まだ寒さの抜けない夜。 俺は野分を湯たんぽ代わりに寝ていた。 風呂上がりにソファーに寝転がりながら本を読んでいたので、足先がだいぶ冷たい。 なので隣に寝ている野分のパジャマのズボンの裾を足の親指でたくし上げると、 そのふくらはぎに冷えきった自分のつま先を押し当てた。 こいつは助平だから俺がムラムラして足を絡めてきたとかそんなことを期待していたに違いない。 足の一番冷たいところを押しつけたところ、うわっと言って驚いた。 「びっくりさせないでください、ヒロさん。」 そう言って笑う野分はすげえ可愛いと思う。 雑貨屋なんかでキャラクターをかたどった湯たんぽが売られていることがあるが、 そんなものよりもこいつの方が可愛くて温かいと思う。 まー、俺専用だけどな!! 湯たんぽとしての役割を把握したらしい野分は、両足で俺のつま先をぎゅっぎゅっとはさんで暖め始めた。 そのリズムと体温が心地よくて、俺は今にもまどろんでしまいそうだった。 寝る前にこんなものを得られるのならば、寒めの春も悪くはない。 ※ 「ヒロさん知ってますか?心臓ってすごく特別なんですよ。」 まだ俺が寝ていないのを確認したあと、野分がそんなことを話し出した。 「…心臓が特別なのは何となくわかる。」 「俺がすごいなあって思うのはね、」 心臓は自分でドキドキできるんですよ。 「どういう意味…?」 「腕とか足の筋肉は興奮を伝えられないと伸び縮みできないけど、心臓は自分で興奮できるんです。」 だから心臓は体の中で特別な存在なんです。 野分のうっとりとした声を聞きながら、俺は俺と心臓の歴史を振り返っていた。 思えば俺の心臓は小さい頃から大変危険な目にあってきた。 今よりもずっと小さかっただろう心臓は、幾度とない爆発の危機を乗り越え三十年近く俺と連れ添ってきたわけだ。 そして現在、俺の心臓の最大の敵は隣で寝ているこいつである。 『心臓が止まるかと思った』という表現はよく言ったもので、 野分に出会ってからというもの、何回心臓が止まりかけたことか! 初めてキスをされた時。 その直後に告白を受けた時。 突然俺の目の前からいなくなってしまった時。 留学から帰り、野分の俺に対する思いを告げられた時。 …病院の先輩とやらと裸で寝てるのを目撃してしまった時。 こうして見ると意外に俺の心臓は丈夫なのかもしれない。 心臓が止まる程ではなくとも、ドキドキさせられたことはそれこそ星の数程だ。 で、なんだって? 心臓は自分で興奮している、と? 「…じゃあ俺がドキドキしてもそれは俺じゃなくて心臓が悪いってこと?」 俺がなんでもかんでもドキドキさせられるのは、俺が冷静さに欠ける人間だからじゃないのか? 「ふふ、ヒロさんドキドキしてるんですか?」 「今じゃねえよ、ばか。」 なんて、野分が俺の胸近くに手のひらを置けばわかってしまうことなのに。 「なんのために鼓動が早くなるんだろうな。」 今まで何度も早鐘を打ってきた俺の心臓。 あれは一体俺に何を告げたいのだろうか。 「うーん、心臓はポンプですから…。体が目一杯動ける準備をしてる、のかな。」 そうか。
ドキドキと高鳴る心臓は臆病な俺を早く動けと急かしているのか。 どくん、どくん、どくん。 動け、動け、動いてしまえ。
長年連れ添った相棒のメッセージの意味を悟った俺は、 野分の胸元に顔をくっつけて、その広い背中に腕を回した。 「どうしたんですか、ヒロさん?起きてるうちにくっついてくるなんて珍しいですね。」 「…俺じゃねーよ。俺の心臓が…」
俺の心臓がお前を離すなと言っているから。 「じゃあ俺も失礼して。」 野分はそう言ってがばっと更に俺の身体に覆いかぶさると首筋に顔を埋めてきた。 「俺の心臓もヒロさんとこうしたいって言ってます。」 「うそつけ。てめーのはそんな可愛げのある心臓じゃねえだろ。」 「あっ、ヒドイです。」 図太くて、突拍子もなくて、でも俺を安心させる音を刻む野分の心臓。 ぴたりと寄せた耳にその音が心地よかった。 ※
こうして俺たちは互いの心臓に急かされながらお互いを求め合うのだと思う。 もちろん毎回早鐘を打つ鼓動に従順でいたら身体が持たないけれど、 これまでずっと俺と心臓と連れ添ってきたのだから、たまには言うことを聞いてやってもいいかもしれない。
俺の湯たんぽにしがみつきながら、ついそんなことを考えてしまったのだった。
END
2009/03/29 |