「Lipstick on your collar」

 

 

 

「野分ー、ここ切れてる。」
先輩に口元を指差されて、口の端が切れていることに気付いた。
指で触ると、確かにカサカサしているような気がする。
「今まで口荒れるなんてことなかったんですけど。病院の空調のせいかな。」
これまで唇の心配などしたこともなかった。
「お前リップとか持ってなさそうだよな。」
「はあ…、持ってないですね。」



「…で、まだ買ってないんですけど。」
「買ってないのかよ!」

ヒロさんの突っ込みがキレイに決まったところで、俺は苦笑しながら白衣を取り出した。
「ンなもん、病院の売店行きゃ売ってるだろ。」
「ええ、そうしようと思ったんですけど…。」

『せんせー、リップ買うのー?』
『あたしのやつ使ってもいいよ、せんせー。』
『えー、これのほうがいいにおいするから、あたしの使ってー。』

「…とまあ、女の子たちに囲まれてしまって。」
結局その場では買えなかった、というわけだ。
「でもすごいですよね。女の子たちは小学生でもみんなちゃんとリップクリームなんて持ってるんですね。」
広げた白衣の襟元には、うすいピンクの染み。
ジェルタイプのリップを俺の口元に持ってこようとして、
手が届かずにこんなところについてしまったのだ。
襟についた口紅なんてベタな浮気の証拠みたいだけれど、
ヒロさんはダセーと言って笑い飛ばした。

「ま、俺も持ってるけどな。」
「そうなんですか?」
そういえばヒロさんの唇はつやつやしてて、
吸ったり舐めたり色んなところをしゃぶってもらうと死ぬほど気持ちいいけれど、
リップを使ってるなんて知らなかった。
「研究室みたいに本の多い場所にいるとどうしても乾燥すんだよ。冬場とかな。」
「俺…、ヒロさんがリップ使ってるところ見たことないです。」
「ああ?だから大学が乾燥するっつったじゃねえか。」
どうしよう、なんだかハラハラしてきた。
リップを唇に塗るヒロさんはきっとすごく色っぽくて、
俺の知らないところで誰かにそんな姿を見せてるのかな。

あ、ほんとに心配になってきた。

「できれば誰も見てないところで使ってくださいね。」
「何つまんねーこと考えてるんだよ!!」
ヒロさんは自分が可愛いということをもう少し自覚してもらわないと。

「…つか、俺もう一本持ってるけど使うか?」
そう言ってヒロさんは自分の部屋から新品のリップを持ってきた。
「安かったから二本買っちまったけど、そうそう使いきるもんじゃないからな。」
ほら、と投げてよこしたのは無香料の薬用リップ。
ヒロさんらしい。
「ありがとうございます!」
これってヒロさんとお揃いってことですよね。
これだけで十分嬉しかったけれど、俺はもっといいことを思いついてしまった。
「あの、お揃いは嬉しいんですけど…、」
「ん?なんか文句でもあるのか?」

「どうせならヒロさんの使いさしのほうが欲しいで」

す、と言い終わらないうちにヒロさんの必殺・クッションアタックに襲われた。
「黙れ!変態ッ!」
「でもこれでヒロさんとキスするときも大丈夫ですね。」
「黙れっつっとろーが!!!!」

病院の空調でカサカサしてしまう唇も、
ヒロさんに会えなくて寂しい気持ちも、この一本で潤ってしまう。
なんという俺だけの魔法使い!

後日ヒロさんの隙を見計らって、自分のリップと交換してしまった。
俺のはまだあんまり減っていないから気付いてはいるんじゃないかな。
何も言ってこないってことは、いいってことですよね。

そっと白衣の胸元を撫でてみる。
ヒロさんに会えない日はまだ続くけれど、
ほらポケットにはヒロさんの唇。

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

2008/10/10