「おねだりをもう一つ」

 

 

我ながら最悪な性格だと思うけれど、

「お前の誕生日って、…結局いつだっけ…?」

初めて好きになった相手と両思いになることができたというのに、
誕生日だのクリスマスだのを二人で祝うような世間一般で言う『お付き合い』に俺はまだまだ慣れずにいるのだった。

 

 

 


齢三十にして初めて出来たちゃんとした恋人は、十も年下の王子様だった。
ちゃんとした、というのは下世話な言い方をすればカラダ以外も繋がってますよ、という意味だ。
雪名は俺のお得意様である書店の店員で、美大生。
少女漫画が大好きで、特に俺の担当してきた作品を好きだと言ってくれている。
絵に描いたようなモテ方をする奴で、まあそれはこいつが絵に描いたような美形だから仕方がない。
だけどそんな雪名が俺のことを好きだと言ってくれるのがどうにも信じられなくて、
一人で考え込んでぐちゃぐちゃになって当たり散らして泣きわめいたこともある。
でも雪名は呆れたりしなかった。
知らないことが多いのなら全部教えると言ってくれた。
身長、体重、靴のサイズ、出身地、好きな食べ物、それから……

(誕生日、なんだけど。)

雪名が真剣な表情で怒濤の勢いで並べ立ててくれるのに見惚れてしまい、
ありていに言えば、せっかく教わったプロフィールもほとんどインプットできなかった。
これまで相手のプロフィールが必要になるような付き合いをしてこなかったのが悪いのだろうが、
(好きな奴のプロフィールをここまで聞き流すって……たぶんアウトだよなー。)
とりあえず誕生日だけでもきちんと把握しておこうと、尋ねたというわけだ。

 

「9月6日ですよ。」
「ゲッ、もうすぐじゃん。ってかなんか忘れてたみたいでごめん……。」
雪名はとくに怒ったり落ち込んだりする風でもなく、にこにこと返事をしてくる。
それがあまりに眩しいので、やましさも手伝って45度ほど顔を背けた。
「あの時のアレ、全部一発で覚えててくれたら木佐さん特殊能力者レベルですよー。」
ちゃっかり俺の部屋に強引に住み着いている雪名は、洗い物の泡を鼻先にくっつけたまま、楽しそうに笑った。
その手に持たれている二人分のお茶碗がまだ少し気恥ずかしい。

そんな雪名の後ろ姿を眺めてから、俺は鞄から手帳を取り出した。
(9月6日…、微妙だな。)
今の段階で完全に予定が詰まっているわけではない。
さりとて、その日にちゃんと時間をあけておけるかと言われれば、100%保証はできない。
もちろん雪名の誕生日なのだから、無理に予定を入れてしまってもいいんだけれど、
それをまたドタキャンするはめになったら、俺の方が立ち直れないような気がする。
(プレゼント渡すくらいなら大丈夫、かな?)
食事だのデートだの潰れる危険性の高いことは当日じゃなくてもいいだろう。
その代わり、プレゼントを誕生日当日に渡すくらいならできそうだ。
あとは暇な時間を見つけて、さっさとプレゼントを選んで……。

 


「木佐さんまた余計なこと考えてるでしょ。」
雪名の誕生日に向けて頭の中でスケジュールを組み始めた俺に、雪名が声をかけた。
洗い物はもう終わったようで、エプロンの端で手を拭いている。
「余計なことって……、お前の誕生日じゃん。」
「木佐さんが忙しい人だってことは知ってます。だから全然気ィ遣わなくてもいいんで。」
こともなげにそう言ってよこす雪名に、俺は自分のことを棚に上げて少し腹が立ってしまった。

「お前はそれでいいワケ?」
「え?」

「ていうかさ、お前の年になって誕生日ってまだ嬉しいモンなの?飯とか物とかおまけがなけりゃ、ただ年とるだけの日とか思わねえ?!」
「木佐さん……。」

アホか、俺は。
こんなひどいこと言うつもりなんかないのに。
ほら、雪名だって呆れた顔してる。

「そりゃ俺だってその日に飯連れてったりできる保証なんかないけどさ。でもお前はそれでいいの?してほしいことあったらしてほしいって言えよ!」

 

……言ってしまった。
別にケンカしたいわけじゃないんだけど。
こんなつまらない台詞、全部俺のひがみだってわかってる。
俺よりも全然若くて、それなのにいつも俺のことばっかり気に掛けてくれた。
そのたびに俺は情けなくなって。

でも、そうなんだ。
俺がこいつに望んでるのは聞き分けの良さなんかじゃない。
わがままを言ってほしい。
誕生日は絶対木佐さんと過ごしたいです、くらいの言葉を聞きたい。

そうじゃないとやっぱり俺は馬鹿みたいに不安になるから。

 


「嬉しいですよ。」
「……!」

雪名のまっすぐな視線が俺を捉えていた。

「誕生日は嬉しいです。今年はとくに。木佐さんの傍にいて、またひとつ大人に近づくっていうか。」
そう言って雪名は、年相応の可愛らしい笑顔で照れた。
「木佐さんがいるだけで今年の誕生日は特別です。」
ぼすん、と大袈裟な音を立てて雪名が隣に座った。
そして、油断していた俺の手をぎゅっと握った。

「誕生日忘れてても怒りません。デートすっぽかされても怒りません。だけど、ひとつだけ忘れてほしくないこと、」

す、と頬に雪名の大きな手が触れるのを感じた。

 


「俺の好きな人の名前。……答えて。」

 

……こいつは。
聞き分けが良いかと思えば、こういう時だけ変に強引で。
俺が照れてようがなんだろうがお構いなしだ。
最初の頃みたいに、雪名の顔だけを好きだったらもうちょっと楽だったのかも、なんてしょうもないことを考えてしまう。
だけど、雪名のそういう厄介な性格ごと全部好きになってしまったのだから仕方ない。

体中の照れを全て押し出すように深呼吸をすると、俺は一息に言い切った。


「木佐翔太。」


「お前が好きな奴の名前は木佐翔太。……これでいいか。」

 

「大正解です。」
自分の台詞のサムさに気付く間もなく、雪名のやたらでかい図体に抱き込まれた。
付き合いたてほやほやのカップルというよりも、この構図はまるでハイジとヨーゼフだ。

ぐるりと視界が半回転して、そのまま雪名に押し倒された。
静まる気配のない俺の心臓の近くで雪名がささやく。
「ごめんなさい、木佐さん。俺カッコつけ過ぎました。」
「あぁ?」
「ほんとは誕生日にデートの予約したいです。ドタキャンされても全然いいんで、約束だけほしいです。」
「……了解した。」
よかった、と目を伏せた雪名の睫毛の長さに俺は感嘆のため息をついた。
見た目はモロ王子様だけど、中身は何かまた別のものかもしれない。
「もういっこ、おねだりいいですか?」
「……調子のってきたな、お前。」
パンと胸の前で手を合わせて、雪名は勢いよく頭を下げた。

「お願いします!!木佐さんの担当してる作家さんのサイン色紙がほしいです!!」
そうして片目をあけてちらりとこちらをうかがう。
こんなおねだりのされかたされちゃあ、聞かないわけにいかないだろ?
「お安い御用だ。」
俺の返事を聞いて雪名はこっちが戸惑ってしまうくらい喜んでくれた。

 

 

少女漫画の編集なんてやっていながら、誕生日は特別なイベントなんていうのをどこか冷めた目で見ていた自分。
だけど雪名のおかげでちょっとだけわかった。
こうやって二人で些細なことに一生懸命になるのが、たぶん幸せなのだ。

 

「何?色紙に名前とか入れてほしい?『ゆきなちゃんへ』とか?」
俺がからかうと雪名が笑った。

「ゆきなちゃんでもコウくんでも何でもいいですよ。何だったら『彼氏さんへ』でも??」
「それは却下だ!!!」

 

 

 

 

 


END

 

 

 

 

 

 

2010/09/06