「ラビアンローズ」

 

 

物に強い執着を感じたり、時間や予算を忘れてショッピングに興じる、
といったことに、俺はあまり縁がない。
そんな俺でも物の存在がときに心を潤してくれるということに気付くようになった。

ヒロさんと出会ってから。

まだいっしょに暮らし始める前の頃、
(俺がヒロさんちに通ってた頃だ)
ヒロさんのお家に自分の持ち物を少しずつ増やしていくのが楽しみだった。
歯ブラシに、タオルに、何気ない生活用品。
それでも、ヒロさんちにあるというだけで全部が特別だ。

いっしょに暮らし始めてからは、もっとヒロさんとの境界がなくなっていく。
タオルなんてもう俺のとヒロさんのなんて区別できないくらいまざってるし、
ヒロさんがよく枕代わりにしているあのクッションはもともとどっちの持ち物だったっけ、なんて。

俺のアメリカ土産をちゃんと机の上に飾ってあるのもすごく嬉しい。
あの時の出来事はヒロさんにとっても苦い思い出が多いだろうに、
それでもちゃんと置いておいてくれる。
ヒロさんが誰かを好きだと思うとき、本当に切ない顔をするので胸が苦しくなる。
好きだとヒロさんに言われるのは死ぬほど嬉しいけど、
俺はこの先絶対、ヒロさんにあんな顔はさせない。
ヒロさんの部屋に入るたびに俺はそんなことを考える。

物だけあっても人は幸せになれないかもしれないけど、
物の存在が幸せを増強してくれる効果を俺はひしひしと噛み締める。
身の周りの色んな物が口々にささやいてくれるんだ。
俺は今、大好きなヒロさんといっしょに暮らしてる…!って。

そんな俺が最近知った楽しみは、ヒロさんのためにシャンプーを選ぶことだ。
「別に、シャンプーにうるさく言ったりしねえし。」
そうヒロさんが言ってくれたから、最初は普段使ってる安いシャンプーを買おうとした。
しかし思わず目にとまった華やかなボトル。

これ、ヒロさん使ったらすごくいいにおいするんじゃないかな…。

ポップに添えられた髪を洗うモデルさんの姿がヒロさんの姿と二重映しになる。
まずい。
心の中のイケナイ琴線に触れてしまったみたいだ。
『特売品』のシールを免罪符に、俺はそのシャンプーとリンスをカゴへ入れた。

案の定、俺が買ってきたシャンプーを見たヒロさんはあからさまにいやな顔をした。
まぁ、ちょっとパッケージがピンクピンクしているのは否定できないけど。
「すみません、これイヤでしたか…?」
ヒロさんがこれ使ってくれたら嬉しいのに、の思いを言葉と全身に込める。
「か、買ってきちまったもんはしょうがねえけど!」
セール品は返品できねーしな、とヒロさんはシャンプーとリンスを洗面所に持っていってくれた。
ああ、やっぱり今日もヒロさんは優しいです。

本当はヒロさんが髪を洗うところをのぞきたかったけれど、
それをしたらたぶん一週間くらい口を聞いてもらえなくなるので、
お風呂上がりのヒロさんを後ろから抱き締めて髪に顔を埋めた。
どうしてこの人はにおいだけで俺を芯からとろかすことができるんだろうか。
でもシャンプーだけじゃこんないいにおいにはならないと思う。
これは『シャンプーのにおい』じゃなくて、『ヒロさんの使うシャンプーのにおい』だ。

そんなことを考えながら俺はヒロさんの身体を撫でまわしていたらしく、
腕の中のヒロさんがモゾモゾし始めた。
「なんか…、お前に味付けされてる気分…。」
ヒロさんのあまりに可愛らしい言い草に、俺は心臓をぎゅっとつかまれてしまい、
そのお返しとばかりに更にヒロさんの身体に密着した。

俺ね、人生でヒロさんがあれば本当に他に何にもいらないんです。
でもヒロさんを好きになってから、俺は少しずつ欲張りになってきたみたいで。

今日もせっせとヒロさんのことを考えながら、これを手にとったり、あれを買ってみたり。

「てめーのせいで今日女子生徒に使ってるシャンプー当てられたぞ!!ボケ!」
こうやってヒロさんに怒鳴られるのも、幸せの延長線上。

 

 

 

 


END

 

 

 

 

2008/10/31