「ハッピーメリークリスマスクッキング」

 

 


本屋の棚にて目的の本を見つけ、これだと手を伸ばす。
と同時に隣から別の手が伸びてきて、俺の手に重なった。
政宗の部屋にたくさん転がっていたような少女漫画にありそうなシチュエーションだが、実際に繰り広げられた会話はこうだった。

「あ、すみません」
「いえこちらこそ………羽鳥……?」
「……横澤さん……?」

クリスマス料理のレシピ本に同時に手を伸ばしたのは、スーツを着た仕事帰りの同じ会社に勤めるサラリーマン二人、というどうしようもないシチュエーションであった。


そこからは勝負は始まっていた。
俺はわりと機嫌が態度に出やすいと言われているが、対して羽鳥は無表情が武器のような男だ。
ちらりと表情を伺ったが、焦りの色は一つも見えない。
もちろんこれがただの料理本であれば焦る理由などないのだろうが、あいにくこの本の正式なタイトルは『こどもが喜ぶカワイイクリスマスディナーレシピ☆』だった。
そして俺も羽鳥も独身男性であり、これは非常に気まずい状況だと思う。
(いや、気まずいのは俺にやましさがあるせいかもしれない)
同性の恋人の娘のために手料理をふるまう、という他人に口外できない事情がある方が特殊なのだ。
落ち着いて考えてみれば、独身男性がこども向け料理の本を買う理由などきっといくらでもある。
以前羽鳥がレシピの本をくれたことがあったが、料理が得意ということで親戚の子に手料理を作ることになったのかもしれない。
さらに羽鳥は俺のように営業職ではなく漫画編集だ。
作家のための資料、と言われたらおしまいだ。
(っておしまいって何がだよ)
思わず出てきた台詞に自分で突っ込みを入れてしまう程度には俺の方が焦っていた。
「横澤さん、あの」
「な、何だ」
「その本、どうぞ。俺は別の本を探しますので」
譲られた。
今だけは羽鳥の心遣いが非常に有難迷惑だった。
てっきり事情を聞かれるのかと身構えてしまったのに、あっさり譲られては言い訳をする場も与えられないではないか。
別に言い訳をしたいわけでもないが、このままあっさりスルーされると誤解を与えたままになりそうな気がして恐ろしい。
しかし誤解以上に真実を知られることの方が恐ろしい。


このまま素直に譲られた本を受け取るべきか悩んでいると、羽鳥はすでに隣の棚を眺めていた。
もしかしたら本当に羽鳥は俺がこういう本を買おうとしている事情に興味がないのかもしれない。
エメ編は木佐たちのように他人の話題で面白おかしく盛り上がる奴らばかりだと思っていたが、確かに羽鳥はあまり他人の話に首を突っ込むようなことをしていない気がする。
羽鳥の性格に感謝だな、と俺は一安心をした。
あまり余計な会話をしないうちに会計を済ませてこようと本を棚から取り出した時に俺は思い出した。
(そういや前くれた本も、子供っぽいメニューのところに折り跡がついてたな)
羽鳥は俺に本を譲ったあと、一通り棚を眺めたが気に入るものがなかったようで、諦めた顔をして立ち去ろうとしていたところだった。
俺に会釈して背中を向けようとする羽鳥を、俺は思わず呼び止めた。
「おい、羽鳥」
「……どうしました?」
たぶん羽鳥は俺を気遣ってこれを譲ってくれたのだろうが、きっと羽鳥もこれが欲しかったのだろう。
そして他にあまり子供向けのレシピ本はなく、年末進行で忙しい羽鳥はおそらくこれからゆっくり書店で本を探すこともできないのではないかと思う。
「これ、一通り見終わったら貸してやるよ」
「あ、いえ、大丈夫ですよ」
「お前に前借りた本見て思ったんだが、子供向けメニューを作りたいんじゃないのか?」
この時、羽鳥の顔色がものすごい勢いで変わった。
それはもう面白いくらいに変わった。
(言わない方がよかったか?)
「あー……すまん。でも別に気にしなくていいと思うぞ」
「何がですか」
「お前が別に子供っぽいメニューが好きでも笑ったりとかしねーし…」
「ああ、その、それは……」
複雑そうな表情をした羽鳥だったが、
「すみません。内密にしていただけると嬉しいです」
礼儀正しく俺に頭を下げたのだった。
羽鳥が意外に子供っぽい料理が好きだと会社の奴らが知ったらキャーキャー騒いでうるさいことだろう。
妙なイメージを植え付けられて迷惑する気持ちは桐嶋さんに散々味わわされているので、余計なことを言わないに越したことはないと俺も思う。


「外野につまらんことで騒がれるのは面倒だからな」
「まったくですね」
お互いの事情は結局わからないままだが、なんとなくつぶやいた言葉に対して、羽鳥も同意の言葉を返してくる。
そこそこ気まずさが解消されたので、二人で連れ立って会計を済ませ、店をあとにした。
駅で別れると、羽鳥の携帯電話に誰かから電話がかかってきたようだった。
作家かな、と思いながら背を向けると、羽鳥の声でクリスマス、という単語が聞こえてきて俺はハッとした。
どうして俺は気付かなかったのだろう。
羽鳥が付き合っている相手のために手料理をふるまう可能性について、だ。
恥ずかしい勘違いをしたまま見当違いの気遣いをしてしまったことを思い出して顔から火が出る思いがした。
(クソ…っ、これも恋愛ボケの一種ってか?)
自分のことであれこれ悩み過ぎて他人の恋愛事情に考えが及ばなくなっていたようだ。




今度羽鳥に会ったとき、どういう顔をして本を渡せばいいのだろうと途方に暮れながら俺は桐嶋家に向かったのだった。


 

 

 

2012/12/24