偶然、千秋の家の近くを通りかかった。 とくに用事はないけれど、千秋の部屋の灯りがついているかどうかを伺った。 部屋の電気は消えていた。 「あいつの家、か」 自分でもそれとわかるくらい不機嫌なひとりごとがこぼれる。 辺りは暗く、千秋がこんな夜に出歩くことはないだろう。 だとすれば行き先はただ一つだ。 歩いて十分の幼馴染みの家。 行き先はそこしかない。 千秋があいつの家で何をしているかなんて考えたって気分が悪くなるだけなので、さっさと家路を急ぐことにする。 どうせ千秋とは明日には会う予定だし、と自分を納得させた。 この辺りは住宅街でもあるので、防犯のためか街灯がわりと多く立っている。 夜とはいえ、すれ違う人の顔はちゃんと認識できるくらいだ。 だけど今晩ばかりは暗闇で顔が見えない方がよかった。 「……柳瀬」 「千秋ならいないよ。お前ん家じゃない?」 仕事帰りのよれたスーツを着込んだ羽鳥がこちらを睨んでいた。 今にも千秋の家に何の用だと掴み掛からんばかりだ。 その様子はひどく滑稽に見えて、千秋はどうしてこんな男を、というイライラが募る。 「別に、たまたま通りかかっただけだよ。誰かさんみたいにストーカー気質じゃないし」 ふうとため息を一つ残すと、羽鳥は自分の家に向かおうとした。 反論するのも疲れるとでも言いたげな様子だ。 無性に、腹立たしい。 自分になど構っていられないという態度もムカつくし、この後家に帰って千秋に何をするつもりなのか考えると腸が煮えくり返りそうだ。 ポーカーフェイスだとか冷静そうだとか外面のずいぶんいい男だけど、こいつは沸点がものすごく低いことを俺は知っている。 すぐ機嫌は悪くなるし、千秋に関することだったら簡単に手だって出してくる。 そんなの、全然イイヤツなんかじゃないだろう。 別に俺は殴られたって倍殴り返すつもりだから手を出されてもいい。 でもあいつがあの抑えられない感情を千秋に向けていたら? ギリ、と奥歯を噛んで己の妄想に耐えた。 どうして、みすみすこんな男に。 「あーあ、千秋の奴かわいそうに。こんな獣みたいな男が帰ってくるのを嬉しそうに待ってるんだもんな」 俺のことを見ないようにする羽鳥に背中から声をかけた。 ぞわりと気持ちの悪い空気が俺と奴の間を駆け抜ける。 羽鳥が振り向いた瞬間、背中に衝撃が走り、俺はブロック塀に押し付けられる体勢になっているのに気付いた。 「お前に、俺と吉野の何がわかる」 襟元をつかまれ、顔を接近させて凄まれた。 悪いが、全然恐いとは思わない。 「わかるよ、千秋のことなら何でも」 ニヤニヤと俺はトーンを変えないようにしゃべり続けた。 「前もさあ、似たようなことあったよな。あの時の千秋可笑しかったんだぜ?俺とお前がキスしてるんじゃないかって驚いたって」 言われた時は俺も呆気にとられてしまったけど、確かにこの体勢はそういう風にも見える。 羽鳥の唇はすぐ目の前だ。 「何、その気になっちゃった?いいよ別にキスくらい。なんだったらキス以上のことでもいいけど?」 吐き捨てるように羽鳥に言葉を投げかける。 「そんな性欲持て余してる男に飛び掛られたら千秋がマジかわいそうだし。俺が半分くらい搾り取ってやろうか」 「……!!」 くだらない、と羽鳥は一言だけ呟き、打ち捨てるようにして俺を解放した。 襟元が急に緩み、俺は少し咳き込んだ。 「冗談だよ、気持ち悪い。お前のこと掘るとかほんと無理だし」 今こうしてちょっと触られただけでも十分に気色悪いのに。 羽鳥は何かを哀れむような目で俺のことを見ている。 「何だよ、その目。さっさと帰れば?千秋が待ってんだろ」 今度こそ本当に俺を無視して歩き出す羽鳥に叫んだ。 「俺は絶対認めないからな!一生、お前のことを!」 もうあいつは振り返ろうとしなかった。 俺に会ったことなど忘れて、帰って千秋を滅茶苦茶にするのだろう。 「どうして、あいつなんだよ」 アスファルトに落ちた自分の影を踏みしだき、俺の欲しいものはこの世界にはもう存在しないのだということを知った。 END
2010/11/13 |