「白いご飯とお味噌汁」

 

 

トリとの付き合いがこれだけ長ければ、ケンカをしたことだって一度や二度じゃない。
幼稚園に入る前から、三十路近くになった今の今までだ。
でもその原因は他の人が聞けば呆れてしまうような些細な理由ばっかりだった。
宿題だのおやつだのから始まり、今だと俺もトリも修羅場中にはどうでもいいことでキレてばかりいる。
付き合い始めてからはもしかして痴話喧嘩?な感じのケンカもたまにある。
俺の早とちりだったり、あいつのヤキモチだったり。
恋人として付き合うってことは、やっぱりそういうことが起こるんだなー、と他人事みたいに感心なんかしたりして。

だけど、どれもこれも今現在までしこりが残ったりはしていない。
こじれたりもするけれど、トリが折れてくれることも多くて、それに甘える形で一応どれも仲直りをしてきた。
数学的に考えてケンカの数だけ仲直りをしてきたわけだけど、だからといってうまく仲直りをする方法が身についたかと言われれば、そういうものではないらしく。
結局、意地を張ったり大人気ない態度をとったりと、いつものパターンになってしまう。
お互いもういい年なのだから、スマートに仲直り、欲を言えばケンカなんかしなくて済むようなオトナな関係を目指すべきなのかもしれないけど、
そこは幼なじみがそのままでかくなってしまっただけのような俺たちのことなので、そうそう変われるはずもなく。


要するに、俺たちは今とてもつまらないことでケンカをしている最中だった。

 

 

 

「優、もう帰る?」
「そのつもりだけど。何かあるのか?」
俺の原稿のヘルプが終わり、帰ろうとする優に声をかけて引き止めた。
仕事のついでに優は俺の家で遊んでいくことが多いけど、
今日みたいな日はトリが来ると予想して、鉢合わせないように早々に帰ってしまったりする。
気持ちはわかるので普段は引き止めたりしないのだが、
「もしよかったら家で飯食ってかない?」
とたんに優は不審な顔をした。
「飯って、どうせこのあと羽鳥来るんだろ。いつもみたいにあいつに作ってもらえばいいじゃん」
「うッ……それが……」
口を濁すと、カンのいい優はすぐピンときたようだった。
「ああ、ケンカ?」
またか、というような顔で呆れられた。
トリとケンカして泣きつくのは大概優のところなので、優も慣れっこなのだろう。
「で、今度はどうしたんだよ。ケンカ中でもあいつのことだから千秋が飯〜って泣けば作ってくれるんじゃねえの?」
確かにケンカをしていても、トリがご飯を作ってくれたことは何度もある。
口は聞かないくせに、テーブルの上にはいつものおにぎりと卵焼きが乗っていたりして。
ほんと、とことんあいつは俺に甘いと思う。

だけど今回は少し事情が事情で、トリのご飯を食べられる可能性はきわめて低い。
「……しばらく飯はあてにできなさそうなんだ」
「はあ?何があったんだよ」
怪訝な顔をする優へ、俺は少し情けなくなりながら今回の経緯を話したのだった。

「へーえ、羽鳥ん家の冷蔵庫を勝手にあけて、」
「ゆ、優……!」
「それで中に入ってるおかずを勝手に食って、」
「うう……」
「それが古くて腹を壊した、と」
「わ、笑うんなら笑えよ……ッ!!!」


まあつまり、そういう理由で現在トリとケンカ中なのであった。

 


腹を壊したあとトリに文句を言うと、他人の家のものを勝手に食うからだとか、
自分で食べるものや健康の管理をきちんとしろだとか頭ごなしに叱られて、俺の方もキレてしまった。
そりゃあトリの家を我がもの顔で使っている自覚はあるけれど、そんな今更のことでこんなに怒られるとは思ってもみなかったのだ。
トリの家に勝手に入ってご飯を食べたり風呂に入ったりベッドで寝てたりなんて、それこそ数えきれないくらいやってきたことだ。
普通の友達だったら非常識だと蹴り出されるかもしれないが、トリだからいいと思ってた。
トリだから許してくれてると思ってたのに。
(イヤならイヤってさっさと言えよ、バカトリ!)
今までずっと許してくれてると思ってたことで怒られて、ついカッとなってしまった。
『もういい!!この先トリの作った飯なんて食わないから安心しろ!!!』
売り言葉に買い言葉、というヤツだ。
落ち着いて考えれば、俺がトリのご飯なしでいられるわけがないのに。
冷静になってから、自分の台詞に死ぬほど後悔した。
バカなことを言ってしまった。
だけど、本当にトリが俺のことを迷惑だと思っていたら?
一応トリに迷惑をかけている自覚はあるので、それを確かめるのが恐くて、あの後何も言えずにいた。

 

優は別に笑わないでいてくれた。
「笑うっつーか、驚くっつーか。あいつそんなことで怒るわけ?」
「や、だって、勝手に食べた俺もまあ悪いし……」
「そんなのいつものことじゃん。それで怒る意味がわからねーな」
優は心底わけがわからんという顔をしていた。

「ま、いいや。今日は俺が作ってやるよ」
「マジで!?やったー、さんきゅー!」
「そのかわり今度なんか奢れよ?」
「わかったわかった」

その夜はそうして優と晩ご飯を食べた。
優が帰ったあと一人でトリとのことを考えていたけど、トリに頼らなくても結局優に頼っただけだと気付いて落ち込んだ。

 

 

 


「えー、それで先生が謝らない理由がわかりません!」
「羽鳥さん完全にとばっちりじゃないですかー」

次の日に優とその話をしていると、アシスタントたちから一斉に非難を受けた。
優ほど味方してはくれないだろうとは予想していたけど、想像以上のブーイングだ。
俺や優ほどではないとはいえ、よく顔を合わせているトリに俺が頼りっきりなのを知っている彼女たちは、ここぞとばかりにトリの擁護をし出した。
「そりゃ羽鳥さんが先生に超甘いの知ってますけど」
「でも、例えばいつもご飯作ってあげてる彼氏が自分の家のもの勝手に食べてお腹壊して文句言われたら、叩き出しますよー!」
「そうそう、知るかー!って感じで」

「……反論もございません」

昨日までは俺もちょっとは悪かったかも、くらいに思っていたけれど、
アシスタントたちの一斉攻撃により、自分の方がとんでもない非常識なのではないかと思い始めた。
今までトリが許容してくれていたから全然気にしていなかったけど、
トリの生活への侵食レベルは世間一般の常識とはだいぶかけ離れたもののようだ。

「ていうか前から思ってたんですけど、羽鳥さんいなくなったら先生生きていけるんですか?」
「私もそれ心配です」
「うーん、大丈夫……じゃない……かも」
トリがいなくなるなんてこと考えたこともなかったけど、真剣に自分は大丈夫なのだろうか。
「俺が養ってあげてもいーけど?」
ニヤリと優が笑う。
途端、黄色い声があがった。
「きゃあ、もう柳瀬さんってば!」
「先生なんでそんなに男運がいいんですかー?」


(男運がいい……!?)
とりあえず彼女たちの中で俺の男としてのランクがかなり低いことはわかった。
結論としてこんな最強の男運にあぐらをかいていてはバチが当たると主張されたので、仕事が一段落してみんなが帰ったあと俺はトリの家に向かったのだった。

 

 

 

 

「これでよし、と」
俺は腕組みをして、トリの家のキッチンを見回した。
あとは肝心のトリが帰ってくるだけだ。
たぶん周期から考えて、今日は徹夜で帰ってこないという可能性は低いと思う。
(さすがに追い出されはしない……よな)
いつものように合鍵であがりこんだけれど、普段では感じないような不安に襲われた。
「大丈夫、とにかく謝ろう」
とてもじゃないけど、くつろいでソファーでビールという気分にはなれなかったので、リビングとキッチンをウロウロしながらトリの帰りを待った。

「……吉野!?」
「お、おかえり」
帰ってきたトリは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐにまた眉間にきつく皺を寄せた。
「どうした。もう俺の飯は要らないんじゃなかったのか」
(やっぱ根に持ってる……)
俺の方を見ずに着替えにいこうとするトリの前に慌てて立ちふさがる。
「ごめん、トリ。この前は勝手なことして、それでお前にヒドいこと言った」
「………」
「お前に甘えるのが当たり前になり過ぎてて、お前も実は迷惑だったんじゃないかとか思ったらわけわかんなくなって、」
トリの反応を伺うことができなくて俯いていると、ぽん、と頭に手を乗せられた。
「それで、こうやって待ってたのか?」
「……うん」
返ってきたトリの声は優しい声をしていたので、思い切って顔を上げた。
その表情は思っていたよりずっと穏やかだった。

「俺もあんなに怒鳴るつもりじゃなかったんだ。別に俺の家の冷蔵庫開けられるのだってイヤじゃない」
「トリ……」
「作り置きのおかずだって、そもそもお前のために作ってあるようなものだからな」
だけど、とトリは少し表情を曇らせた。
「お前が腹壊したって聞いて気が動転したんだ。俺の手落ちでお前が体調を崩すなんて……。まず心配する言葉をかけるべきだったのに思わずキレてしまった、すまない」
「ぜ、全然トリが謝る必要なんてねーしッ!!」
思いがけずトリの方から謝られて、俺は驚いた。
叱られたのも、俺が図々しいからというよりは、俺のことを心配するあまりだったのだ。
それなのに俺ときたら。
「吉野、」
(わっ……)
そっとトリの手が俺の頬にかかる。
思わず目をつぶりそうになった、その時だった。

ピーッと無機質な電子音が部屋に響き渡った。

「あッ!!」
「……?……炊飯器?」
炊飯器が米が炊き上がったのを知らせる音だった。

「吉野、お前か?」
黙って俺はうなずいた。

 

今日こうやってトリに謝りにくるにあたり、ただ謝るだけなのもあれなので何かしようと思い立ったのだった。
事の発端は飯であるので、トリが帰ってくるまでに食事の用意をして待っている、というのがベストだったのだけど。
「……もしかして食事の用意をしようとしてたのか?」
「うん。でもご飯だけ、だけど」
「まさか本ッ当に飯だけか」
「白飯だけです、すいません…」
以前無洗米ではない米をとがずに炊いて散々注意されたので、今回はちゃんと洗ってから炊飯器にセットした。
ご飯の方はこれでよし、となったのだがその後が続かない。
少し悩んだが、自分にしては上出来だろうとこれでいいことにしたのだった。
だけど改めて指摘されるととても間抜けだということに気付いた。

「あー…、さすがにこれはない、か……」
「いいよ、お前にそれ以上のことは期待してないしな」
たまらずトリが吹き出した。
笑うなと抗議しても収まりそうもない。
ひとしきり笑うと、トリは腕まくりをしてネクタイの先を胸ポケットに押し込んだ。
「待ってろ、今何か作ってやるから。いっしょに食べよう」
「……おう!!」

そしてトリは俺が呆気にとられるくらいのスピードで味噌汁を作り上げ、食卓に並べてくれたのだった。
あたたかい湯気を浴び、俺はようやく安心してテーブルについた。

 

 

「俺、トリの卵焼きも超好きだけど、味噌汁も好き。毎日飲めたら嬉しいんだけど」
「なんだそれは。プロポーズか?」
「ばばばば馬鹿!!!今時そんなベタなプロポーズ、少女漫画でも許されねーよ!!」
まったく、人が気を抜くとすぐこれだからたまらない。
恥ずかしいことばっかり言いやがって。

「じゃあ今度の打ち合わせまでに、今時でも通用するような台詞を考えておくんだな」
「はあー?それどういう意味だよ」

作品で使う台詞なのか、はたまた実生活で使えと言われているのか。
後者でないことを願いながら、そそくさと俺はおかわりをしに席を立った。

 


とりあえず、二人でいっしょにごちそう様を言える幸せを噛み締めることにした。

 

 

 


END

 

 

 

 

2010/10/21