「イートミー・シグナル」

 

 

高野さんと抱き合っている間は、体中が死にそうに熱くて、外が雪だということをすっかり忘れていた。
まだ息遣いの荒い高野さんの身体が離れて、こつんと頭が窓ガラスに当たった時、やっと冷たさといっしょに理性という感覚が戻ってくる。

「服、風邪ひかねーうちにさっさと着れば?」
(じ、自分でひん剥いたくせに……ッ!)

誰のせいでぐったりしていると思っているのか。
「…すいませんね」
まだ少し痺れていてうまく動かせない指で服を引き上げると、高野さんは小さく笑ってカーディガンのボタンを留めるのを手伝ってくれた。
人がうまく抵抗できないのをいいことに、髪とか首筋とか無遠慮に細かいキスを落としてくる。

 

(優しくするの、やめてほしい)

高野さんがするのがひどいことばっかりなら、全力で叩き返せるのに。
時々頼もしくて、たまに優しくて、だから俺は困ってしまう。
一生懸命に蓋をしていた感情が飛び出てきてしまいそうで、怖くなる。

「暖房効くまで時間かかるから上着きてろよ」
「いえ、大丈夫です」

むしろ、この火照った顔と頭を冷やした方がいいくらいだ。
ガラスに顔を寄せると、雪の冷たさが体を包んでくれるようだった。

 

 


(『大好きな先輩の誕生日』、かあ)

高校生のキラキラ夢を見ていた頃の自分が知ったら憤死しそうな爛れたクリスマスイブだ。
部屋着のまま拉致され、ほぼ無言の気まずいドライブ、挙げ句の果てには車内で無理矢理…。
夜景と雪だけが、ささやかに華を添えてくれたようなものだ。
昼間の天気のまま、大雨・曇りで景色も見えなかったら悲惨な誕生日にもほどがある。
(さすがに神様も気の毒に思ったのかな)
高野さんの家庭事情が複雑なのはちょっとは知っていた。
テレビのCMに出てくるようなあたたかいクリスマスとはおそらく程遠かったのだろう。
しかも一年で一度しかない誕生日なのに、だ。
俺がクリスマスをシミュレーションしていたように、高野さんも色々想像していたと言っていた。
あの頃の俺ばバカだったから、クリスマスはキラキラしたものだと信じて疑わなかったけど、当時の高野さんも、きっと…。
(結局俺は何一つ先輩の理想通りの相手にはならなかったわけだ)
10年前はクリスマス前に最悪の破局、今年はご覧の通りのザマだ。

 

早く、俺のことなんか愛想尽かせばいいのに。

 

そうすれば、俺も高野さんも……横澤さんだってイライラせずに済むのに。
俺なんかに変な執着しなくても、別にいいじゃないですか。
いつもいつもそう言いたい衝動に駆られる。
誕生日をいっしょに過ごす相手なんて、高野さんだったら白羽の矢を立て放題だろう。

よりによって、俺じゃなくてもいいだろうに。

だけど、そう思えるには俺の心は揺れ過ぎていた。
俺が今座っているツーシーターの車の助手席。
この席に俺以外の誰かが座ることを考えるだけで、気持ち悪いくらいに胸のあたりがざわざわする。

 

(自分がどうしたいのか、もう全然わからない)

自分は高野さんの特別なんかじゃない。
…でも、高野さんはしつこいくらい俺が好きだと言う。

俺より横澤さんの方が絶対に相性がいい。
…だけど、今はもう付き合ってないって言ってた。

俺は高野さんのことなんて何とも思ってない。
…じゃあ、どうして俺はこんなに高野さんのことが気になって、知りたくて、しょうがないんだ?

出口の見えない迷路から抜け出そうと色んな言葉であがいてみたけれど、
どんなに頑張っても、激しく揺れ動いている自分の感情から目をそらすことはできなかった。

 

 

 

「……着いたぞ」
「へ?」
「コンビニ」

またいつの間にか車は停まっていて、最寄りのコンビニの駐車場にいた。
(そっか。さっきケーキ売ってるかな、って)
先程の高野さんの呟きを思い出した。

「ケーキ、売ってるといいですね」
「そうだな」

ちゃんとしたケーキじゃなくていい。
二人で食べられる分、いや、高野さんの分だけでもあればいい。
そして同じことの繰り返しで芸がないけど、それを渡してお誕生日おめでとうございますって言って、今日一日を締め括ろう。
休みが明けたらまた仕事にちゃんと戻れるようにケジメをつけよう。
ケーキひとつでこのグダグダな日を綺麗にまとめられるかは知らないけど、ないよりはきっとマシだ。

 

 

 

 

 


「………………ない、ですね」

「………次行くぞ、次!!!」


連れ立ってコンビニに入り、真っすぐデザートのコーナーへ向かったのだが、ものの見事に冷ケースの棚はカラだった。
(やっぱ、日にちと時間が悪いよな…)
結局みんな考えることは同じ、というわけだ。
クリスマスが近づくとコンビニではうるさいくらいケーキの予約を呼び掛けているけれど、あれは『予約しなきゃ買えませんよ』の警告なのだということを思い知った。
(『ないよりはマシ』ってなきゃ最悪ってことか……?)

おそるおそる高野さんの顔をうかがうと、不敵な笑みを浮かべていた。
これは完全にムキになってしまった時の顔だ。


何も買わずに車に戻ると、高野さんが不機嫌そうに言う。
「小野寺、このあたりに他のコンビニは」
「えっ、えーと、確かこの通りの三番目の交差点を左に曲がると……」
「よし、買えるまで付き合えよ」
「はああああーーー!?買えなかったらどうするんですか!?」
「一晩中俺とドライブだな」
「冗談じゃありません!!!」

 

 

そうして、車を走らせること一時間。
立ち寄ったコンビニは計8軒。

ケーキは……、買えなかった。

 

 


「…………」
「……すいません、俺いい加減お腹すいたんですけど」
「仕方ねえな。酒と飯買ってお前の部屋帰るか」
「はあ?なんで俺の部屋に、」
「イヤなら一晩中ケーキ探しの旅だけど」
「…わかりました」
「一応言っとくけど、お前のおごりな」
「……!!」

(常々思っていたけど、ほんとに図々しいな、この人)

俺のおごりなんだから俺の欲しいもの買いますよと宣言して、手当たり次第カゴに放り込んだ。
高野さんはとりあえずおとなしく後ろをついてくる。
結局最後までグダグダな一日だったけど、高野さんは本当にこれでよかったんだろうか。
ロマンチックさの欠片もない。
…まあ俺と高野さんがロマンチックである必要はどこにもないんだけど。

 


カゴいっぱいに酒を買い込んで外に出ると、すっかり雪は止んで冬の夜空が澄み渡っていた。
星も普段よりきれいに見える気がする。

「なんつーか、間抜けだったな」
「まったくですね」
誰のせいで、という文句はギリギリで堪えた。
「ま、いいんじゃないの。らしくて」
「?」
「お前のそういう間抜けなとこ、嫌いじゃないけど」
(…………ムカつく)
全然誉められている気分にはならない。

「ケーキじゃなくてさ、」
思わせぶりな目線を高野さんが投げかけてくる。
「別のモン食わせてくれてもいいんだけど?」
「高野さんに差し出すようなものは、何一つありません!!!」

買い物袋を座席の足元に置いて、乱暴にドアを閉める。
もういい、どうせ今更取り繕っても遅いんだ。
今日はせいぜい酔いつぶれることにする。

エンジンをかけて車を発進させる高野さんの横顔はどことなく楽しそうで、まあいいかと俺はため息をついた。

 

「これでちゃんと果たせましたか」
「何が」
「上司命令」
「まあ及第だな。この後のお前の態度次第だけど?」

……楽しそうなのは何よりだけど、

(やっぱりこの人めちゃくちゃ腹立つ)

ただの上司と部下でいたいのかどうか、考える時間をもう少し俺にください、と空を見上げて信じてなんかいやしないサンタクロースにお願いをするのだった。

 

 

 

 


END

 

 

 

2010/12/24