「SPNKNG」

 

 

吉野と付き合うようになって一年以上が経ち、ようやく恋人だという自覚を持ち始めてくれたのは素直に嬉しいことだと思う。
やきもちを焼かれたり、自分から触れてくれたり、意識してもらえるのはとても嬉しい。
しかし、それだけで十分と言いたいところだけれど、やはりまだ認識が甘いと思ってしまうことも多い。
特に吉野は他人からの好意に鈍い。
鈍いだけなら害はないかもしれないが、例えば柳瀬から自分がどういう目で見られているのか自覚が足りないので、俺はいつも心配してしまう。
吉野は気にし過ぎと言うかもしれないけれど、何度も危ない目にあっているのではないか。



吉野のマンションに着き、階下から吉野の部屋の明かりを眺める。
今日こそは自覚の甘さを思い知ってもらわなければ。
冷静さを保つために深呼吸を一つすると、吉野の部屋へと向かった。







おつかれ、と声をかけてよこす吉野は元気そのものだ。
一昨日校了が終わったところなのだが、今回吉野は締切数日前に原稿が間に合っており、吉野にしては余裕のある進行だったせいだろう。
(それがよかったのか悪かったのか)
その後にあった出来事のせいで、俺は素直に吉野を労えずにいた。

今回入稿が大幅に遅れたのは、吉野ではなく他の担当作家のせいだった。
いつもなら多少進行が遅れ気味でもこまめに打ち合わせをしつつ進めていけばあまり問題のない作家だ。
だが今回は進行の遅れに加え、アシスタントが何人か同時に体調を崩したようだ。
それで手が足りなくなった上、急場の手伝いをしてくれるアシスタントもなかなか見つからず頭を抱えていたところ、一件の申し出があった。
俺でよければ手伝うけど、と連絡をくれたのは柳瀬だった。
なぜ柳瀬が、という疑問は当然ある。
確かに以前吉野の修羅場の時に頼み込んできてもらったことはあったが、あれは吉野という特別な相手だったからだろう。
今回は顔見知りでも何でもない作家を手伝うと柳瀬は申し出てくれている。
その裏にあるものが何かはわからなかったが、とにかく腕のいいアシスタントが欲しかった俺はありがたく申し出を受けたのだった。



「なんで俺が手伝ったかわかる?」
無事に原稿も上がり、印刷所へと持っていくことができた頃、わざわざ柳瀬から電話があった。
「……いや。だが助かった、礼を言う」
疑問は残るが助かったのは本当なので礼を言うと、柳瀬は笑った。
「賭けに負けちゃったんだよね」
「賭け?」
「そうそう、サイコロ転がしてさ。千秋が勝ったら俺が羽鳥を手伝いに行く、俺が勝ったら千秋が何でも俺の言うことを聞くってね」
「………っ」
どんな気分、と柳瀬は尋ねたが、答えを返せないうちに電話は切れてしまった。


柳瀬が自分に良い感情を持っていないことは知っている。
だから当然、裏があるのだろうとは思った。
だがまさか吉野とそんな賭けをしていたとは思わず、胸のあたりがざわついた。
条件が『引き替えに』ではなく『賭けに勝ったら』で、まだよかったのかもしれない。
しかし吉野が自分の身を柳瀬に売るような真似をしていたことを、どうしても見過ごすわけにはいかなかった。








いつものように差し入れを持ってきたのだと思ったのだろう、吉野は嬉しそうな顔で俺を出迎えた。
ここで差し入れを渡して労いの言葉をかければ穏やかに二人で過ごせるのだろうが、努めて無感情になるように返事をした。
「トリ?」
不穏な表情に気付いたのか、吉野は不安そうな顔をする。
「お前、柳瀬と何をしたのかわかってるのか」
「何って……別に変なことは何にもしてねーし」
何を責められているのかわからない、という口振りで吉野は言う。
「……確かに今回担当作家にアシスタントが足りなくて困っていた。だから柳瀬の申し出はありがたかった」
「それは……」
吉野はハッとした表情になる。
「だが、お前が危ない目に合ってまで助けてもらいたいとは思わない」
「だって、優が」
一応うしろめたいとは思っているようだ。
何が気に入らなかったのかを指摘してやると、視線を伏せながら言い訳をした。
「ほんとは優に普通にお願いしただけなんだよ。そしたら優が賭けにしようぜって」
「それに乗ったんだろ?あんな条件を出されたのに」
吉野が俺を助けてくれるように頼むのはいい。
柳瀬の言動もイラっとはするが、いつものことだから構わない。
だけど、それに軽々しく乗るような吉野の態度に俺は腹を立てていた。

「トリが困ってたから……」
一言、二言反論していた吉野は、弱々しく告げてくる。
「いつも迷惑かけてばっかりだし、でも俺が直接手伝うって言うわけにはいかないし」
「もし柳瀬が勝ってたら?」
「え……」
「もしあいつが勝ってたらお前は何をされてた?そしたら俺はどう思う?」
吉野の顔に焦りの色が浮かぶ。
どうせまた大したことにはならないと思っていたのだろう。
「俺の言うことは聞かないくせに、柳瀬の言うことなら乗るんだな」
「違う!」
「違うって言うんなら、ちゃんと証拠見せて」
唇を噛んで、吉野は言った。
「……何でも言うこと聞く。トリの言ったこと、聞く」
普段ならその言葉で満足できるのだろうが、今は大したことはされないだろうと甘く考える吉野の内心が見えるようで、苛立ちは抜けなかった。





「脱いで」
ソファーに腰掛けながら吉野に告げる。
吉野はびくっとした顔になったが、赤くなりながらシャツを脱ごうとした。
それを見て俺は冷たく笑う。
「そういう意味じゃない。……エロいことしてもらえると思ったか?」
図星だったようで、吉野は真っ赤になった。
もちろん性的な意味で責めたい欲求もあるが、最終的に受け入れてしまう吉野のことだから、有耶無耶になってしまう可能性もある。
欲情に檻をして、吉野に指示した。
「下だけ脱いで、膝の上に乗れ」
もはや混乱を極めている吉野の腕を引き、下着ごとパンツを引き摺り下ろして膝の腕でうつぶせになるような姿勢をとらせた。
「な、何するつもり……」
「何でも言うこと聞くんだろ?いつも同じお仕置きじゃ新鮮味がないからな」
ひたりと手のひらを吉野の尻に当てると、ようやく何をされようとしているのか理解したようだ。

「柳瀬にこういうことをされる可能性は考えなかったのか?」
我ながらよくもひどい言葉が出てくるものだ、と思う。
例え柳瀬が最大級の悪意と欲望を抱いていたとしても、俺ほどひどいことはしないだろうに。
もちろん程度の問題ではなく恋人である吉野に手を出されることが許せないのだが、吉野は俺の言葉が堪えたようだった。
この格好が屈辱なのか肩を震わせていたが、ようやく口を開いた。
「いいよ」
「……!」
「……言うこと聞くって言った。すればいいじゃん、……お仕置き」
その声は震えていたが、少しだけ俺の方を見たその目は真剣だった。
半分くらいは脅しのつもりだったが、武者震いのような右手のわななきを感じ、息を飲むと俺は手のひらを振り上げた。





ぱしん、とリビングに乾いた音が響いた。
力の加減はしたつもりだが俺の右手はじんじん痺れていて、きっと同じ痛みが吉野にも残っているのだろう。
「……反省したか?」
問い掛けながら、二発目を叩く。
衝撃にしなる吉野の身体はベッドの上では何度も見たが、それとは違う背徳感を感じる。
俺はこんなことをしていい人間ではない、と己を責めながら吉野を苛むのは言葉にできない高揚感をもたらした。
だが吉野の皮膚は赤くなり、膝の上の重みとともに、これが現実だということを教えてくる。
「トリ……」
涙目で俺の名を呼ぶ吉野の声を聞き、ぞくぞくと嗜虐心が煽られるのがわかった。
「お仕置きって言っただろ。……反省するまで続くぞ」
正直、自分でも止め所がわからなくなりそうで怖いと思った。
吉野が泣いて暴れたら解放するだろうが、黙って耐えているような吉野の姿が俺に拍車をかける。
吉野の肉のついていない薄い尻の感触に惹かれるように、俺は三発目を振り下ろした。
ぱん、と皮膚がぶつかり合う音と同時に、
「……ごめんなさい」
吉野のか細い声がした。
熱に浮かされたような顔で、吉野はごめんなさい、と言った。

その瞬間、理性だとか外聞だとかいった心のたがが二人同時に壊れる音が聞こえた。




吉野の反応は止めてほしいという懇願ではなく、もっと反省の言葉を引き出してほしいという要請のように感じた。
それに応えるべく吉野を打つと、嬌声のような『ごめんなさい』が飛び出してくる。
吉野を打つ俺の手は同じくらい腫れあがっていたけれど、気にならなかった。
吉野の薄い肉を叩く感覚は俺のどうしようもない独占欲を満たした。
「ごめんなさい、俺は」
「千秋?」
「トリのことを、」
息が上がりそうになりながらも、吉野は途切れ途切れ何かを言おうとする。
「トリのこと、いっつも考えられてなかった」

全然足りなかった、ごめんなさい。

吉野はそう言うと、言葉を終わらせた。
それに従って俺も手を止め、ぐったりとしている吉野の身体をソファーの上に横たえてやった。





しばらく吉野はうつぶせのまま顔を伏せていた。
泣かせてしまったかと思ったが、腫れあがったところに保湿クリームを塗ってやりながら様子をうかがうと、顔をこちらの方に向けてくれた。
「変態」
「……すまん」
「お尻叩きとか幼稚園児か俺は」
「……やり過ぎた」
「……まあ、俺も反省したけどさ」
先程とはうってかわって優しく手のひらを滑らせると、吉野はまんざらでもないというような顔をした。
脱がせた服を元通りにしてやると、吉野はふふんと笑った。
「なんだ」
「トリがエロいことしないのめずらしいなーと思って」
さっきまで涙目で繰り返し謝っていたくせに、もう機嫌は直ったようだ。

「お望みなら、してやらんこともないが」
「そーゆー意味じゃないっつの!!!」


「さっき言ったこと忘れるなよ」
「……わかったよ」
「俺はお前のことになると手加減できなくなるからな」
「……それもわかってる」
念を押すと、吉野は複雑な表情でうなずいた。


こんな男の束縛を許してほしい、と心の中でつぶやくと、吉野はそれを察したかのように赤く腫れた俺の右手をとって抱きかかえるように握り締めてくれた。



 

 

END

 

 

 

2013/03/04