親友なんて言葉じゃ生易し過ぎる。 中学の頃から千秋だけを見てきた。 今、こうやって千秋のチーフアシスタントをしているのも俺の妄執だと思ってくれていい。 千秋を俺だけのものにしてしまいたい。 組み敷いて、俺の跡をつけて、誰にも渡したくない。 そんな俺の想いを露ほども考えていない千秋は、無邪気な顔で俺にこう言うのだ。 「優、俺たち一生友達でいよーな!」と。 おう、と明るく答えながら俺はため息をつく。 友達……ねえ。 この無邪気で美しい生き物は、俺の積年の想いを粉々に打ち砕き、 その上にきれいな友情を一生懸命作ろうとしてくれる。 その様子は可愛げで眩しくて、残酷だ。
だから俺はこいつの生態をスケッチブックに写し取りながら、つい不毛なことを考えてしまうのだ。 (いつか堕天しないかな、こいつ) そうすれば、無理にも俺のものにしてしまえる自信はあるのに。 鍋に胡麻油をひとさじ入れると、その音と匂いに反応したのか、真面目に原稿をやっていたはずの千秋が顔を出した。 いつものように俺は千秋の家のキッチンを借りて料理をしているところだった。 究極の家事不精であるこの家の主人は当然料理などしないので、ここのキッチンはほぼ俺と羽鳥によって管理されている。 羽鳥がこの家に入り浸って千秋に餌付けをしているせいで、 たまに俺がここで料理をしようとすると調味料や調理器具が羽鳥の使い勝手に合わせて配置されていて、ものすごく腹立たしい。 なので、そのたびに俺好みに置き直している。 「何作ってんの?」 ちゃっかりダイニングテーブルに座り込み、両肘をついて千秋は俺の手元を見つめてくる。 「きんぴら。この前みんなで話してただろ?」 以前、休憩中にアシも交えてみんなで雑談していた時のことだ。 自分が作る、あるいは今まで食べてきたきんぴらがそれぞれ違うという話題になったのだ。 入れる具材、具材の切り方、味付け、仕上げなんかをわいわいと話していた。 (千秋が主張したのは完全に羽鳥が作るやつだった。) 「そういえばみんな、優が作ったやつ食べたーいとか言ってたっけ。」 「そうそう。だから作ってるってわけ。」 明日からまたこの家にアシスタントが集合するので、その時に食べさせてやろうと思ったのだ。 完成が近づくにつれて、千秋の目が輝き出す。 その表情が面白くて、俺は見せ付けるようにわざと大袈裟な手振りで調味料を加えた。 「ねーねー、優ー」 「なに」 「味見は?味見ー。」 「味見っつっても、お前どうせ美味しいしか言わないじゃん。」 「いいじゃん。キッチンにいる特権だろ?」 子供みたいなねだり方をする千秋に負けて、きんぴらをひとつかみ菜箸でつかむと、千秋の口元に持っていってやった。 「ほい、あーん。」 あーん、と大きな口を開け、一気に頬張る。 あー、幸せそうな顔してやがるなー、こいつ。 「ど?」 「おいひい。」 満面の笑みだった。 (これだからこいつのこと甘やかしちまうんだよな。) そう心の中でつぶやくと、俺は一番嫌いな男の顔を思い浮べた。 俺も千秋に甘いつもりでいたけど、羽鳥はそれ以上にあいつに甘い。 打ち合せのたびに千秋は羽鳥にひどいことを言われたと喚くけれど、実際は羽鳥は千秋に甘過ぎだと思う。 食事の買い物をして、料理をしてやって、作りおきの惣菜を冷蔵庫に入れておいてやるなんて、30男が友人にしてやることじゃないだろう。 その上、母親のように口うるさいんじゃ面倒くせえとしか思えないが、当の千秋はトリトリ羽鳥とあとをついていく。
俺と羽鳥と何が違うのか。 いや、千秋くらい気の合う奴も珍しければ羽鳥くらい気の合わない奴も珍しいから、違うといえば全く正反対なのだけど。 俺は千秋が好きだからベタベタする。 からかって体に触るし、テンションが上がれば抱きついたりもする。 羽鳥はいつもそれを睨んでいた。 千秋の細い腰に手を回しながら、いつかこの気持ちを気付かれるんじゃないかな、と思う。 でもそれでも別に構わないとも思う。 だけど千秋は一向に気付く気配はなかった。 羽鳥は逆だった。 自分の想いを絶対に悟られないようにして、千秋に抱きつかれてもめんどくさそうに払い除けていた。 やるとなれば徹底する男だったから、そのタガが外れた時の反動も大きいのだと思う。 最後の起爆剤になったのは、たぶん確実に俺だ。 俺はとにかく羽鳥にムカついていた。 千秋への気持ちを諦めるのを自分で決めたくせに、ベタベタしている俺たちを嫌そうに見るのにも、 仕事にかこつけて千秋を束縛しようとするのにも全部イライラした。 決意はご立派かもしれないけど、それだったら完全に千秋のことを諦めればいいのに。
お前がどんなに想っても、千秋はそれに気付かない。 お前がそんなんじゃ報われることは一生ない。
羽鳥に言った言葉は、そのまま自分にも通用した。 何かを作り出す時にかけたエネルギーが100%返ってくることはない。 それは自然科学の法則だ。 俺が千秋のことを好きになる。 千秋もその分だけ俺に好意を持ってくれる。 俺のことを大事な友達だと言ってくれる。 だけど、恋愛感情だとか独占欲だとか、そういうドロドロしたものは一切返ってこない。 その手の感情だけ、きれいにロスされてしまう。
そんなやりとりを繰り返す中で出来上がっていくのは、不純物のない美しい友情、というわけだ。 「それさー、あったかいうちに食べた方がよくない?」 「ばーか、俺のは冷めてもうまいんだよ」 出来上がったのを皿に盛り付けていると、千秋が首を傾げてこちらをうかがってくる。 わかりやすい催促にぷっと吹き出すと、食器棚から二枚目の皿を取り出した。 一枚目の皿より少し小さめのそれに、小振りに盛り付ける。 千秋はそれをじっと見ている。 「なんで皿二枚?」 「お前のつまみ食い用。」 そう言ってやると、千秋の顔がぱあっと明るくなった。 「いいの?!」 「みんなで食べる分にはこれだけありゃ十分だろ。」 「やったー!!優、愛してる〜!!」 「はいはい。」 しがみついてくる千秋の肩をたたきながら、聞こえるか聞こえないかくらいの声で囁いた。
「千秋につまみ食いされるって前提で作った方が美味くなるしな。」 「えっ?」 作った料理にドロドロした恋心、絵を描く楽しみにちょっとしたイライラ、 全部お前にうまいこと食べられてしまう。 そうやってまろやかな友情が熟成されてきたけど、なんだかなあ、報われない。
ため息を飲み込んだ俺は、もうひとつかみ菜箸で取って、千秋の口に運んでやった。
END 2010/06/16 |