俺の横ですやすやと寝息を立てているのは、黙っていればそれなりに男前なくせに、 幼なじみでかつ同性の俺を好きになってしまったという粋狂な男である。 俺の担当編集であり、一年ほど前に、ただの幼なじみから恋人へとクラスチェンジを果たした男だ。 名前は羽鳥芳雪。 以前まるで歌舞伎の女形役者のような名前だと言ったら殴られた。 どこをどう間違えたら俺のような男を好きになってしまうのか未だにわからないが、 今のところは気持ちを告げられる声の真摯さだとか、抱き締められる腕の強さだとか、そういったとても恥ずかしい要素から信じるしかないようだ。 わりと心から(どうして俺なんかを…)と思っているのだが、例えば俺の母親あたりに言わせれば百倍辛辣な言葉で同様の疑問を呈するのではないだろうか。 千秋を恋人にだなんて、芳雪くん少し疲れてるんじゃないかしら、とかなんとか。 かように失礼なことを言われるのは容易に想像できる。 さらにこいつに気があるらしい妹から散々なじられる様を思い浮べれば、さっきまでのいわゆる恋人同士のピロートークというやつも身震いの原因物質でしかない。 えっ、芳雪くんと…?などと眉をひそめられた日には、すまん千夏と土下座して今後十年間は姿をくらませる予定だ。
まあこんな風に懲りずに何パターンも後向きなことを考えてはいるけれど、胸に手を当ててみてもさして重苦しいものを感じないのは、 結局トリが好きだからなんだよなあと、一人ジタバタしながら恥ずかしいため息をつくわけである。 まさか三十路を目前に控えて、こんな甘すぎる気持ちに身悶えする日がくるとは思わなかった。 (なんで気付かなかったんだろう?)
トリが女性といっしょにいればヤキモチを焼く。 当然元カノに会っていればイライラする。 大学の同級生相手ですら、ちょっと妬ける。 ぶっちゃけ仕事で忙しそうにしていても拗ねてしまうこともある。 トリと付き合い出してからの自分の嫉妬深さは、自分でもやや持て余し気味になっている。 そんなあからさまな感情がこの一年で芽を出して育ち切ったなどと、ちょっと信じられない気持ちでいっぱいだ。 これに対する妥当な答えはやはり、 『自分で気付かなかっただけで、昔からわりとトリのことがそういう意味で好きだった』 ではないかと思ってしまうのも仕方がないことだと思う。 だけどトリに真剣に告白された時のびっくり具合だとか、散々指摘される好意に対する自覚のなさとかを考えると、それもまた首を傾げてしまうわけで。 いくら何でも、昔からトリを少しでも恋愛対象として見ていれば、ここまで翻弄されることもないのではないか。 自覚のなさが罪だというのは、このことを指すのかもしれない。 自覚がない故に、一かゼロかがわからないのだ。 ふと幼き日の同級生にはやし立てられる声が頭に浮かんだ。
『もうおまえら結婚しろよー!』 あれはどうしてそんなことを言われたのだったか。 確かに優に言われる通り、生まれてから今日までトリにベッタリで暮らしてきたが、そうまで言われるような何かがあっただろうか。 寝過ぎたのとトリに死ぬほど抱き潰されたためにふやけそうになっている脳みそを奮い起こして、俺は懸命に記憶を掘り出した。 「あ……、心理テスト、だっけ?」
心理テストが流行る時期というのは学生生活において必ず出現するものだ。 ごたぶんに漏れず、クラスの女子はめいめいの購読雑誌を片手に心理テストに興じていた。 深層心理の何から何まで、このポップ体のフォントで書かれた数行の文章で丸裸にされてしまうというのだから驚きだ。 きゃあきゃあと騒ぐ女子の盛り上がりの波は、どんな風に吹かれたのか俺の方へ押し寄せてきた。 『ちょっと吉野、答えてみてよ。』 『はあ?俺?』 その時の状況をよく思い起こしてみれば、おそらく女子の目的は俺なんかではなく隣に座っているトリを話の輪に巻き込めないかという魂胆だったのでは、と推察できるけれど、 今よりもさらに単純だった俺は、何も考えずに話題に飛び込んだのだった。 心理テストの内容はあまりちゃんと覚えてはいない。 どこどこで誰かが何何をしています、それは誰でしょう、という類のやつだ。 俺は迷わず即答した。 『トリ。』
一瞬の静寂のあと、教室は爆笑の渦に包まれた。 何がそんなにおかしいんだと顔をしかめてやると、 『これで思い浮べたのって理想の結婚相手なんだって!』 『吉野のことだから、お母さんとか答えるかと思ったのにー。』 『ていうか羽鳥は吉野のお母さんだもんね。』 『わー、羽鳥かわいそー。』 こうきたもんだ。 というか何がかわいそうなんだ。 体よく笑い者にされた俺がやれやれとトリの方を見ると、何故か俺よりも不機嫌そうな顔をしていた。 こいつ騒ぐの好きじゃないもんな、とその横顔を眺めていたけれど、当時の俺にちょっと待ったと言ってやりたい。 トリの言葉の端々から逆算するに、信じられないことだがこの男は生まれた時から俺のことが好きだったらしい。 それは少し大袈裟にしても、当時トリがすでにそういう気持ちを持っていたとしたら? どんな気持ちで俺の無意識の回答を聞いたのだろう。 他愛もない遊びだと言ってしまえばそれまでだけど、あの不機嫌な表情はたぶんおそらくそういうことなのだ。 なんというか、こう、俺は筋金入りの無自覚なのだなあとちょっと笑ってしまった。 くるりと体を反転させて、トリの方を向く。 やたらと険しい表情で寝ているので、一体どんな剣呑な夢を見ているのだろうと心配になってしまう。 「寝てる時くらい力抜けって。」 ぐりぐりと指でトリの眉間の皺を伸ばしてやっていたら、腕と腰をつかまれ、抱き枕よろしく両腕両足で抱き込まれてしまった。 「……おい、起きてんのか?」 小さな声で抗議をしても、寝息は止むことはない。 寝たふりではないようだけど、心臓に悪い。 「まったく……。」 起きてる時もこれくらい素直に俺に甘えてくれればいいのに、とついつい余計なことを考えてしまう。
一人で何でも抱え込もうとするから俺はわかってやれないし、 全部隠そうとするから俺は気付かないのだ。 まあ、俺がいばって言えることじゃないんだけど。 とりあえずこいつが墓場まで持っていこうとしていた一生分の想いとやらを、少しずつ掘り当てていこうじゃないか、と俺は思う。 途中で恥ずかし死ぬ可能性は大だが、一応責任の一端は俺にもあるようだし。 結局俺が現在の抱きつかれているこの状態を重い暑苦しいと思いながら振り払えないのは、 要するにそういう意味で俺は相当トリが好きだから、ということになるわけで。 うん、だから、しょうがない。 思うところを無理矢理まとめた俺は、トリの腕の中でおとなしく目を閉じた。 この先も無自覚は罪だとかなんとか理不尽なことを言われ続けると思うが、 それでも以前に比べたらだいぶマシになったと思ってもらいたい。 これだけ全力で気持ちをぶつけられているのに肝心の俺がこんなんじゃ申し訳ないと思わないこともないけど、 もうしばらくは意識できるようになっただけ進歩だという言葉に甘えさせてもらおうと思う。
翌日うっかり知恵熱を出してしまった俺にトリが作ってくれた特製のお粥は五臓六腑にしみわたる美味さで、 あの時の心理テストはあながち間違ってはいなかったなあと俺は舌鼓を打ったのだった。
END
2010/05/17 |