「あと何往復」

 

 

ホームにベルが響き渡り、電車が駅に到着した。
俺は足元に置いていた荷物を肩に担ぎ直すと、電車に乗り込んだ。
野分へのメールは座ってから続きを打てばいいだろう。
携帯電話もたたんでポケットへ入れる。

俺が乗り込んだ車両は他に乗客はいなかった。

 

手元の特急券を見ながら自分の席を探す。
他に客はいないのだから、どこへ座ってもいいかとは思ったが、どことなく落ち着かず指定された席に腰を下ろした。
こんなたかだか20分ちょっと乗るだけの快速に、皆金など出さないのだろう。
俺も別に普通に乗ってもよかったのだが、少しだけ贅沢をしたい気分になって、やや高い切符を買ってしまったというわけだ。
だけど静かで綺麗な内装の車両は俺を満足させた。

思索にふけるのにもちょうどいい。
荷物を置くとさっそく携帯電話を取出し、メールの続きを打つ。

『実家に行ってくる。明日の夕方には帰るから。』

そこまで打って画面を眺める。
続きを打つといってもそれ以上の文章は特に思い浮かばなかった。
実家へ行くことは一応野分にも言ってあるし、そもそも俺が出ている間野分は仕事で家には帰ってこないのだ。
まあ別段急ぐ用件のメールでもないし、と俺は視線を携帯電話の画面から車窓へ移した。
流れてゆく景色を見ながら、外は少し寒いだろうなと思う。
実家でゆっくりしたいわけでもなかったから、昼飯を食べたあとのんびりと出かけてきたのだった。
実家で用事があるわけでもない。
ただ、たまには顔くらい見せなさいと言われたので、予定がなく野分がいないこの連休に帰ることにしたのだ。
どうせ顔を出したところでおふくろの話といえば、秋彦は元気かだとか、同級生の誰それが結婚しただとか、親戚の某が弘樹の顔が見たいと言っていただとか、そんなような話に決まっている。
そういうどうでもいい話に付き合うのも親孝行の一つだろうが、まあお決まりのパターンというやつだ。
予想される話題をあれこれ思い浮べながら、ふと思う。

野分のことは聞かれるだろうか、と。

 

野分とルームシェアをしていることはもちろん言ってある。
(もちろん同棲だとは言っていないけれど。)
そのこと自体は別に怪しまれるようなことではないし、たぶん親の方も気にしていないだろう。
一言、あんたが他人と折衝して暮らせるようなタイプだとは思わなかったと言われた。
その時は、俺はそんなに協調性なさそうに見えるかと怒鳴ったけど、確かに他人に干渉したりされたりは好きではない。
協調性があるかと聞かれれば、人並みだと答えるだろう。
だけど野分と暮らし始めてから、うまくやっていこうと気負った覚えもない。
野分はただ当たり前のように俺の隣にいて、にこにこと笑っていた。

逆に俺がまだ秋彦のことを好きだった頃は、もし秋彦と付き合えたなら俺はあいつにとって完璧な恋人になるのだと気負っていた気がする。
秋彦の好みも全部わかっているし、もし秋彦といっしょに生活するようになったらあいつにとってベストな環境を作ってやれると思っていた。
当時は真剣にそう思っていたが、今考えればちゃんちゃらおかしい。
そうやって自分を無理して変えて、あいつに合わせて、それで本当にやっていけるとでも思っていたのだろうか。
おそらくどこかで無理が出ていただろう。
今だったらあの頃はバカだったと笑えるけれど、当時は真面目にそう思っていたのだからどうしようもない。
また懲りずにしょっぱい過去を思い出してしまった。

それに比べて野分と付き合った時はどうだったか。
そりゃまあそれなりにドキドキしたし、あいつと何をしようどこへ行こうと浮かれたことも一応あった。
だけど何が何でも野分とうまくやっていかなければ、と思ったことはないんじゃないだろうか。
俺が野分を好きになった頃は(たぶん)すでに野分に告白されたあとだったし、それにあぐらをかいていたとも言えなくもない。
最初はまだ単純に追われる恋だと思っていた。
追う野分に戸惑う俺。
野分を受け入れるだけで精一杯だった。
それがいつのまにか俺が野分を追うようになり。
車窓の町並みを眺めながらふと、あの日、野分が帰国する空港から帰る電車に乗っていたときのことを思い出した。
あの時が一番二人の間がどうなるかに必死だった気がする。
留学の一件でやっと俺はこう思ったのだ。
野分とこの先付き合っていくならば、俺もそれなりの努力をしなくてはいけない、と。
だけどそれは自分を変えるとか無理をするとかではなく、ほんのちょっとの照れを乗り越えて気持ちを言葉にするとかの些細なことだ。
今のところ野分との生活に無理は感じていないし、正直野分と離れることの方が難しいんじゃないかと思っている。
だから野分が自分の契約した部屋にいっしょに引っ越してほしいと言ってくれたときは、自分でも馬鹿じゃないかと思うくらい嬉しかった。
でも俺はこの先もずっと野分といっしょにいることができるということが何よりも重要だった。

 

 

さてその引っ越しについてだが、当然俺も親に住所が変わった旨を連絡した。
しかも今度は部屋の名義は野分だと。

今回はちょっとヤバいかな、と思った。

昨今ルームシェアなんぞは珍しくもないが、特に接点のない人間がまた二人そろって別の場所に引っ越すのだ。
わざわざ野分といっしょに引っ越すということで、二人の関係の特殊性に感付かれるのではないかと思ったのだ。
気が合う奴だから、もっと便利なところにまた二人でルームシェアすることにしたんだよ、と言ってしまえればいいのだろうが、
うまく何でもない風を装えるかやや不安だった。
ルームシェアという言葉がまず俺たちの状態を示すのに不適当な気がした。
俺は誰かと部屋を分け合いたいわけじゃない。
野分といっしょにいる時間を増やすために、二人で暮らしているのだ。

だけど、それをまだ俺は親に話すことができなかった。

野分はことあるたびに俺の親に挨拶したいだとか息子さんを下さいだとか、そういうことは言うけれど、二人の関係を打ち明けることを急かしたりはしない。
それでも俺の親の話をするときの野分のちょっと寂しそうな目は、相当俺をさいなんだ。
(そりゃ、俺だっていつかは……。)
野分とこの先ずっといっしょにいるつもりならば、どこかで二人のことを話さなければならないだろう。
野分と七年も付き合ってきて自分も年をとったと思うが、自分より先に親たちが老いるのだ。
人間である以上、社会的な人間関係を断って生きていくわけにはいかない。
愛さえあれば、世を捨てて二人っきりで動物のように山で暮らしていく……なーんてことできるわけない。
人間をやめるわけにはいかないのだ。

野分はおそらく急がなくてもいいと言ってくれるだろうし、俺もまだ焦ることはないと思っている。
だけどこうして実家に帰るたびに、来たるべき日のためのシミュレーションを色々考えてしまうのだった。
とりあえず野分と二人で帰り、『息子さんを俺に下さい』と言わせるのは一番に却下だ。
そんなこれを親の前で言われた日には、俺の心臓がもたないだろう。
ほんとにあいつは何を口走るかわかったもんじゃない。

なんとなくだが、二人のことを親に話すことがあるとすれば、まず俺一人で来るのではないかと思っている。
もちろん俺一人の問題ではないのだけれど、俺の口からちゃんと親に告げることが野分への誠意のように思えるのだ。

野分と俺の関係を話して、自分はこの先野分といっしょに生きていくことを宣言、する……?

自分にそんなことが言えるのかは甚だ疑問だが、うすぼんやりと考える未来図では、俺は今みたいに一人で実家へと向かっていた。
そうして、やっぱり野分に何と告げようかとメールの文面に悩んでいる。

ふむ、と俺は息を吐き、腕時計を見た。
あと五分ほどで目的地の駅だ。
別に今日はたいした用事があって帰るわけではないから、今ここでうだうだ考え込む必要もないだろう。
野分のことを尋ねられたら、あいつと住んでよかったということだけ話そうと思う。
おふくろはきっと、奇特な人がいてよかったわねえと笑うことだろう。


『実家に行ってくる。明日の夕方には帰るから。』

そして、

『今度はお前も来られるといいな。』

『今度』はいつになるかはわからないけど、と一人小さく首を振った。
ピ、と書いたメールを送信すると荷物をまとめて立ち上がった。

 


まだ俺にそんな大層な覚悟があるわけじゃない。
ただなんとなく、この先もずっと野分といっしょに暮らしていくんだろうな、と思う。
今みたいに、日々の生活に一喜一憂して。
まだまだ決心を形にするなんてたいそれたことはできそうにないが、
俺だってこうしてたまには将来のことをほんのちょっとだけど考える時だってあるんだぞ、と遠くの野分に向かって心の中で呟いた。


電車は俺の背中を押すように、音を立てて走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

2009/10/13