「夏のパライソ」

 

 

『なんで好きなの?』って聞かれると、答えるのが難しくて困ってしまう。
どうして先輩が好きなのか。
結局、『先輩だから』なんて間抜けな答えになってしまう。
どうせ聞くなら『どこが好きなの?』って聞いてほしい。
そうしたら、先輩がうんざりしてしまうくらいたくさん並べ上げるのに。

 

 

 

クーラーでしっかりと冷やされた夏休みの図書館。
まだ昼下がりなので、窓から見える空はまだとても暑そうだ。
(涼しい夕方になってから帰りましょうって言えば、それまで先輩といっしょにいられるかな。)
ふとそんなことを思いついて手元の課題から視線を上げ、向かいに座っている先輩の姿を気付かれないようにうかがう。
幸いこちらには気付かないほど読書に没頭している。
あとから何を読んでたのか聞いてみよう。

(……本を読んでる時の顔、好きだ。)

切れ長の目が、一文字もこぼすまいとするように活字を追っている。
今まではそれを遠くでこっそり見ているだけだった。
だけど、今はこんな距離で見つめることができる。
夢みたいな目の前の現実に一人動揺してしまう。

 


先輩と付き合い始めてから、二人で行く場所といえば図書館か先輩の家か。
もちろん俺はそれで十分幸せだったから、
今日も夏休みだというのに図書館に付き合ってもらえるというので朝から舞い上がっていた。
校門前で待ち合わせをしたのだけれど、先輩の方が俺よりも少し早く来ていて、それだけで俺の心は浮かれてしまう。
「図書館なんかでよかったの?」
先輩がそう尋ねた。
確かに夏休みなんだから、もうちょっとデートっぽい場所を選んでもよかったかもしれない。
だけど俺の口からは「デート」なんて言葉は出てこず、また図書館に付き合ってほしいと言うので精一杯だったのだ。
もし水族館に行きたいだとか、映画に行きたいだとか云ったら、先輩はうんと言ってくれただろうか。
そんな普通のお付き合いを何回もシミュレーションしたことがあるけれど、あいにく俺にはそれを言い出す勇気がなかった。
そんなところに行きたいのかと笑われたら、たぶん俺は立ち直れない。
だけど、
「じ、じゃあ…」
勇気を出して、俺はほんの少しわがままを言ってみることにした。
「学校の図書館じゃなくて、大きい方の市立図書館に行きたいです……!」
「いいけど。」

あっさりとそう言って先輩は歩きだしたので、俺はその半歩後ろを一生懸命ついていった。
踏みしめるアスファルトの熱さに負けないくらい、俺の顔は火照っていたんじゃないかと思う。

 

 

そんなわけで図書館へ来たけれど、俺は夏休みの課題をやっていて、先輩は黙々と読書に耽っている。
目が合うことすらあんまりない。
俺一人がちらちら先輩の方をうかがってばかりいるような気がする。
(これをデートって呼んでいいんだろうか。)
涼しげな先輩の顔を見ながら、一人悶々する。

俺は先輩のことならなんでも知りたい。
できれば先輩にも俺のことを知ってほしい。
でも逆に先輩は俺に興味なんてないかもしれない。
あったとしても、同性に告白してきたおかしな後輩、くらいの興味だろう。
先輩の言葉からは何を考えているかがわからないけれど、それくらいに思っておいた方がきっといい。
こうして何も言わずに俺に付き合ってくれている状態が、たぶん最高の状態なのだから。


先輩がキスをしてくれても、俺を抱いてくれても、欲をかいちゃ駄目だ。
どんなに期待したくなっても、調子に乗っちゃいけない。

聞いちゃいけないんだ。
先輩は俺のことどう思ってるんですか、なんて。
聞いたらきっと後悔する。


解いていた数学の問題は最後の最後で解が合わず、方程式からやり直した。

 

 

 


ネガティブな思考に陥りそうになるのを振り払うために数学の問題に集中していたから、
はじめは先輩が読書を止めたのに気付かなかった。
夏休みだから自分たちの席以外からもペンを走らせる音がたくさん聞こえるのだけど、
目前からもコツコツとシャープペンシルで文字を書く音が聞こえてきたのだった。
当てはめる代入式を忘れないように急いでノートの端に書き留めたあと視線を少し先にずらすと、

『退屈してない?』

俺のレポート用紙のすみっこに先輩の字が書き込まれていた。
さらに視線を上にずらすと、ペンをくるくる回しながら先輩が俺の方を見ていた。
「えっ……あっ。」
声をあげそうになって、慌てて口を手で押さえた。
そうしたまま、先輩の文字と顔を交互に見た。
(気を使って…くれてる…?)
せっかく先輩に図書館までついてきてもらったのに、俺が脇目もふらず課題ばっかりしてるから、きっと気にしてくれたのだ。
「えっと……」

『大丈夫です』

とりあえず急いで俺もレポート用紙の隅にそう書いた。
それでも先輩は首を傾げるから、さらに付け加える。
『たいくつとかしてません』
俺の返事を見て、先輩はしばらく考えているような風だった。
俺はまたおかしなことを言っていないだろうか?
一生懸命心の中で模範解答のない答え合わせをする。
だって俺は全然退屈なんてしてないし、近くで先輩の顔が眺められるだけで十分だし、
こうして付き合ってもらえるだけで嬉しいのだから。
だから、間違ったことは言っていないはず。
……たぶん。

『俺といっしょにいて楽しい?』

「……!!」

次に書き出された文字を見て、俺は心臓が止まりそうになった。
楽しいかだなんて、そんなの聞く間でもないのに。
先輩のことが好きなんです。
うまく言えないけど好きなんです。
そう言った言葉をまだ先輩に信じてもらえてないんだろうか。

その瞬間まるで頭に血がのぼったみたいになって、気付くとレポート用紙の左隅は俺の文字でいっぱいになっていた。

『たのしくないはずなんてありません。せんぱいのことが好きです。せんぱいが好きだからいっしょにいるだけでたのしいです。本をよんでるせんぱいが好きです。ずっと見てました。数学の問だいが楽しいわけじゃないです。せんぱいといっしょだから楽しいです。だから』

ものすごいスピードでそこまで書いたけれど、ぎゅっと手を握られる感覚に驚いてペンの動きは止まった。
バカみたいに俺が文字を書いているその手を、先輩が上から包み込むように握っていた。
クーラーのせいで手の表面がすっかり冷え切ってしまっていたけれど、指先に火がついたみたいに熱くなるのがわかる。


数秒間そうしていたけれど、先輩は少しためらうように手を離した。
俺も慌てて手を引っ込める。
我に返って恥ずかしくなった俺は机の上の筆談の跡をどうするべきか悩んだ。
(なんか…すごいこと書いちゃった気がする……。)
勢いにまかせた文章が直視に耐えられずうつむいていると、先輩はその紙をひょいと取り上げた。
それをどうするのか見守っていたら、ぱたぱたと丁寧に折りたたんで胸のポケットにしまってしまった。
そしてもう一度ペンを持ち直すと、今度は俺のノートに一言だけ書いてくれた。

『ありがとう』

先輩が、俺の書いた言葉を全部もらってくれた。
それがどういう意味かを聞く勇気なんてやっぱり俺にはないのだけれど、

『ありがとうございます』

お礼にお礼で返すのはすごく間抜けな感じがしたけれど、頑張って考えても今俺が先輩に伝えたい言葉はその一言だった。


この後、二つ並んだ筆談の文字を眺めながらなんとか課題を終わらせたのだった。
先輩も何も言わずに、ただ俺の方を時々うかがいながら、ずっと俺の前に座って本を読んでいてくれた。

 

 

 

結局図書館の閉館時間までいたのだけれど、外に出ると風がまだ生暖かかったので、二人でアイスを買って並んで食べた。
「なんか、健全な夏休みだな。」
いちご味のアイスをかじりながら、先輩がそんなことを呟く。
「せ、先輩といっしょなら、健全でも、不健全でも!!」
急いで俺がそう言い返すと、先輩はゲホゲホとむせこんだ。
「ったく、お前のそういうところが俺は……。」

 

そういうところが何なんですか、と聞き返す勇気もやっぱり俺にはないのだった。

 

 

 

 

END

 

 

 

 


2010/08/14