「さようなら」

 

柳瀬があのまま黙っているはずがない。

俺も柳瀬も吉野のことが好きだということは、以前から薄々お互いに感づいていた。
口にこそ出さなかったが、お互いに吉野への態度を見ていればわかることだ。
これで今まで気付かなかった吉野が鈍いのだと思う。
もちろんその鈍さに救われてきたことも多いけれど。
だから、この先も今まで通り二人とも自分の気持ちを隠したまま今の関係を続けていくものだとばかり思っていた。
どちらかが告白したとしても吉野が同性を受け入れる可能性は低いと思っていたし、吉野自身が今の関係に満足していると思うので、それを乱す権限は俺になかった。

柳瀬は俺のことを責めた。
自分の気持ちを隠したまま吉野の側にいるのは、吉野に対する裏切りではないのか、と。
そのことについては俺も何度も考えた。
邪な感情を持ちながら友人の顔をして吉野の側にいるのは、純粋に友情を信じている吉野に対する背信なのかもしれない。
それでも俺はあいつの側にいたいと思ったし、自分の気持ちを告げた上で側にいたいと言える強さを持たない臆病な人間だった。

「俺は千秋にいつか告白するよ」

そう宣言した柳瀬の顔はどこまでも真剣だった。
いつか必ず千秋が好きだってことを伝える。
だから、一生隠すことを選択した俺は吉野を裏切っているのだそうだ。

「千秋もいい加減、あのままじゃだめだと思ってる」
「……どういう意味だ」
「俺やお前の気持ちに気付かない、今のままじゃだめってこと」
「……!!」

俺は息を飲んだ。

「お前が告白しようがどうしようが構わない。だが、俺のことは黙ってろ」
「なんで?羽鳥もそろそろ限界じゃないの?」
千秋の鈍さにも、お前の態度にも、時々わけもなくイライラする、と柳瀬は吐き捨てた。
吉野を傷つけるようなことはしたくないが、今の仲良しごっこを一生続ける気はないと柳瀬は宣言した。

結局、俺にあれこれ指図するいわれはない、と柳瀬とはそのまま喧嘩別れになった。



今頃柳瀬は俺のことを吉野に話しているだろうか。
仕事をしていてもそのことばかり考えてしまう。
機械的にキーボードを叩いているが、情報が何一つ脳へ入ってこない。

俺が吉野のことをずっと好きだったと知ったら、あいつはどう思うだろうか。
気持ち悪いと思うだろうか。
それともやはり裏切られたと思われるだろうか。

いっそ言ってしまいたいと思ったことは何度もある。
そのたびに唇を噛んで耐えてきた。
俺の人生はたぶん、吉野のために存在するのだ。
自分のエゴで告白をしたところで、吉野のためには何もならない。
俺が黙っていることが吉野のためなのだ。

吉野に俺の気持ちがばれたら、一体俺はどうするべきか。
一生言わないつもりだったから、どうするべきか何も考えが浮かんでこない。
受け入れてもらえる可能性はほとんどない。
その場合、俺は一体どうすればいいのだろう。

吉野に電話をかける。
平静を取り繕うが、少しだけ声が震えてしまった。
心なしか吉野の態度も妙な感じがした。
当たり障りのない会話を交わし、最後に堪えきれず吉野に尋ねた。
柳瀬は俺のこと何か言っていたか、と。

別に何も、と答える吉野の声は明らかに動揺していて、嘘のつけない吉野の性格をこの時だけは真剣に恨んだ。

(絶望だ)

叶わない恋ならば、一生答えなど出したくなかったのに。


パソコンをシャットダウンし、深呼吸をする。
今、この時から俺は吉野の前に存在してはいけない人間になってしまった。
俺に残された選択肢は、このまま吉野の前から消えることだけだ。

だけど、28年間吉野の側にいた俺が、そう簡単に吉野から離れることができるとは思えない。
できるならとっくにそうしている。
こんな事態になっても、俺はまだ吉野の優しさに縋ろうとしてしまうだろう。

(いっそ、吉野に縋れなくなるような状況にしてしまえばいい)

自分の心に浮かんだあまりに利己的な行為に、心がすっと冷えていくのを感じた。
それでも俺は心の中の獣を殺すことがどうしてもできなかった。

(さようなら、千秋)

俺は吉野から離れる。
離れなければいけないようにする。

28年間の思い出に一つ一つ蓋をして、吉野の家へと向かった。

 

 

END