花嫁の父親というのには憧れるものだね、とその人は笑った。 その言葉には特別な響きがあるという。 「はあ……。」 俺はとっさにうまい返事ができずに口籠もってしまった。
「あの…、息子さん方はどう頑張っても花嫁にはなれないんじゃないでしょうか。」 「高橋くんはいつも面白いことを言うねえ。」 にこにこと微笑むウサギ父を見て、俺はガクリとうなだれた。 宇佐見家の人間が姿をあらわすのはいつもいつでも唐突だ。 その上マイペースかつ強引に会話を展開するので流されないようにするのに一苦労する。 「……お久しぶりです。今日はどうしたんですか。」 仕方がないので普通に挨拶を返すことにする。 突っ込みたいことは山ほどあるけど今は我慢だ。 「ほら、今日はあの子の誕生日だろう?」 コンコン、とウサギ父はショーウィンドウのガラスを手の甲でたたき、色鮮やかに並ぶクマたちを指してみせた。 色とりどりの装飾に飾られた大小様々なクマたちは、ショーウィンドウの前にたたずむオッサンと大学生の男を怪訝な表情で見つめているように見えた。 「君がここにいるのも同じ理由じゃないのかい?」 俺が無言なのを肯定の返事と受け取ったらしいウサギ父に促されて、俺たちは店の中へ入った。 (またあのバカウサギのせいで……!) すれ違う人々に不審な目を向けられながら、男二人でキュート☆でプリティ☆なクマのぬいぐるみを物色するはめになったのも、何もかもあのクマ狂いのせいだ。 せっかくウサギさんの誕生日だから、まあ一応何かプレゼントをしようと考えている。 これは全然不自然なことじゃないはずだ。 恋人云々とかそーいうのはナシにして、一応毎日お世話になっている相手にプレゼントを送るのは人間としてごく当然のことだと思う。 その辺りは是非ウサギさんにも理解しておいてもらいたいところだ。 さて何を贈るかと考えたときによみがえる思い出の数々。 『俺』という選択肢は真っ先に削除するとして、やっぱり花なら喜んでもらえるだろうかとか、 いつも花じゃ芸がないだろうかとか考えながらウサギさんのカオスな部屋を掃除していたところ、ふと見渡せばクマ、クマ、クマ。 そう、ウサギさんは無類のクマ好きだった……。 これだ!と思い、学校帰りにギフトショップへ足を運んだら、ウサギ父と鉢合わせというわけだ。 いい年をしてクマに囲まれて生活をしている息子へのプレゼントというのはわからないでもないが、 (息子の方の性癖は理解できないけれど) このタイミングで会ってしまうのはやはり自分から妙なフェロモンが出ているせいなのでは、と疑心暗鬼になってくる。 お祓いでもすれば少しはマシになるんだろうか。 あとでウサギ祓いについて真剣に考えてみようと思う。 「同じクマといっても材質でずいぶん印象が変わるものだね。」 手の平サイズのクマを次々と手に取りながら、ウサギ父はそんな感想をもらす。 この人の中では木彫りのクマはクマ界で相当大きな一画を占めているんだろう。 少なくとも俺はクマを材質という視点で見たことはない。 「同じぬいぐるみだけど布のクマのスマートさに比べて毛がもこもこしている方は不思議な安心感があるね。……あれがクマたちに囲まれて暮らすのもわかる気がするな。」 頭を振ってウサギ父は笑った。 その顔はどこか寂しそうに見える。 その時、ウサギ父はある一体のクマのところで視線を止めた。 「ああ、これこれ。」 ウサギ父が手に取ったのはブーケを抱えドレスを着たウェディング仕様のクマのぬいぐるみだった。 「これがねえ、憧れなんだよ。」 隣に添えてあるポップには『ウェディングギフトにどうぞ』と書かれている。 「娘がお嫁に行ってしまう時にこんなのを渡されたら泣いてしまう。」 ウサギ父が泣くところは全く想像できなかったけど、その気持ちは理解できる。 テレビのドキュメンタリーなんかでも泣いてしまう場面だ。
「それまで当然のように子供は自分のものだと思っていたからびっくりしてしまうんだろうね。」 ねえ、と意味深な視線を投げ掛けられて、俺は犬のように首をぶんぶん振った。 「べっ別にウサギさんを俺は……っ」 「いやいや、君のことを話してるわけじゃないから安心して。」 そう言われたものの安心なんかできるわけなくて、俺は黙ってガラスケースに並んだクマたちに目を落とした。 「それにね、」 相変わらずウサギ父はウェディング仕様のクマを手の平で撫でている。 「子供が自分の元から離れてしまうのは寂しいけれど、寂しいだけで別に不幸じゃないんだよ。」 まあ、そのあたりの気持ちがわかってもらえたら、親子のすれ違いなんて起こらないのかもしれないけどね。 そう言って、難しいことだとウサギ父は笑ったけど、俺の頭の中はぐるぐるしていた。 確かにウサギさんは全然実家には寄りつかない。 宇佐見家の人間とは縁を絶って暮らしているように見える。 「でも、」 「?」 「でも、ウサギさんも……」 その続きはどうしても言えなかった。 『……ウサギさんも寂しかったと思います。』 そう言いたかったけど、俺はそこまでウサギさんの家庭の事情を知ってるわけじゃないし、 何より、言ってしまったらいっしょに涙が出てきて止まらなくなりそうだったから。 だから言葉をこらえることで涙もいっしょにこらえた。 「またつまらない話をしてしまったかな。」 「……いいえ。」 俺の顔を見ずにウサギ父は声を掛け、店員を呼んで会計をしてくれるよう頼んだ。 綺麗にラッピングの施された包みを俺に手渡し、ウサギ父はこう言った。 「そんなわけだから私から渡してもあれは受け取らないだろう。だから高橋くんから渡しておいてくれないかい?」 「あの……、」 俺が受け取るのを確認すると、店の外に停まっていた車に素早く乗り込んだ。 「じゃあ、今度は木彫りのお店に行こうね。」 ひらひらと手を振ると、黒塗りの車は遠くへ走り去ってしまった。 俺はそれを呆然と見送ると、ラッピングされた包みをじっと見つめた。 「おかえり。それはどうした。」 「なんかウサギさん宛てにって。……誕生日プレゼントとかじゃない?」 とりあえずこれを渡せば役目完了とばかりにウサギさんに預かり物を渡した。 少し不審がられたけど、一応素直に受け取ってくれて安心した。 ウサギ父からと言えばまた機嫌が悪くなりそうだから、しばらくは黙っておこうと思う。 早速包みをほどき始めたウサギさんがニヤニヤとこっちを眺めてきた。 「…何?」 「いや、誕生日プレゼントというよりは結婚祝いだな、と思って。」 その手にはさっきのウェディング仕様のクマが乗せられていた。 「誰と誰が結婚するんだよ!」 「さあ、誰と誰だろうな?」 ……とりあえずは喜んでいるようで何よりだ、と思うことにする。 一つ咳払いをして、気を取り直した。
「こっちは俺から。」 ポンと花束をソファーでニヤついているウサギさんに向かって投げた。 「ブーケっぽく作ってもらった。ウサギさんみたいにワガママで生活能力ゼロの俺様でもいい人がもらってくれますようにってね。」 ウサギさんはムカつくくらいスマートな動作でそれを受け取ると、一瞬もためらわずに俺の身体を引き寄せた。 「ありがとう、美咲。だけどもらって欲しい奴はもう目の前にいるんだけどな。」 「寝言は寝て言……んんっ…。」 こんなヨメ誰が要るかと言おうとしたけど、その前にしっかりと口を塞がれた。 だけど強引だったのは俺を抱き寄せるまでで、まるで縋るようなキスをされて驚いた俺は、思わずウサギさんの頭を抱えるように腕を回してしまった。 俺にはまだ聞けない。 ウサギさんも寂しかったの?、なんて。 だからその代わりにこの言葉を言わせてほしい。
「誕生日、おめでとう。」 この先何回でも言いたいなんて言ったら、この辟易するようなキスの嵐が止まないような気がするので今は胸にしまっておく。 いい加減にしやがれと蹴り飛ばすと、ウサギさんのスーツの上にはらはらと花びらが舞い、一足早い夜桜のような模様になった。 END 2010/03/02 |