「If I Never Knew You」

 

 

知らなかった、と吉野は戸惑ったような表情で言った。

 

 

 

吉野がよくはいているカーゴパンツはウエストに手を掛ければあっさりとずり下がる。
もう少し自分のサイズに合ったものを選べばいいのにと言ったことがあるが、これ以上細いサイズのは売っていないと反論された。
たぶん吉野の腰回りの細さが問題なのだろう。
夏場になったせいか余計細くなったように見えるその腰を直接両手で撫でれば、申し訳程度についている腹筋が気持ち良さそうにピクと震えた気がした。

「……えっと、冷房入れる?」
甘い空気がとことん苦手とみえる吉野がか細い声でそう提案してきた。
確かにしっかり冷房のきいたリビングと違って、俺たちが今ベッドの上で向かい合っているこの部屋はやや蒸し暑い。
そうでなくても体温の上昇するような行為に及んでいるのだから、暑いのも当然だ。
吉野の首筋にもうっすらと汗が浮き出ている。
だからこの部屋の温度を下げたい気持ちはわかるのだが、
「待てるか、バカ。」
ここまできて冷房のスイッチなんかに中断されるわけにはいかない。

汗を舐めとるようにして吉野の首に唇を寄せると、ふわぁ、と間抜けな悲鳴があがった。
「アホ!変た……んんッ……」
わめく口を無理矢理唇で塞いだ。
太腿の付け根のきわどい部分に指を這わせると、もっと触ってほしいと言っているかのように腰が揺らめいた。
こいつに甘い俺のことだから、そんな無意識の媚態を見せられれば先に吉野を一人でイかせてやるのもやぶさかではないと思ってしまうけれど、
遠慮がちに俺の腰に手を掛けた吉野のなけなしの積極性を尊重してやろうと決めた。
それに大体、こいつを先にイかせたからといって、吉野の方から『じゃあ今度は俺が…』なんて展開があるわけがないとわかっている。
当面の間は吉野から何かしてもらおうと思ったら、快感で理性やら羞恥やら余計なものを吹っ飛ばしてやる必要があるようだ。

唇を離してもキスの余韻にぼうっとしている吉野を急かすように、腰を擦りつけるようにする。
細い肩はビクリとおののいたけれど、ちゃんと覚悟はしていたのか何も言わずにベルトの金具を外し始めた。
吉野の媚態を見せられているだけで、こちらは相当に生殺し状態なのだと根気よく教え込んだ甲斐があったようだ。
俺がどれだけこいつに欲情しているかを理解するのは最初はなかなか難しかったらしい。
だが、頭で理解できないのなら身体に覚え込ませるまでだ。
「……ッ、お前は…っ。」
吉野がなじるように喘いだ。
吉野の手が目的の部位に到達するまで、俺の手も吉野のそれに触れないようにギリギリの部位を撫でていたのに気付いたようだ。
「焦らされるのがイヤなら、さっさとするんだな。」
「……トリのいじわる。変態。」
舌足らずな抗議すら可愛すぎて、頭の中の冷却装置が完全に壊れた音がした。
悪態をついてはいるが、もう我慢できないとばかりに吉野の指先が下着の中に滑り込んでくる。
「……っ」
「や…あッ……」
同時に吉野のものも擦り上げてやると、甘ったるい悲鳴が漏れた。

じっとりと汗でワイシャツが濡れて肌にはりつくのがわかる。
荒い呼吸を繰り返すたび、汗まみれのシャツに撫でられる感触が気持ち悪くて、全てを脱ぎ捨ててしまいたくなる。
吉野の服だって、できるなら今すぐ剥ぎ取りたい。
あらかじめ寝室の室温を冷やしていたら、この狂暴な情欲はもう少しマシになっただろうか。

 

「あ……トリ、もっと……」
何度も抱いた吉野の身体だ。
どこをどういう風に触られるのがイイかなんて、とっくに全部知っている。
だけど吉野のまだためらいがちな指の動きに足並みをそろえるため、ゆるゆるとポイントを外しながら愛撫を加えていた。
吉野はそれがやはり焦れったいようで、すでにぐちゃぐちゃに濡れている自分のそれを俺の手に擦りつけるような動きをしている。
「腰だけじゃなくて手も動かせよ?」
そう揶揄すると、吉野は項まで赤くした。
笑ってはいるが、俺もだいぶ余裕がない。
「吉野、」
耳元で囁くと、吉野がごくりと息をのむのがわかった。
そして、徐々に手の動きが大胆になってくる。
普段は少女漫画を生み出すペンを握る吉野の手が、今は俺の身体を卑猥な動きで探っている。
たまらず俺は欲情の混じるため息をこぼした。
「これ……すげー恥ずかしい……」
びくびくと背中を震わせながら吉野が呟いた。
言わんとすることはわかる。
おそらく吉野の手の動きは、『いつも自分がされて気持ちイイ』動きなのだ。
それを悟られるようで恥ずかしいのだろう。
改めて自分の愛撫に吉野が感じてくれているのがわかり、さらに吉野の手が愛おしくなった。

 


お互いせわしなく手を動かす間にも、ついばむように何回もキスを繰り返す。
相手の唇を自分の唾液で湿らせるように大きく口を開けて吸い付くと、吉野が何か言いたそうに唇を動かしたのがわかった。
そっと唇を離し、額と額をくっつけるようにして吉野の顔を見つめる。
俺の視線に気付いた吉野は、一瞬目を伏せた。

「……トリは、ズルイ。」

ぽつりと吉野はそうこぼした。
「何がズルイんだ。」
「……ッ!」
呆れた俺が親指の腹でグリと先端を擦ると、声を堪えるためか吉野は唇を噛んだ。
「だって、俺、知らなかった。」
はっはっと短い呼吸をする合間に、吉野はそう言った。
「……トリの身体がこんなに熱いなんて、俺はずっと知らなかった。」
吉野はそのままもたれかかるようにして、俺の胸元へ顔を寄せた。

 

「知らないままの方がよかったか?」
表情の見えない吉野へ問い掛ける。
先程の吉野の声には戸惑いが感じられたからだ。
確かにこんな身勝手な男の感情など、知らされても迷惑なことばかりだろう。
実際吉野が俺のことで悩んで仕事のペースをおかしくしたことだってある。
こいつのことを一番に考えたなら、一生友人でいることがベストなのは明らかだった。
だけど、こうして抱き合いながらたまに考える。
この気持ちを告げなければ、きっと俺は……


「後悔する。」
「…吉野?」

「お前の気持ち知らずに死んだら、きっと後悔する。」

きっぱりと吉野は言い切った。
「……そりゃあ驚いたし、色々悩んだりもしたけど、でも、」

ぐっと首を伸ばして、吉野は俺の耳元で囁いた。

 

「知れて、よかった。……たぶん。」

 

それだけ言うと、また顔を伏せてしまった。


吉野と付き合い始めてから、自分がちゃんと受け入れられてるという証拠が欲しくて俺はいつも焦っていた。
寝耳に水の吉野にいきなり決断を迫るのは無茶だとわかっていたけれど、俺はずっと自信がなかった。


だけど、吉野はこんなにもちゃんと俺の気持ちを汲んでくれている。
俺は吉野のことを好きでいて良いのだ。
器から溢れ出しそうなこの感情を、思うさま吉野に注ぎ込んで構わないのだ。

気持ちを伝えなければ後悔する。
同じように吉野も考えていてくれたことが、じわりと俺の胸を熱くした。

 


「知らなけりゃ後悔もしないだろ。」
「……そこは察しろよ、バカトリ。」

このあとどちらともなく会話は絶え、お互いの絶頂を引きずり出すのに夢中になった。

 

 

 


二人分の体液で汚れた手をティッシュで拭っていると、吉野が心配そうに尋ねた。
「スーツ汚さなかった?」
「ああ、平気だ。」
別にスーツの一着や二着、吉野のせいで汚しても構わないのだが、この後家に帰るのでさすがに吉野も気にしたのだろう。
「変なモノくっつけて外歩いて、トリが職質かけられても知らないからな。」
「そしたらお前が身元引き受けに来てくれるか?」
「お断わりだ!!」

ネクタイを結び直していると、たちまちベッドから蹴り出された。

「ちゃんと原稿進めておけよ。」
「わかってるよ。どーせ明日も来るんだろ?」
「ああ、明日は飯作ってやる。」
「やった!待ってる!」
無邪気な声をあげる吉野の頭をぽんぽんとはたいた。
さっきまであんな行為に耽っていたとは思えない表情だ。

 

「原稿あがったら、その時はしっかり抱かせてもらうからな?」
「……ッ!!」
今日はこれでおしまい、と掠めるように吉野の唇を舐めた。

「お、お前がこんなにエロい男だってことも知らなかったぞ……。」

 

 

その言葉、そのまま返してやるよと笑うと、どういう意味だと怒鳴られた。

 

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

2010/07/29