「それが病魔となる前に」

 

 

「なんで手紙を書くんだと思う?」


忍がそんなことをぽつりと呟いたのは二人で何をするでもなくテレビを見ていたときだった。

 


今日俺が部屋に帰ったとき忍はすでにそこにいて、俺に気付くとそそくさとキッチンへ駆け込んだ。
にこっと笑っておかえり、なんて言ってくれる日はくるのだろうか。
そのうち軽快な炒め物の音が聞こえてきて、この時点で今日の晩飯はキャベツのフルコースに決定だ。
しかしそれがわかっていながら、つい晩飯を食べずに帰宅する日が増えている、ような気がする。

『宮城、…晩飯は?』
『いや、まだ食ってない。』

こんなやりとりだけで忍が見せる微かに嬉しそうな顔を俺はそれほどまでに見たがっているというのか。
…もう考えるまい。
365日忍のことを考え続ける運命にだいぶ俺も飲み込まれ始めている。

スーツから部屋着に着替え、忍の作った緑に彩られたメニューにいただきますと手を合わせ、もそもそと食べ始めた。
向かいの椅子には忍が座り、酒を飲んでいる。

「忍チン、未成年の飲酒で捕まるのは俺なんですが。」
「もっと捕まりそうなことしてるくせに。」
それを俺に迫ったのは誰だと問い詰めたいのをキャベツと一緒に飲み込んだ。
忍の飲みっぷりはやはり男らしかった。

俺が忍チンに致した数々の犯罪的行為を覆い隠すのに、恋愛とはなんと便利な言葉だろう。
まるで免罪符の如きその言葉。
好きだから仕方がない。
愛しているから仕方がない。
以前の俺はそれを振りかざしてはどんどん身勝手になってゆくのを恐れたので、
しばらくその手のものとは遠ざかっていた。

遠ざかっていたはずだったのだが。

好きだ好きだと俺に突撃してきた忍。
あいつはきっと恋という言葉が免罪符だなんて欠片も考えてはいないだろう。
打算や駆け引きなんか一切ない、ただ一目散に目標めがけて突進してくるのだ。

忍を見ていてつくづく思い知らされるのは、恋は人に死をもたらす病だということだ。
千年も昔の姫君は思いの丈をどうしても口にできず、身を焦がす思いに弱り果てて命を落としたという。
もし彼女が思いを告げることができていたら、結果はどうあれ死ぬことはなかったのではないか。
胸の外に出すことのできなかった思いは体中を駆け巡りやがて病魔となる。
草津の湯でも治せぬ病。
この先も特効薬は発明されないことだろう。
治すことができるのは自分か相手か時の流れか。

必死に好きだと告げる忍を見て思うことは、
こいつは恋が死に至る病だと本能的に知っているのではないか、ということだ。

好きだと告げられて俺が困惑することもちゃんとあいつはわかっているし、
何よりあいつ自身が自分の感情を持て余している。
自分でもどうしたらいいかわからない。
俺に何をしてほしいかもわからない。
それにも関わらずこうやって俺に突撃してくるのは、そうしなければ死んでしまうからだ。
あの凄まじい迫力は生きるか死ぬかの瀬戸際というわけだ。
攻撃は最大の防御とはよくいったもので、
あのテロリストは俺に突撃をかけることで恋の病魔から身を守っているに違いない。

これは俺の想像だが、身体を繋げる行為もそこまで完全に気持ち良くないはずだ。
おそらく負担の方が大きいだろう。
それでも忍は涙を流して必死に俺にしがみついてくる。
…生きるために。

例えば生きることに価値を見出だせない人間と生きることに一生懸命な人間がいれば、当然俺は後者の方を好むわけで、
なるほど俺は迷惑だと言いながらもそこに懸命に生きようとしている姿を感じ取っていたのかもしれない。


なーんて冷静に考察しているが炒め物の焦げた部分を食べたときなどに、
こいつが好きなのは俺だという基本的な部分を思い出してしまいオジサンは年甲斐もなく赤面してしまうわけですよ!
今でもちょくちょく信じられなくなるが、こいつは俺のことが好きなんだよなあ。
一体どこをどう間違ったのか。
むしろ今は、俺が忍を好きだということの方が自信を持って断言できる気がする。

だってほら、アルコールの入った忍を見てみろ。
あどけなさがいつもの三割増しで妙に可愛く見えるだろうが。
目尻がほんのり紅くなっているせいで余計まつ毛が長く見えるだとか、形のいい唇が湿って光っているだとか、
俺は他人の顔の造形をこんな風に眺める人間だっただろうか。
ここまでくると自分を客観的に見るのが怖くなってくる。
たまにはきちんと冷静な目で自分を見なければ。

「なんで手紙なの?」

つい煩悶に陥っていた俺に、ふいに忍が声をかけてきた。

「なんで手紙を書くんだと思う?」
「…もうちょっと文脈でわかるようにしてくれ。」
「テレビ。」

俺の注意をきれいに無視して単語で返した忍が指差した方を見れば、
ドキュメンタリーか何かで結婚式で花嫁が泣きながら手紙を読み上げていた。
「ああいう場面って手紙がもてはやされるじゃん。でもスピーチの原稿と何が違うのかなって。」
文学部の教授としてはどう思う?と付け足された一文にやや挑戦的なものを感じたので至極真面目に答えてやることにした。

「手紙は文字に起こしたものを相手に渡すわけだ。」
「うん。」
「だからまず自分の気持ちが正確に相手に伝わるか客観的に考えることができる。」
「客観的に?」
「ああ。あとスピーチは言ったらおしまいだが、手紙は手元に残るからどうしてもこれだけは知っておいてほしい言葉を選ぶことができるってのもあるんだろうな。」
「…ふーん。」

真面目に答えたわりにうわの空のような返事を返された俺は馬鹿馬鹿しくなって、用を足しにトイレへ向かった。
忍は相変わらず何か考えている表情で酒を口に運んでいた。

用足しから戻った俺は驚愕した。
キッチンの椅子には誰も座っておらず、

忍は電話台に突っ伏していた。

「忍!おい、忍!」
慌てて俺が抱き起こすと忍はもう軽く寝息を立てていた。
「ったく、何がしたかったんだ?」
「…みを…。」
「え?」

「…宮城に手紙…書こう…って…。」

見ると電話台の上にはボールペンとメモ用紙が散らかっていた。
普段はおそろしく男前で達筆な文字を書く忍チンだが、
メモ用紙に残された文字はそれはもうぐちゃぐちゃに乱れていた。
なんとかそれを解読すると、こう書いてあった。

一枚目、『ごめん』
二枚目、『ありがとう』

そして三枚目、『すき』

それは手紙と呼ぶにはあまりな代物だったが、
書きなぐられた文字列が愛しくて丁寧に折り畳んでポケットにしまった。
もしかすると読み間違いの可能性もあるが、まあそれでも構わないだろう。


明日になったら忍はこれを書いたことすら忘れてしまうかもしれないけれど、
いつか必ずこの返事は書いてやりたいと思う。
俺だっていい年をして恋わずらいなんかで死にたくないからな。


だから今日はこれで勘弁してくれ、と閉じた瞼にキスを一つすると、
起こさないように忍を両腕に抱えてベッドへと運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

2009/03/24