「ああ、もう六月なんだね。」 父の日というのは母の日に比べ、とかく目立たず忘れられがちだ。 自分の身を振り返っても、父の日の思い出といったものはそれほど多くない気がする。 会議などで部下が娘にもらったというネクタイを見て密かにうらやましいと思ったりしたものだ。 私だって子供たちから贈られた歳に合わないちょっと派手なネクタイをつけて照れてみたいじゃないか。 しかし別に物が欲しいわけではない。 物を手にするという点から見れば、私が手に入れられないものなどそうそうないだろう。 金もあり、名もあり、コネクションもある。 父の日のプレゼントが欲しいんだと言えば、四方八方からプレゼントがやってくるだろう。 しかしそれを以てしても得られないものというのがあり、それは形のないものだ。 そう、例えば子供たちとの信頼関係のように。 そういったものこそ、この歳になって切に手に入れたいと思うようになるのだ。 欲しいと思ったときには時すでに遅く、皮肉なものだと思う。 それでも昔はまだマシだっただろうかと、子供たちがまだ幼かった頃から順に思い出してみた。 一番目の息子はとてもよくできた優等生だった。 勉強もスポーツもいつも一番で、宇佐見春彦の名前は学校で輝いていたね。 優秀な息子がいて私は本当に素直に嬉しいと思っていた。 ゆくゆくは宇佐見グループを担う身になるのだから何でもできるようになれ、とは確かに何度も言った気がする。 勉強をしっかりして、経営学を学び、宇佐見グループの中枢の一員となる。 それが私の息子の将来として最も妥当なものだと思ったし、決して不幸な道だとは考えていなかった。 ただし勉学を怠けていてはこの場合不幸になることはわかっていたので、とにかく学校ではしっかりやれと言うのがいつのまにか口癖になっていた。
実際、春彦は何でも私の言うとおりに励んだ。 何度も言うが、私はこうして親の言ったことをよく守る子で嬉しいと思っていた。 テストの成績を、部活の大会な結果を、受験の合否を報告するとき、よくやったと私は誉めた。 しかしどこか心の中で、当然のことと思っていた節があったのかもしれない。 まだ小学生だった春彦はにこりともせずにこう言うのだ。 「当たり前のことですから。」 そうだな、とそこで会話を終わらせてしまった自分を今では非難したい。 春彦は自信家だったのだろうか? 己の優秀さを知っていた? 今ならばわかる。 そうではない。 当時の彼は『恐れて』いたのだ。 私には子供たちを母親によって区別するつもりなどなかったし、同じように接してきたと思っていた。 しかし子供の敏感さは大人の目をしっかりと察せるものだった。 春彦は私が描いたレールから外れてしまうことを恐れていたのだと思う。 たとえ彼が私の期待に沿えなかったとしても、彼を見捨てるようなことはしなかっただろうが、 それでも春彦を取り巻く環境はのびのびと道を決めるという選択肢を選ばせなかった。 無理強いをさせたつもりはない。 しかし春彦が優秀で従順な後継ぎに育ちながらもそれに反発を覚えたとて、どうして責められよう。 ただ、道を引き返すには私もあいつも世間を知り過ぎてしまった。 春彦からはきちんと毎年父の日の贈り物が届く。 しかし宛名書きを見れば、それは春彦の字ではなく秘書の字だ。 おそらく秘書の方の気遣いで送ってくるのだろう。 私だって今更感謝の気持ちがこもった贈り物が欲しいなどとは言わない。 それを言うのは私はあまりに公の人間でありすぎた。
父親とはかように寂しいものなのか、と小綺麗な秘書の文字を眺めて思うのだ。 こんな感情を抱くというのは贅沢なことなのだろうか。
二番目の息子はというと、こっちはまた父の日どころか独立してから連絡一つよこさない。 秋彦は兄とは違って、何事にも奔放な子だった。
兄に劣らず優秀な子供だったけれど、彼の頭には私の言い付けなど一片もなかったことだろう。 そもそも会話を交わしたことも少ないような気がする。 頭がよかったから勉強もできたし、運動神経もよかったからスポーツも得意だった。 ただそれだけの話で、別に宇佐見グループを継ごうという考えはさらさらなかったはずだ。 情けない話だが、秋彦がずっと内に秘めていたであろう自由への渇望を長らく私は気付かなかった。 いつも田中からは本ばかり読んでいる子だと聞いていたので、単に内側へ籠もりがちな子なのだと思っていた。 一人で暮らしてゆく力を身につけた秋彦は、すぐに家を飛び出していった。 もちろん私だって、秋彦に宇佐見グループの後継者の一人になってほしかった。 秋彦は宇佐見グループを飛躍させた先代に似ていて、必ずやグループの大きな力になるだろうと踏んでいた。 しかし彼はそのまばゆいばかりの能力を決して宇佐見家のためには使おうとしなかった。 秋彦が家を出てすぐは、彼は一体何がしたいのだろうと首を傾げたものだ。 じきに、あれが小説家としてデビューしたという話を耳にすることとなる。 家人から聞いたのか、業界の知り合いから聞いたのかは忘れてしまった。 私は自ら書店に赴いて、秋彦の小説を購入して読んでみた。 そして私は悟った。 秋彦が自分の力を何にそそいでいるかを。 彼は自分の世界を作り上げることに能力の全てをそそいでいた。 秋彦の小説を読み、妙に納得した。 道理で宇佐見グループなどという他人の作り上げた世界に興味を示さないはずだ。 作品の中で彼はいつも居場所を探していた。 幼かった彼が探し出せなかった自分を守ってくれる場所を、大人になった彼は自分で作ることにしたのだろう。 とても幼く、脆く、美しい動機付けに私の心はひどく動揺した。 そういえば昔一度だけ、父の日のプレゼントらしきものをもらった記憶がある。 近所の友達といっしょに作ったという、折り紙で折ったバラのついた小さな栞だ。 彼にとっては、友達が作るついでに作った取るに足らないものかもしれない。 それでも未だに都合のいい夢を捨てられない父親は、 これを持っていればあるいはいつか子供たちと心を通じさせることができるかもしれないと、その栞を手放さずにいる。 息子たちもそれぞれいい年になり、このまま私と彼らの関係に変化が訪れることはないかもしれないと思い始めていた。 自分からは何もなさずに希望が叶うことはないということは十分に知っていたけれど、 努力をしてもそれが百パーセント報われることはないということもまた十分に知っていた。 一生懸命ひよこをピヨピヨさせてみても木彫りの熊について語ってみても、春彦は私のことを社長としか呼ばず、秋彦からはやはり何の音沙汰もなかった。 それでも私は春彦に宇佐見グループの後継者としてもっと積極的にはばたいてほしかったし、 秋彦にはできればもう一度宇佐見家へ戻ってきてほしかった。 何よりも彼らの口から直接、いま自分が幸せであると聞かせてほしかった。
だいぶあきらめに近い感情が心を覆ってきた頃だった。
私が高橋くんと知り合ったのは。 最初はここまで彼が自分の子供たちに関わろうとは思ってもいなかった。 ただ素直で親切な子と出会えてとても楽しかっただけなのだが、 だんだんと彼を中心に子供たちの様子が変わり始めたのに気付いたときは、さすがに考え込んだ。 高橋くんは悪い子ではないけれど、いかんせん私の周囲をかき乱し過ぎた。 もちろん彼にはそんなつもりなかっただろうけど。 彼にはずいぶんキツイことも言ったと思う。 それでも彼によって子供たちたちが今更道に迷うのには耐えられなかった。 半端な気持ちで彼が春彦や秋彦な関わって不幸を招く、というストーリーが一番に思い浮かんでしまったからね。 だけど私が思った以上に高橋くんは強い子だった。 まだまだ経済力や心構えは未熟だけれど、息子たちに全力でぶつかれるという強みがある。 彼のこの強みに私は瞠目した。 数十年私が患ってきた子供たちとの関係性を変えられることができるかもと思えるくらいに。 だって私がずっとできなかったことを、彼は軽々やってのけたのだ。 春彦の心を開き、秋彦を叱り飛ばした。 高橋くん、君の素直さ、真っすぐさは見ていて少しだけ眩しかったよ。 まだ君にありがとうなんて先走った感謝の言葉は口にできないけれど、君は私に確かに希望を示してくれた。 今年もまた父の日がやってきた。 やっぱり春彦からは例年通りのものが届いたし、秋彦からは連絡はなかった。
だけど春彦からの贈り物の宛名書きは今年は秘書の字ではなく春彦本人の文字だ。 そして秋彦からは何もなかったけど、その代わり高橋くんからお菓子が届いた。 可愛らしい箱いっぱいに木彫りの熊を型どったクッキーが詰まっていた。 その話を春彦にしてやると、彼らしいとつぶやいてほんの少し笑った。 物事は必ず変わってゆくもので、それがいい方向なのか悪い方向なのかは誰にもわからない。 それでも私のような年よりは若い子には見えない余計なものが色々見えてしまうあまり、高橋くんが子供たちに与える影響を良い方向へ考えることができなかった。 だけど彼の姿を見ていて、良いとか悪いとか決め付けるのは早計だと思った。
君は秋彦を幸せにしてくれるかい? その覚悟はある? そんなことを彼に言えば、また元気よくわめいて秋彦とケンカを始めるのだろうね。 何十年も長く生きている私でも、未来がどんな方向へ転ぶかはわからない。 実際、去年の今頃はこんなに愉快な父の日が過ごせるとは思ってもみなかったじゃないか。
クッキーを一つつまんで口に放り込むと、春彦に車を出させた。 父親というものは寂しいことも多いけれど、決して辛いものではない。 そんな当たり前のことを思い出させてくれたことが、何よりの父の日のプレゼントだ。
「寄り道はしませんよ。」 お返しに何を贈ろうかとニヤニヤ考えていると、運転席から春彦にたしなめられた。
END
2009/06/20 |