「ウサギさーん、ちょっと待ってー。」 「美咲、何してるんだ?」 ボウルやら泡立て器やら小麦粉やらで散らかったテーブルの上で、俺は急いで手紙を書いている。 ウサギさんが例の友人のところに行くらしいので、いつもウサギさんが迷惑をかけてるお詫びに、 イチゴ消費のために作ったロールケーキを持たせようと思ったわけだ。 ウサギさんは普段その人に面倒かけられてるみたいに言ってるけど、 おそらくその何倍もヒドイ仕返しをしてるんじゃないかと俺はにらんでいる。 「えーと、ウサギさん、じゃないや、秋彦さんがいつも迷惑をかけてすいません…っと。」 「俺はもう出るぞ。」 「はいはい、これ持って!」 あわてて書いた一筆箋を添えて、簡単にラッピングしたケーキをウサギさんに持たせた。 「別にあいつにこんなもの渡す義理はないんだが。」 「いいじゃん、どうせウサギさんあんまり甘いもの食べないしさ。」 「美咲が作ったものなら食べる。」 「…ふーん。じゃッ、じゃあちゃんと俺がよろしく言ってたって言うんだよ?」 まるで初めてのお使いに送り出す気分だ。 ウサギさんを見送ったあと、余ったイチゴに生クリームをつけて口に放り込む。 (…ウサギさんの友達ってどんな人だろ。) ウサギさんはあんな性格だから、友達付き合いをしてくれる人はすごくキトクな人だと思う。 もうちょっと友達を大事にすることをウサギさんには学んでもらわなければ。 決意を新たにしたところで、俺は後片付けを始めた。 作ったケーキ、喜んでもらえればいいけど。 ※
日に焼けて黄ばんだプリントを見つめながら、俺は事の経緯を思い返していた。 先日実家から送ってもらった荷物の中に紛れ込んでいた一枚のプリント。 タイトルは『スコーンを作ってみよう!』。 懐かしき小学生時代の家庭科のプリントだ。 宇佐見の「う」、上條の「か」というわけで、当然秋彦とは家庭科の班も同じだった。 思い出すにも恐ろしい、秋彦の常識を覆す調理スキルの数々。 秋彦が小麦粉をふるおうとふるいを大きくふりかぶったり、 隠し味といってどこから持ち出したのかわからない調味料を投入しようとしたり、 トッピングにするためのフルーツを生地に丸ごとぶち込もうとしたり、 それらを全て阻止したのは何を隠そうこの俺だ。 その日のMVPと言ってもいい。 常識を持ち合わせている分、秋彦より俺のほうが料理に関してはマシだと思う。 ていうかこのプリント見れば、俺でもまた作れるんじゃねえか? 決して野分に手作りお菓子を食べさせてあげたい☆とか可愛らしいことを考えたわけではなく、 また決してクリスマスだからといって浮かれていたわけでもなく、 単に俺の中のチャレンジ精神に火が点いてしまっただけで、 とにかくそういうわけで、気付けば材料と器具が揃っていた。 なかなか昔とった杵柄、というようにはいかず四苦八苦したが、 (おかげでテーブルもエプロンも粉まみれだ) なんとかオーブンで焼くところまで漕ぎつけた。 電子レンジはあたためボタンくらいしか使ったことがなかったのだが、 なるほど様々なボタン一つで色んなことができるもんだと感心した。 天板をセットし、スタートボタンを押す。 あとは焼き上がりを待つだけとなり、ほっとして椅子に座った瞬間。 ピンポーン。 の、野分が帰ってきた? いや落ち着け。 野分は今日は遅くなるはずだし、チャイムを鳴らすはずもない。 たぶん宅配便か何かだ。 「はーい、今出ます…。…って秋彦!?」 よりにもよって、一番今会いたくない奴がきた。 「この前借りた本を返しにきた。」 そう言った秋彦は本といっしょに紙袋を差し出した。 秋彦が俺に手土産とは珍しいことだ。 「これは同居人からオマエに。」 「は?なんで俺に?」 紙袋にあった手紙には、日頃秋彦が迷惑をかけているようですまないといった内容のことが書かれていた。 (妙に見覚えのある誤字の多い文字だ) 秋彦は同居人としか言わないがきっと恋人なのだろう。 ああ、秋彦にもこうやって世話を焼いてくれるヤツができたんだな、という感慨が胸を通り過ぎた。 その感慨はもはや昔の恋慕の続きではないけれど。 「…弘樹、なんか甘いにおいがするんだが。」 「ばっ、き、気のせいだ!」 一人お菓子作りに励んでいたことは、秋彦には死んでも知られてはいけない。 「…そのエプロンとエプロンの汚れは。」 「えーと、これはだな。あれだ、蔵書の整理してたんだ。よ、汚れるからな!」 へえ、と特に追及してこなかった秋彦はそのまま帰ろうとした。 「それじゃ、邪魔したな。」 「いや、わざわざありがとな。同居人にもよろしく。」 秋彦が去ったあと紙袋の中身をあけてみると、中はイチゴのロールケーキだった。 手作りだが、俺にもわかるほど完成度が高い。 「どうしよう…。」 これでは俺の作ったものが完全に見劣りする。 しかも秋彦からもらったっつったらまた野分の機嫌悪くなるだろうし。 焼き上がりを告げる電子音が、俺の心を重くするのだった。 年甲斐もなく調子乗らなきゃよかった。 ※ 正直、弘樹の部屋から菓子作りのにおいがしてきたときには驚いた。 美咲のいるキッチンよりは幾分香ばしいにおいではあったが、 あのエプロンといい、焦った態度といい、どう見ても菓子作り真っ最中だ。 予定ではあの彼氏がいなければ、少し上がり込んで本を物色するつもりだったが、 思わず渡すものだけ渡して帰ってきてしまったではないか。 「弘樹がねえ…。」 俺はタバコに火をつけて一服すると、突然湧きだした小説のネタに脳を委ねた。 『野分…、お前のために作ったんだ…。』 『嬉しいです、弘樹さん。すごく美味しいです。』 『ほ、ほんとか?』 『はい。あ、弘樹さん、ここお砂糖で汚れてますよ。』 『あッ…、野分…っ。どこ舐めて…ん…ッ。』 『不思議ですね。こんなところまで甘いなんて…。』 『う、ン…っ。バカ、何言って、…やァ…ん…。』
「……。」 タバコの火を揉み消して、車のエンジンをかけた。 帰ったら美咲のケーキをつまんで、できれば美咲のアレやコレもつまんで、原稿に向かおう。 4巻を楽しみにしてます、とのファンの声に応えるべく、例のシリーズを書きたい気分になってきた。
持つべきものはBLのネタに尽きない友人だ。 ※ 普段よりもうきうきとした気分で家路を急ぐ。 道々にある家では街のイルミネーション顔負けの電飾が施されていて、俺の浮足立った気分に拍車をかける。 こうした飾り付けをしてくれている家々のみなさんに大声でお礼を言いたい。 だって顔を合わせる時間の少ない俺とヒロさんのちょっとしたお買い物デートに、いつも華を添えてくれているから。 みなさんありがとうございます。俺はヒロさんが大好きです! 「ヒロさん、ただいまです。」 「あー、おかえり。」 玄関に上がるとなんだか甘い香りがした。 ヒロさんが俺といっしょ食べるために甘いものを用意しておいてくれた…? 慌ててコートをハンガーにかけてキッチンへと急ぐ。 テーブルに置かれていたのは、見るからに手作りの焼き菓子とロールケーキ。 どうしよう。 もしかしてこれヒロさんの手作りだったりするのだろうか。 冬の風に吹かれて冷え切っていた体に、じんわりと嬉しさがこみあげてくる。 どうしよう、今すぐヒロさんを抱き締めたい。 いや、お菓子も今すぐに食べたい。 したいことが同時にたくさん。なんて贅沢な悩み! 「これ、食べていいんですか?」 「『これ』って、どっちだ…?」 どっち…? ヒロさん、それってどういう意味でしょう。 でも今のヒロさんの顔は余計な質問を絶対に受け付けない顔だ。 落ち着いて考えよう。 テーブルの上にあるのは焼き菓子とロールケーキ。 「どっち」というのは、この二つのどっちを食べたいかと聞かれているのだ。 洗い物のカゴを見れば、ボウルや泡立て器があるから、ヒロさんがお菓子を手作りしたことに間違いはない。 これの意味するところは…。 片方がヒロさんの手作りで、もう片方はそうではない。 当てればご褒美はヒロさんとの甘い甘い時間。 外したらヒロさんの機嫌はきっと…。 ヒントを探すために俺はテーブルの上のお菓子とヒロさんを見つめた。 「どうした、野分?…って何すんだ!」 俺はヒロさんの手をとって鼻の頭をくっつけると、ちゅ、と軽く唇で触れてひと舐めした。 「わかりました、こっちですね。」 焼き菓子を手にした俺を見上げるヒロさんは真っ赤で可愛い。 「どっどーせ、下手そうだからそっちだってわかったんだろ…っ。」 「違います、ヒロさんの手の匂いでわかりました。」 「出まかせ言うんじゃねえ!」 「ほんとです。それにヒロさんが料理下手だなんて思ってません。」 以前ヒロさんが俺のためにお粥を作ってくれた時もそうだったけど、ヒロさんの料理は下手だとも不味いとも思ったことはない。 ヒロさんは理想が高いから満足できないのかな。 確かにロールケーキはすごく綺麗に作ってあるけれど、隣の焼き菓子からはヒロさんが一生懸命作った様子が見えてくるようだ。 「正解、でいいですよね。」 「…っ。」 「正解のご褒美に食べさせてくださ…」 「調子に乗んな!!!」 ヒロさんに、あーんはしてもらえなかったけれど、照れたヒロさんの顔を眺めながら食べるお菓子は最高に美味しかった。 欲を言えば、作ってるときのヒロさんの姿を見たかったな、なーんて。 「そういえばこっちのケーキはどうしたんですか?これも手作りっぽいですけど。」 「あー…それはだな…。」 口ごもるヒロさんににっこりと微笑む。 「あとでゆっくり教えてくださいね。」 今夜の俺は最高に幸せな気分なので、ヒロさんを泣かせずに聞き出せそうだ。 優しく優しく。ね?ヒロさん。 END
2008/12/27 |