「ワインと…、あとはチーズだな。」 朝っぱらからスーパーで何を物色しているかといえば、今日は可愛い可愛い後輩の誕生日なのだ。 今年研修医としてウチに配属されてきた後輩・草間野分はおっとりとした好青年優等生で、 他人をイジるのを最も得意としている俺にとってベストな人材だった。 人間関係があまりストレスにならないような俺でも苦手なタイプはある。 俺にとって一番厄介なのは勝手にこっちをライバル視してくる熱血漢で、そんなのと組まされた日には面倒なことの連続になるに決まっている。 しかもそういうヤツに限って気負い過ぎて自滅していくのだ。 その点野分は小児救急というハードな現場に立つことを強く望んでいながら、若いくせに余計な力みがない。 人当たりもいいし、あいつのちょっととぼけたところを俺が面白可笑しくからかえば、あっという間に小児病棟の人気コンビのできあがりだ。 俺の突っ込みを適当にかわしながら、しかもちゃんと先輩として尊敬してくれているらしい。 それだからこっちもしっかり面倒をみてやろうという気にもなるものだ。
俺みたいな性格が苦手な人間が一定数いるのはちゃんと知っている。 そういうのと関わってもいいことはあまりない。 だけど学生時代なら無難にスルーで切り抜けられるが、職場だとそうもいかない。 できるだけこっちの負担にならないような奴が来てくれればマシな方だが、今回は当たりクジだ。 野分はこのまま小児に残りたいようなので、草間先生を逃がさないように優しくしてあげてくださいね、とナースたちからも釘を刺されている。 いやいや、俺は誰彼かまわずいびるような男じゃないんだけどね? そんな隙のない野分だが、唯一の弱点はヤツの恋人だ。 わりと知り合った当初からでれでれと惚気てくれたので、 優等生くんにもこんな一面があるんだなあと思っていたが徐々に違和感を感じ始めたのはいつ頃だったか。 あんまりにも可愛い好きだを連発するので、一目見たいと言ったところ、野分は即答した。 『ダメです。』 そりゃあもう一刀両断、バッサリだった。 俺は大人なので、別に悪いことなんか考えねーよと笑い飛ばしたが、引っ掛かりは拭えなかった。 うまく言えないが、野分から女のニオイがしてこないのだ。 見るからにモテそうだし(実際ナースからは大人気ときた)、可愛い彼女の一人や二人いてもおかしくない。 だけど、こう、話を聞いていても一向に彼女像が浮かばないのだ。 一番極端なのでは、実は恋人なんか存在しなくて全部野分の想像の産物なんじゃないかとまで考えた。 こいつはちょっと他人とズレたところがあるから、そんなオチも有りのような気がした。 真実は突然転がり込んできた。
真っ裸で床で寝ていた俺たちを地獄の使者のような目付きで睨んでいるその人を見て、全て納得がいった。 ああ、なるほど。この人だ、と。
別にその頃には野分がどんな奴でも不思議ではないと思うようになっていたし、疑問が解けたことでとにかく俺はスッキリしていた。 むしろどうして恋人が同性という可能性が浮かばなかったのか。 とにかく野分の恋人・上條さんはからかいがいのある人だった。 だって俺と野分が服脱いで寝てただけで即浮気に結びつくなんて、俺たちは肉体関係のある恋人同士ですって言ってるようなもんだろ? 男同士で即デキてるんじゃないかと疑うなんて、どんだけスゲー世界に生きてるんだよ。 俺の登場に困惑した上條さんが繰り広げた面白エピソードの数々はここには書ききれないが、 一連のドタバタでの俺の感想は、今どき奇特なくらい純情な人だなあというものだった。
昨日の夜も、ついうっかり上條さんに絡んでしまったところだ。 まあ可愛い後輩がぐったりしてたのを見かねたのもあるし、野分だけじゃなくて俺もちょっと疲れていた。 不機嫌そうな上條さんを見た瞬間、仕事と私どっちが大切なの?なーんてベタな台詞が浮かんでしまったのだ。 上條さんは野分に向かってそんなことを言うような人じゃないことはわかっている。 問題なのは、あの人はそれを表情から隠せないことなのだ。 素直なことは人生において美徳なのだろうけど、この人の場合はもうちょっとコントロールできてもいい。 肩にかついだ野分が上條さんの声にピクリと反応した瞬間、俺の意地悪な性分が顔をのぞかせてしまった。
仕事につまらない私情を持ち込んで失敗してきた奴を何人も見た。 医者の失敗は決して成功の元みたいな綺麗事じゃない。 命の損失だ。 それは患者の命でもあり、同時に医者の命でもある。
そんなこと医者じゃない上條さんに言ったってただの八つ当りだけど、これだけは言いたかった。 あなたはすでに野分を生かすことも殺すこともできる立場にあるんですよ、と。 野分がどれだけあなたに依存してるか知らないはずはないでしょう? …ちょっと言い過ぎたかもしれない。 こんなことでイラついてる俺はまだまだ若いってことか。 三秒くらい反省したが、このくらいであの二人がどーこーなるとは思えないので、煙草を一本だけ吸って寝た。 たぶん雨降って地固まるみたいなことになっているんだろう。 俺がしおらしく反省したところで、当人たちはらぶらぶいちゃいちゃなんてことだったら本気で俺の方がバカを見る。 なんかムカついてきた。 そうそう、昨日は調子悪かったけど野分はこんくらいでダメになる男じゃないんだよ。 この前だってあんだけ怒らせといて、結局上條さんの方から野分に会いにくるんだもんなー。 野分お前愛され過ぎだって。 大の大人の男がヤキモチ丸出しって、野分お前ほんとすごいよ、生ける奇跡だよ。 「……奇跡、拝みに行くか。」
きっと昨晩は、 俺の一言で上條さんイライラ ↓ 目を覚ました野分がそれを慰める ↓ 上條さんキュンとなる ↓ 暗転 …みたいな展開になっているだろうから、今日はきっと二人ぼっちでささやかな誕生日をやってるに違いない。 じゃあ可愛い後輩のために先輩が色々準備してやろうじゃないか。 ドア開けたらまだお楽しみ中だったらどうしようかな〜。 また上條さんからかうネタができちゃうな〜。
わくわくしながらチャイムを押すと、いつもの笑顔の野分と不機嫌そうな顔の上條さんがでてきた。 これは純粋に俺に対する苦手意識だ。 さりげなく腰に回された野分の腕だとか、部屋の隅に見える二人分の脱ぎ捨てられた服だとかを見れば、あのあと二人の仲がこじれたとは考えにくい。 いつも通りの二人だ。 俺の昨日の嫌味も帳消しにされていることだろう。
うん、無駄な反省しなくてよかった! さわやかな気分になった俺は部屋に上がりこみ、ケーキの箱をあけた。 この前病院の子供たちに夢を書いてもらったとき、女の子はこぞってケーキ屋さんと書いていたものだ。 ケーキは夢や希望のあらわれだという。 ならば俺はこのケーキを野分と上條さんに贈ろう。 誰かを思って泣いたり怒ったりすることがこんなにも簡単にできることだなんて、この二人と知り合うまで久しく忘れていた。 人生、まだまだどんな人と出会えるかわからないものだと年寄りくさいことを考えながらシャンパンを開ける。 これからもちょっかい出すと思うけど懲りずにヨロシクの意を込めて、 上條さんと乾杯をしようとしたら、ものすごく俊敏な動きでよけられた。
END
2009/09/07 |