「ユーアーマイバスタオル」

 

 

愛と恋は何が違うか。

人によって答えは違うかもしれない。
違いなどないと言う人もいるかもしれない。
もしそんなことを聞かれることがあれば、俺はこう答えるだろう。

愛は美しいが恋は醜い、と。


愛は美しいなんて口に出して言うと馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
教授の前でうっかりそんなことを言おうものなら腹を抱えて床に突っ伏して笑い出し、30分は仕事にならないだろう。
その上お前はどこのタカラジェンヌだとか妙なドラマでも見過ぎたかとか散々なことを言われるのは目に見えている。
まあだからそんなことは絶対に口にはしないけれど、それでも時々ぼんやり考えてしまうことがある。


どんな美男美女同士でも恋は醜いけれど、饅頭みたいな顔と体をした母ちゃんでも母の愛は美しい。


子供の頃、いわゆるガキ大将と取っ組み合いの喧嘩をしたことがある。
原因は忘れたが、突かれて黙ってるタイプではなかったので先手必勝とばかりに飛びかかっていったのだ。
ただいかんせん年少者の力関係というものは体格差によるものが大きく、やや小柄だった俺は組み伏せられる形となった。
それでもぎゃーぎゃーと暴れまくった俺とそいつはお互いに引っかき傷を作り合いながら先生に引っぺがされた。
どちらも怪我は似たような程度だったけれど、俺には擦り傷の他に打撲があったため、そいつとそいつの母親が俺の家まで謝りに来た。
母親同士が甲高い声で謝り合うのを聞く中そのガキ大将の顔を見たら、ここへ来るまでにものすごい勢いで怒られたであろうことがうかがえた。
うわー、こいつの母ちゃんコワそうだもんなー。
それでもそいつはうつむきながらも母親に手を引かれて帰っていった。
俺も当然母親に怒鳴られたわけだが、その日の夕食は俺の好物で埋め尽くされていた。
きっとあいつも今頃体中絆創膏だらけにしながら好物を頬張っていることだろう。

その時初めて家庭というものの安定した温かさを少しだけ意識したような気がする。
俺が外で何をやってきてもたいして揺らぐことなく迎え入れてくれるもの。
それが愛という少しヒネた言葉で表わされるものだと気付いたのはいつの頃だったか。


それに比べて俺の恋の醜さときたら。
傲慢、嫉妬、怒り、臆病、絶望、勘違い、迷惑、過ち、何とでも呼ぶがいい。
揺らいで揺らいで、どうしようもなく俺の行動を迷わせる。

その最たるものが野分がアメリカから帰ってきたときの一件だ。
清い恋などという言葉から程遠かったあの時の自分。
何もかもが不安で仕方なかった。
どうしてそんなにも不安だったのか、今の自分ならば答えることができる。

野分しか見えていなかったから。

どうしたら野分を失わずにすむのか。
どうやったら野分のいなかった生活に戻れるのか。
寝ても覚めても考えるのはそのことばかりで、ぐらぐらとした恋の不安にとりつかれた俺に心の安定なんて訪れるはずもなく。
気付けばびしょぬれのまま大学で野分と抱き合っていた。
俺の目には野分しか映っていなくて、たぶん野分も俺しか見えていなかった。
ひたすらに相手を求めるだけのどうしようもない生き物が二匹、何もかも忘れて貪りあう。
お前が欲しい、お前を失いたくない。
俺の全部をやるからお前の全部をくれ、離れるな。
世界一美しくない言葉を吐き出しながら抱き合っていたのに、体を離したときにはその澱みが少しだけ浄化されていたような気がする。
憑きものが落ちたような表情をしていた俺の顔を野分がべろりとひと舐めした。
あの時野分は何を舐めとった?


それから二人で暮らそうと決めたときに俺は少し期待していたんだ。
あの俺の心をぐらぐらにする恋というものが、徐々に安定した愛というものに移行していくんじゃないかと。
多少のことでは揺るがない、日々の安定を形作るもの。
そう、俺は揺るがない人間になる。
醜い恋に振り回されるのはもうたくさんだ。


床一面に広げたお宝の数々。
この床の線から右側が俺が集めてきたお宝で、左側が秋彦が集めてきたやつだ。
「どーだ、俺のほうが多いな!」
「いや、数は多いがレア度は俺のほうが上じゃないのか?」

せっかくの休日にいい大人が何をしているかというと、秋彦と俺のレア本自慢大会だ。
野分はというと、いつものことながら出勤だ。
別に鬼の居ぬ間に〜というように野分の目を盗んで秋彦の家へ来ているわけではない。
もちろん野分がいなくて寂しいのを紛らすためにここへ来ているわけでもない。
一週間近く顔見てないからってどうだっていうんだ。
もうそんなのには慣れたはずだ。
ただ、俺と秋彦のガキの頃の付き合いがそのまま大人になっても続いてるだけの話だ。
貰いものだというブランデーを片手にあの本がどうだのこの本がどうだの、他愛もない話をしあう。
軽くアルコールの入った俺はいつもより饒舌になり、秋彦くらいしか付き合ってくれないようなマニアックな談義に興じた。
ヤツも顔にはあまり出ないが、けっこう酒が回っているのがわかる。
秋彦の薄い色の髪や、睫毛が音を立てそうな伏せた瞼、大きめの手、人をくったような笑みをこぼす口元を見つめて自分の心臓に手を当ててみた。

まったくの正常。

これが安定、これが平穏。
俺の心音に何ら不審なところはない。
もうこの先秋彦に街を吹っ飛ばす威力で心臓を爆発させられることはないと俺は確信している。
思春期の俺を散々に苦しめたあの感情は、こうして時を重ねて安定な形に落ち着くのだなあと俺はしみじみと感心した。
これを知ったら十年前の俺は安心するだろうか、残念がるだろうか。

「どうした?また彼氏のことでも考えてるのか。」
「ばーか、違えよ。」
この期にまたBL本のネタを提供させようというハラだろうが、そうはいくもんか。
これ以上野分とのことをホイホイ話して、またあの名誉棄損本でも出されたら俺の懐は一体どうなることか。
ていうかこれだけ冊数を重ねたら流石に野分にもバレるんじゃねえの?

『俺のことこんなことまで宇佐見さんに話したんですか?』
『ヒロさんのこんな姿が色んな人の目に触れるのは耐えられないです。』
『すごい内容ですね…。もしかしてヒロさんもこういうことしたいんですか?』
『俺、ヒロさんがこんな風に甘えてくれたらドキドキして死にそうです。』
『でもやっぱり本物のヒロさんのほうがずっと可愛いです。』

ちょっと自意識過剰な部分が混じってる気がしないでもないが、こんな感じに野分に迫られた日には…。
「…弘樹、顔赤い。」
秋彦にそう言われ、はっとして顔を触ったり脈をとったりしてみた。
顔が赤いのはアルコールのせいとしても、酒って脈をこんなに速くするもんだっけ?
野分のことをほんのちょっと考えたくらいで、脈が速くなるって馬鹿か俺は。
とりあえず深呼吸、
しようと思った瞬間、ポケットに入れていたケータイが鳴り響いた。
「うわっ。」
「何やってるんだ、お前は。」
「うるせー…。」
画面を見ると新着メール。
野分からだった。

今日は帰れることになりました。
食事は済ませてきます。

相変わらずの簡潔な文面。
でも今日は野分が帰ってくることがわかっただけで十分だ。
「…帰る。」
酔って思考回路が若干鈍っているのがわかるが、それでもただ帰らなくてはと思った。
離れているのに俺の体温を上昇させたり脈拍をアップテンポにしたり、全く俺を落ち着かせてくれない。
だったらもうあいつのとこへ向かうしかないだろう?
「お前帰るってふらふらだろ。ちょっと待て、送っていくから。」
「送るってテメー、俺の目の黒いうちは飲酒運転なんかさせねーからなっ。」
「ばか、タクシー呼ぶ。」

しっかりとお宝たちを両手に抱えて、俺は秋彦にタクシーへ押し込まれた。

「あ、ヒロさんおかえりなさい。…って、え…?」
「どうも。」
自分が思っていた以上にグダグダになっていららしい俺は、あっさり秋彦の手から野分に引き渡された。
「えーとこれは…?」
「いや、『野分のとこに帰る』って聞かなかったもんだから。それじゃあ。」
秋彦がドアを閉めるのも待たずに俺は野分にしがみついた。
ほら、すぐにこうやって周りのことなんか見えなくなる。
野分との間に何事にも動じない安定な感情なんて期待していた俺が馬鹿だったんだ。
いつまでたっても恋に振り回される俺。
ドアが閉まる音を聞いたあとも情けない顔を上げたくなくて、しばらく野分の胸元に顔を埋めていた。
外の風が冷たかったせいで俺の鼻はぐしゅぐしゅしていて、たぶん野分の服に俺の鼻水の染みがついたと思う。

「ヒロさん…。」
俺の髪を撫でながら話しかける野分の声は少しだけ震えていて、

「俺、嫉妬すればいいのか喜べばいいのかわからないです。」

ああ野分も未だに揺れてるんだな、と思い至った。
こいつの声が震えてる理由は、俺の脈が速くなっているのと同じ理由。

「すまん、野分…。汚れた…。」
「何がです?」
「えーっと、鼻水…?」
野分は鼻水でも涙でもよだれでも全部俺が引き受けます、と言って笑った。

てっぺんからつま先まで汚れのない恋なんてあるものじゃない。

俺は厄介な感情にとりつかれてるから、色んな汚いものをまき散らしてお前を求めるだろう。
そんなときは野分、お前は涙や鼻水にまみれた俺の顔をぬぐってくれないか。
そうしたら俺は自分を嫌いになることなくお前を好きでいられるだろうから。

俺の顔をぬぐってくれたお前に包まれて、俺は少しだけ平穏な心を手に入れた気分で眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 


END

 

 

 

2009/02/11