリケートな部類に入ると思っていたのだが、吉野の口調は意外にのんきなものだった。
結婚して、普通の家庭を築いている同級生を見たら、俺と付き合っているこの現状について考え直したりしてしまわないのだろうか。

「俺はこの仕事選んでからは就職とか結婚とか普通の幸せ?みたいなものには縁がないだろうって思ってきたんだ。ほら、もともとそーいう甲斐性もないじゃん?」
「……?」

 

「でも友達が結婚して子供いたりするの見ても、たぶん今なら普通に嬉しいと思えると思う。俺は俺のやりたいことやってていいんだ、って今は思える」

そこで一旦言葉を区切り、小さく笑った。
「なんとなく、ね」

 


吉野の何気ないこの言葉は俺の心の深いところに刺さり、胸が苦しいのと同時にひどく嬉しいような気分になった。
俺の解釈か合っているのかもわからないし、それを伝えようとしたところでうまく表現できるかもわからない。
けれど、どうにかしてこの気持ちを吉野に伝えたかったので、指をもっと深く絡ませて力を込めて吉野の手のひらを握った。
それに気付いたのか吉野はちょっとだけ肩を俺の方に寄せてくれたので、半分くらいは伝わったと思うことにした。

 

 


神社に近づいて人通りが増えると、どちらともなく繋いでいた指をほどいて境内へと向かった。
案の定、神社では小学校の同級生二人に会った。
こちらは気付かずに通り過ぎるところだったが、向こうが気付いて声を掛けてくれたのだった。
曰く、俺と吉野と二人で歩いていたからすぐにわかったのだそうな。
お前らは本当に変わらないな、と笑われた。

一人は娘だという小さな女の子を連れていて、親に初孫の顔を見せるため実家に帰ってきたのだと言う。
その女の子を見て、もうちょっとしたら俺の漫画の読者になってくれるかもな、と吉野がそっと俺に耳打ちをしてきた。

 

 

 

除夜の鐘を背中で聞きながら、行きよりもゆっくり歩いて帰ってきた。
早く家の中に入って暖をとりたいだろうに、吉野は律儀にも俺の家の玄関までついてくる。

「それじゃあ、明日またお前の家に行くから」
「ん、待ってる」

吉野は俺の顔をじっと見ている。
「なんだ?」
「いや、」
そして、ぷっと吹き出した。

「なんか、今日の俺たち超健全って思った」
「まあ、たまにはな」
「たまにはかよ」

実家の前で待ち合わせをして、手を繋いで初詣でに行って、キスもせずにさようなら。
それこそ中学生だか高校生みたいなデートだ。
少し惜しい気もするけれど、新年くらい清く過ごすのも悪くはないだろう。

 

 

それじゃあ一応今年もよろしく、とお互い言い合って、それぞれの家へ帰った。

ポケットに手を入れると、吉野の手のひらの温かさがまだ残っているような気がした。

 

 

 


END

 

 

 

 

 

2011/01/01